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Inclusionと女性の社会進出について

Diversity & Inclusion

先日のDestination Internationalの総会においてもSustainableな社会において大事なことの一つとして説明されていました。特に米国では、昨年のミネアポリスの黒人を殺害してしまったというニュース以来、全国的な動きとして展開している。

日本は、「多様性」とは遠い国だ。米国のように多民族がいないというのもさることながら、「みんな同じはず」といった信仰(とあえとよばせてもらうが)が、個性やそれぞれの生き方を否定しているように思う。その「信仰」の結果、私たちは対話をすることをやめ、お互いの違いについて目をつむってきたんだと思う。

私の組織は、日本には珍しい「休みやすい会社」だ。有給もちゃんととれるし、体調を壊した人にもちゃんとケアできるほどの。というか、法令をきちんと守る文化が存在しているというのが正しいだろうか。

それはそれで素晴らしいことだと思うんだけど、さて、それを繰り返した結果、男女比3:7,平均年齢30代の組織で今何が起こっているかというと、育児休業(病傷休暇)をとる職員の増加とその穴を埋める職員の疲弊だった。産む人は主張する「休ませろ」と。産まない人は主張する「仕事が多すぎる」と。

残念ながら、ここには対話が存在していない。お互いが主張しかしてないからだ。

先日、組織内で「ママコミュニティ」を社内SNS上に立ち上げた。といっても総務である私の立場からはママコミュニティonlyは立ち上げられないので、健康増進チームというのを設立し、その1つとして、「ママ」を立ち上げた。他に「パパコミュニティ」「若者」「ベテラン」を設立した。

「ママ」はその主催者の強い要望から女性onlyというルールにしたんだけど、数名男性の参加希望がいて、事情を説明し、辞退をお願いした。一方、「パパ」のほうは、女性の希望者0!(女性のほうが多い職場なのに・・)女性は男性に興味がないのね・・・まあ、女性である私自身も「ママ業」には興味あるけど、「パパ業」は一切関心がない。

とはいえ、異質なものにたいして、オープンであり、対話を続けるということが違う感覚を持つ他者に寛容であるということだ。この自分と同じ人にしか、興味がない、ということ自体が、Inclusionを阻害している原因なのだと思うし、元来人間はそのようにしか動けないのであれば、「興味をもつ」努力をしなければならないんだと思う。

「対話」「コミュニケーション」の促進。それは、デジタルの力でどうにかなるものだろうか。それが最近、私が仕事中に考えていることだ。

写真は以前日本橋でやっていたアートアクアリウムの金魚。「大奥性」を感じるので、これにしてみた。




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