見出し画像

母はカーネーションが嫌いだった。

母の日で盛り上がっていたここ数日。とても寂しくなったのはここだけの話。寂しいというかなんていうのかな。心臓の裏の方がキューっとしている。羨ましさもあるのかもしれないな。

母は去年の夏、突然わたしの前からいなくなってしまった。コロナで騒がしくなる前の話だ。もうあれから、え、うそでしょ。9ヶ月がたとうとしている。え。あと3ヶ月で一周忌。時が経つのはあっという間だ。

コロナ、そうか母はコロナを知らない。もし母が生きていたら、今頃大騒ぎしていたことだろう。きっと深夜に大丈夫かと電話が来たりしただろうな。

すべてを指揮していた母はいない。父は今すごく頑張ってると思う。大変だろう、辛いだろう。でも一生懸命生きようとしてくれているだけで娘は嬉しい。ただそれだけでいい。ホント、生きててくれるだけで十分というのはこういうことだ。

会いたい。と思ってももう会えない。話したいことがあっても、もう話せない。感謝を伝えたいと思っても、もう伝たわらない。母がいなくなってからはじめての母の日か。とふと思ってnoteを書き出した。
ダメだ、目から水が出ちゃって画面が見えなくなっちゃうな。思い出しても大丈夫だけど、想い出しちゃうとだめだ。でも、今の感情をここにひっそりと置いておきたい。

画像1

藤。母の好きな花の一つ。毎年、父と藤祭りデートを楽しみにしていたな。いったよー。って写真付きで送られるLINEが可愛かったな。

懐かしいな、小さい時「ママはカーネーション嫌いだから、生きてる花がスキ。」って言われたの思い出した。え?ドライフラワー好きなのに?ん?ってなったの。それから我が家はみんな生花を贈る。しかも母のお気に入りの花屋さんのじゃないとダメだ。笑

父と妹はきっとそのお花屋さんにいくだろうな。父はもしコロナになったら重症化する持病を抱えている。万が一でもあれば、父までも失うことになってしまう。絶対に避けなればならない、だから今年はいけないな。──ごめんね、お母さん。落ち着いたらいくからね。

母の好きな花の写真を並べようかな。(思いつきnoteのため流れはグダグダw)

画像2

よくアレンジしてたときに使ってた記憶が薄っすらある、かすみ草。

画像3

寄せ植えにあったなぁ。パンジー。小さい頃「パンパンジー」って言ってたんだよって言われたことあるな。懐かしい。

画像4

越した先の近所に咲く白い紫陽花を欲しい!って言ってたってお父さんが言ってたな。
(いや、ダメでしょw)

画像5

モッコウバラ。これ、きっとお母さん好きだろうな。前の実家にいたら絶対庭でアーチ作りそう。バラも毎年咲いてたなぁ。

──今、世の中は「当たり前にできていた事ができない事態」となっているけど。母の日に花を選び、感謝を伝えられることができる。それもまた当たり前ではないこと。親はいつも私たちの先を歩いている。当たり前じゃなかった。と気づく前に伝えよう。きっと、幸せはあげることができると思う。それは子供にしかできないことだと思うから。なんてね。

応援ありがとうございます! お花を飾ろうかな。おいしいコーヒーを飲もうかな。 ちょこっと幸せな気持ちになれるサポート機能っていいですね。 わたしも誰かにおとどけしにいこう。