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お父さん、さようなら

自らに課したはずのタイトル掟破りですが、まぁいいや。心の旅もありという設定なので。

今年3月下旬に父が亡くなりました。後期高齢者に入った所で、ここ数年身体を悪くしていました。やれ肝臓だ、胃だと入退院を繰り返してもさっぱり良くならずどんどん痩せて行った父。今年に入って福島の地元の医者に再度行き心臓がどうしても痛いんだと言うのに鬱ですね、しばらく入院しましょうかという感じで対処されたそうです。それでどうしてもその医者にはもう掛かりたくないということで、以前一度行った仙台の病院に行きセカンドオピニオンを貰おうとしたところで、多発性骨髄腫という病名を与えられました。循環器の専門だからわかったことです。地元の田舎の医者ではわからなかったのかもしれないね、と家族と話していました。簡単に言うと血液のガンだそうです。しかも難しいタイプの。

という話を母から聞かされたのは、今年の3月11日の事でした。いや日付的には前日なのか?でも私の記憶方法としては3.11です。丁度私はその時、趣味のアイスショーを見るために仙台に来ていました。羽生結弦さん主催の3.11追悼のアイスショーnotte stellata 2024の為です。その時は運よくチケットが当たっており、2月の下旬ごろだったかな?実家に連絡しました。「というわけで羽生君のアイスショーで仙台行くから福島の実家に泊めてくれ」と。福島の実家は仙台から電車で1時間ほどの所にあります。

2023年にも羽生君は他のアイスショーや自らのワンマンショーをやっておりましたので何度か「羽生君見るために仙台に来る、ついでに実家に寄るか」という機会がありました。その時に新幹線の出張パックで宿がセットにした方が安い時は仙台市内のビジネスホテルに泊まったり、あるいは実家を無料宿泊所代わりに使ったりとしていました。実家に顔出すのは何となく億劫だったのです、というのも父が暫く身体を壊していて何となく気分が沈んでいる雰囲気の所に一晩居るのは、あんまり居心地が良くなかったので。なので当初泊まるつもりは無かったのですが母が泊まりなさいと、色々話があるから、と言うので実家に一晩厄介になることにしました。母からの返事には「あいわかった。とにかく我が家の現状をよく見るがいい。長町駅に来い」とだけあって、私は呑気にアイスショーを楽しみにしつつ実家にちょっと寄るぜ…というノリで、事態を全く知らずに来仙しました。

この連絡をしたときは、父が心臓止まってしまいAED蘇生して、地元の病院から仙台の病院に転院入院し抗がん剤治療を始める、という所でした。毎日のようにあっちこっちと駆け回って、仙台の病院に転院した時は雪が降る夜中に姪っ子(私から見たら従妹)の旦那君が送迎してくれたそうです。

それで長町駅ビルのカフェで母と待ち合わせて、近くの病院に向かいました。父が入院しているからと。父は起きていて話が出来る状態ではありましたが、抗がん剤の為に食事もあまりできずやせ細っていました。50キロ切ったとか言ってたかな…まぁ、ぱっと見「もうやばいじゃん」って感じでした。そこで先述の入院に至った、がんと分かるまでの話を聞かされ、仙台の病院でかかってる先生について、病名について、等々聞かされました。父にしてあげられることは何かないか?と声を掛けたらアイスクリームを食べたいと。どうやら自宅に居る時も食事が進まなくなっていたのでハーゲンダッツをよく食べていたそうで。わかった、と病室を抜け出して院内コンビニに駆け込んだところ「今改装中でアイスクリームのショーケース無いんですよすみません・・・」とレジの方に言われてしまいました。院外のコンビニはちょっと5分くらいは歩くのでアイスは溶けちゃうかな…と。とぼとぼとコンビニを出て顔を上げたら向かい側には某カフェが。ピコーン!「タリーズにはアイスあるじゃん!よしそれだ!」…タリーズでバニラと、季節のイチゴとチョコと3種類買って帰りました。この3種なら好きな味なんかあるだろうと。父はバニラを、母はイチゴを、私はチョコを食べました。

で、面会時間も過ぎたので病院を出て、「こんな感じで病院にお父さんが食べられるもの届けに毎日通ってるから最近家で料理なんかしないのよ」という母に連れられ長町駅ビルのお弁当コーナーに行き今夜の食事を買えというので、いいって自分で払うから、お母さんの分も買ってやるから、ほら寄越して!とか言いながらお弁当を買い常磐線に乗って南下しました。ボックス席に二人横並びで座って、あまり沢山話もしないで福島に入ってすぐの実家もより駅で降り、母の運転で実家に到着。この実家というのは実家言ってますけど私にとっては実家でも無いんですよね実は。私の住んでいた実家は3.11の時に津波ですっかり流されましたので、その数年後に同じ町内で土地交換して引っ越して建てた父と母の老後の終の棲家だったので。

「でも長町だったら常磐線でぴゃーっと来れて、知らないところでも無いし(昔仙台に住んでいた時は長町とその隣の河原町に住んでいたので土地勘がある。最も、今の長町は私たちが住んでいたころとは全く違う雰囲気ですが)丁度良かったんじゃん?仙台の先生は兄の通った地元大学の専門の人で若くて研究熱心なタイプみたいだし(このあたりはすかさずスマホで主治医さんをググっていた)頑張ろうぜ」みたいなことをこたつに入りながら話してました。何かこう、私まで暗くなったらアカンと思って基本母を励ます感じでポジティブに居ました。

で、翌日仙台にまた戻って、羽生君のアイスショーを見て仙台に一泊して(実はビジホをとってた。実家に泊まったら疲れると思って)帰京しました。羽生君のアイスショー、notte stellataは羽生君以外も著名な、私も大ファンのスケーターが色々参加して追悼や未来への希望、というようなテーマの演目が多いのですが、2024年の羽生君のプログラムはダニー・ボーイという曲でした。聞いてすぐに、あ、このピアノはキース・ジャレットだな…って思いました。真っ白い衣装で、空に魂を見送るようなそんな演技でした。

ただ、notte stellataでは確か、Danny Boyよりもジェイソン・ブラウンのYou raise me upが心に凄く染みてたんですよね。

当時の元ツイッターで呟いてた感想

ジェイソンさんの演技動画は無いのですが、彼が使用した楽曲You raise me upはこのJoshの唄入りバージョンでした。あなたが居るから、私により一層の力をくれる、という内容です。

まぁそれで…その2週間後に父は亡くなりました。抗がん剤治療虚しく、心臓が耐えきれなかったとことです。アミロイドーシスっていう悪いものが身体の臓器あちこちに悪さしてたと、特に心臓に。

この前年に2023年にアイスショーついでに実家帰った時の父はまだ自分で動けて趣味の釣りに行ったりなんかしてたんですけど、その時も父は凄く痩せてて大体、羽生君と同じサイズになってました。173センチで60キロ切ってた。60歳ぐらいまではビール腹の良くいるオッサンだったんですけどね。それで何とか元気になって欲しいと思って文明堂のアスリート補助食に使われているVカステラを大人買いして実家に送ったりしてたんですけどね…

急逝だったのですが今年転職したばかりの今の職場は非常に理解がある所かつ福利厚生もしっかりしているので忌引きをとって休むのも問題なくスムーズに出来ました。前の仕事だったら急なお休みはちょっととれなかったかも、現場の責任者でしたから。なので、転職しといてよかったな、と思ったものです。会社からの供花には社長の名前が書いてあって、外人さんの名前だもんだから、年下の親族たちが「え?あずちゃんの会社?あそこで働いてるんだ知ってるサービス使ってる」とか言われたりして。父のお葬式は家族葬という事でやったのですが、田舎なのでそんなのはあんまり関係なくて(笑)父の同級生や知人たちが以外に来てくださって、悪くないご葬儀でした。むしろ母と私は「あのお父さんにそんなに友達居たんだ」とびっくりした感じです。

そんな感じであわただしく見送って、感慨も何も無く東京の自宅に戻り、また仕事に戻り、日常に戻っていきました。それなりの歳で、必死に働いていますからホワイト企業と言っても色々ありまして、社会の荒波の中で「稼ぐって大変…!でも、俺は推し活とか色々お金がかかるマンだから頑張って稼がねば!」と勤労しています。

それで今日、2024年5月下旬。某アイスショーが幕張でありまして、そのチケットも高額プラチナチケットながら無事ゲットしていて(チケット悪運は良いんですよね私。えぇ、SS席とは名ばかりの、すぐ隣はバックステージS席で6千円安い!端っこのSS席でした)見に行ってきました。このショーには他にもずっと大好きで応援していた前ロシア代表アイスダンスカップル、現在はロシア所属を脱してそれぞれの母国というかルーツのあるフランスとオーストラリアに戻ってますが、の二人、ティファニー・ザゴルスキーとジョナサン・ゲレイロの二人もアンサンブルスケーターとして出演していたのでとても嬉しくワクワクしながら見に行きました。TM Revolutionだし(ゲストシンガー)城田優さんは…あー!松也PのグループIMYの人じゃん!おぉ…

という感じのテンションで。皆さん素晴らしかったです、ほんとに楽しく堪能しました。でも、前半の終わりにスペシャルという感じで羽生結弦君がダニー・ボーイを滑ったんですね。仙台の時と同じ衣装で。

なんだか知らないけど自然に泣けてきて。今日初めて、ダニー・ボーイという曲と羽生君のプログラムの意味がわかった感じました。これは、亡くなってしまった人を思って、天国に見送る御霊送りの舞である、と。そういう風に、自分が大事な人を亡くした後だからやっとそこが見えた、わかった、という感じでしょうか。ほんと自然に泣けてきた、あれ、私何でこれ泣いてるんだ…と思いながら見てました。

仙台で見た時は、まだ父は生きて闘病していたから。3.11の震災で犠牲となった人達への追悼と鎮魂だとは分かっていたけど、それでも、自分ごととしてはとらえて無かった訳です。

で、Danny Boyを聞くとYou raise me upをすぐに思い出す訳です。そりゃそうです、原曲というかインスピレーションの元はアイルランドの同じ歌なので。


羽生君の演技に使用されたダニー・ボーイはキース・ジャレットというピアニスト演奏版なんですが、キース・ジャレット。知ってる人はご存じの通り、基本的にフリーダムな、即興演奏の神です。ケルン・コンサートなど聞いたことある人いるかもしれません。その場の、その時のエモーションが大事にされた、一期一会な美しい音とパフォーマンスです。なので今回のキース・ジャレット版ダニー・ボーイもよく聞いてもらえればリズムが一定ではなく余韻や余白のある、インプロビゼーションが効いたアレンジの(ジャズ用語で、プレイヤーが即興でその場で変化球投げる的な)楽曲なので振り付けを合わせ音はめをする、というのは簡単にはできません。手の振り一つに緩急をつけることで空間と余韻を含ませる、というようなことが音でなされているわけですが、そこにぐっと合わせてきているのが羽生さんの演技です。つまり、彼は徹底して楽曲を聞き込みそのうえで振りを付け演技として完成させているわけです。ま、いつもそんな感じですけどね(笑)

視聴者としては、このインプロビゼーションに、あちこちの余韻や空間に、逝ってしまった大事な人の影を見てしまう、という気分になりました。

まぁ、なんていうか。

父は寡黙で朴訥な田舎の男で。そんなにアレコレ話した親子でも無かったし、実際に私は自分で自分の事は破天荒にわがまま放題に生きてきた人間だと思ってて、アレコレ人生でやりたいことは何でもチャレンジしてきた、好奇心にすぐ突き動かされて軽率に尻軽に走り回っているような人間なんですけど、そういう私に対してその行動を改めろと、性格がよろしくないと、そんな事やっても仕方がないと、止めるというような親がおよそやりがちなしつけというかそういう事は一切何もしない言わない人でした。子供時代は父と、祖父(母方の、父から見たら義父。ギリなのにすげー仲良し)と私の3人でよく海釣に行ってました。父がちょっと車でどっか行く、というと用もないのにつれていけという子供でした。車が好きだったので。なんかそんな感じで、親子してました。あ、思い出した。父とよく釣りに出掛けた父の愛車には、若いころ趣味で滑ってたらしくスケート靴がトランクに放り込まれていました。ワカサギ釣りに出かけたときはなんか滑ってたかもしれない。遠い記憶なので定かではありませんが。数年前まだ元気だったころは、浅田真央ちゃんのアイスショーに父と母を連れて行ったことがあります。福島の磐梯熱海アイスアリーナでやったショーです。その時父は興味ないか?と思ってましたが楽しそうに見ていたのでスケートは嫌いじゃないんだと思います。

大学時代は東京に単身赴任していた父と同居して二人暮らしだったのですが、大学入学二日目にいきなり夜遊びして終電終わった後タクシーで帰宅した時は流石に怒られたんですが、20歳過ぎたらもう何にも言わなくて、というか「じゃあクラブ(踊る方)活動してくるから明日朝帰るね」などと言って夜遅い時間に二人暮らしのマンションを出る時、父は「わかった、明日朝じゃあ牛乳と納豆買って来てくれ」とか言って送り出してくれる人でした。

大学卒業間際に父が札幌転勤になったので、その時から初めて完全一人暮らしに入ったのですが、社会人になって数年の所でストーカー事件にあい、仕事を辞めアパートを解約して実家に助けて欲しい、と泣きついて。その後父が更に札幌から東京転勤になったため、じゃあということで、20代の終わりころは父と母と私の3人で東京でマンションを借りて暮らしていました。私は実家にパラサイト、という感じですね。その後パラサイトを卒業して彼氏と同棲し今に至ります。そんな感じで、30歳までの間、私は母の次に、父と一緒に過ごした期間がありました。なので意外と仲は悪くなかったです。

そんな風に、私にとって父は、やりたいことを積極的に応援してくれたわけではないけれど、世間様という物差しでもってアレコレ行動に制約をかけてしつけや指導をしてくるようなうざったい事は一切しない、ただそこに居て待って何となく見守ってくれるという存在だったのだな、と長じて、今になって考えている次第です。

見守ってくれる人はもう居ないんだよ、というのを羽生君のダニー・ボーイを見てると突きつけられて、泣けて仕方がありませんでした。もう、居ないんだと。何をしても父には二度と会えない。父があの世のどこに居るのか?わからないけれども、せめて元気で好きな釣りをして、好きなお酒を飲んで、心安く居てくれることをただ願うしか、もうできないんだな。ということを噛みしめて居ました。

アイルランドも何度か旅をしたことがあります。若いころ推し活のため毎年イギリスに渡航していたのですが、イギリスのついでにアイルランドに寄ると、何とも言えずほっとしたものです。ロンドンまたイギリスは何でしょうね…東京や京都のような、お高く留まった感じがあるのですが、アイルランドに入ると同じ英語を話しているのにめちゃめちゃ訛ってて、人はイギリスよりずっと素朴でシンプルに生きてる人が多くて、もともと東北の田舎者メンタリティな自分には、イギリスよりも居心地がいいほっとする田舎だという感覚がありました。もし将来海外移住するならどこがいい?と聞かれた場合はダブリンが1位にくるぐらいに好きな国です。

緑の芝生に覆われた島、という印象が大体多いと思います。実際ちょっと郊外に出るとそんな感じです。でも、あの緑に覆われた丘陵…素敵…ですよね…でもね、あれってアイルランド人が苦労して作った土地に荒地でも生えるようなヒースが茂ってるってことなんです。ごつごつとした岩の大地に、海からとった海藻を重ねて何年もかかって辛抱して土づくりをしてジャガイモを育て飢えをしのいだ。その後の姿なんですよ。なんかこう…東北っぽいメンタリティを感じます。だからアイルランド好きなのかな私…そんな荒涼とした海風が吹く、ヒースに覆われた、醸すためのピート(泥炭)をあちこちでおじさんが切り出している、そういうアイルランドの海辺の丘陵地帯が自然と思い浮かんできます。

これは私が一目ぼれしたアイルランドの国民的画家よる、カネマラの少女という絵です。こういう感じの場所。https://en.wikipedia.org/wiki/A_Connemara_Girl#/media/File:Connemara_Girl.jpg

羽生君のダニー・ボーイを見るたびにそんな気持ちになるのはもうオートマチックに確定してしまったという感じです。また来週、今度は名古屋に見に行くんだけど大丈夫でしょうか俺www

まぁ、そんな話。


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