見出し画像

ひとりぼっちの青春と夏祭り

どうしようもなく荒んでいて孤独で足りないものだらけだったけど、それでもちょっぴり心が満たされていて楽しくて輝いていたとある夏の思い出。



親がいない夏祭りは憧れだった。
私は親からの信用と友達を持ち合わせておらず、中学2年生の夏までずっと叶わなかった願望。

私がいた辺境の町では子どもの力だけで市街地に出ることが難しい環境だったから、遊びに行きたい時は誰かの車で連れて行ってもらうのが普通だった。
他の同級生は仲のいい友達の親の車に乗せてもらって一緒に遊んでいたのだけれど、私には誘える友達が一人もいなくて渋々自分の親の車に乗っていた。
夏祭りの時に側にいるのが友達ではなく親だったのが屈辱だった。
別に親が嫌いで隣にいてほしくないわけじゃないけど、中学生にもなって両親にべったりで一緒に遊ぶ友達が一人もいないのはさすがに嫌になる。

しかも、私は趣味のサイクリングを続けていたら「あの家の子が町を徘徊していた」「町を自転車で暴走していたのを見かけた」などと町中に悪評を流されたし、私が外に出ようとすると義祖母が半ば泣きついてくるのだ。
頼むから外に出ないで家にいてほしいと懇願された。
私は我が家にとっての癌だったのだ。
私を外に出すのが恥ずかしいからか、学校の登下校と両親の買い出しと通院以外の外出は止められていた。

だから自力で外に出て遊ぶことは我が家の中では罪だった。
親と一緒じゃないと外出を許されないことが屈辱だった。

学校では何年も疎まれながらも渋々通学していたのだが、過労で気が触れて統失不登校児になりフリースクールの近くに引っ越すことになったのが中2の秋ごろ。
親が引っ越しさせてくれたおかげで住所が陸の孤島からちょっとマシな辺境になり、夏祭りの会場が徒歩圏内になったのだ。

自力で夏祭りに行ける環境になったことに気づいた時は、誘う相手がいないものの誰の制約を受けずキラキラした夜空や屋台を胸いっぱいに受け止めることができるのが嬉しくてワクワクして舞い上がったのを覚えている。
ああ、普通の女の子みたいに自由に遊べるんだ。誰にも指図をされずに外を歩けるんだ。もう私を家に閉じ込めたり監視したりする人はほとんどいなくなったんだ。

でも門限は16時だし勝手に外に出たら怒られるのかな?と怖くなり、勇気を出して一人で行っていいか母に聞いてみることにした。

「何勝手なこと言ってるの!?
 私と一緒に行くのがそんなに嫌だってわけ?
 一人で行って変な人に声かけられたらどうするの?あんたが一人で徘徊してるとか噂されたらどうするの?だいたい私がいてもいなくても同じでしょ?今まで祭りで私が何か制限したことあった?まさか変な人と一緒に行くわけじゃないでしょうね?(中略)はあ……そんなに一人で行きたいなら私が10メートルくらい後ろで歩いてるからそれでいい……?これ以上困らせるようなこと言わないで」

って感じで数時間かけた結果得た回答がこれだったので、今年も親がいるのかな……と嫌になりながら親のシフト表を見たらたまたま仕事が入っていた。
つまりこれで親の目を盗んで家を抜け出すことができる。


ああ、しあわせ……
ようやく夢が叶った。
私は自由の身なんだ。
ここは私の理想の桃源郷だね……

これまで軟禁生活をしていた反動からか自由の喜びを強く噛み締めつつ気持ちがとても昂って思わず小躍りしたくなったのだった。

あの時の私はまだ社会に適応することを諦めていなかったんだろう。
とにかく普通の女の子みたいにキラキラしてみたくて、普通の幸せと自由がほしかった。

少しマシな街に引っ越したと言えども、それでも飛行機や新幹線を使ってもなお日帰りで東京に出れないくらいの僻地である。
街の規模なんてたかが知れている。
実際あの街に来たことがあるフォロワーに話を聞いてみても、みんなかなりの僻地だと思ってそうな感想しか返ってこない。
そんなしょぼい街で遊べるだけでも周りの同年代の子たちに少し近づけたと思えて踊り狂いたくなるくらい嬉しいことだった。

私はそうして親の目を盗んで家を出た。
どうせほぼ確実に昔住んでいた町の住人たちに目撃されてまた噂を流されて母親に怒られるのは火を見るよりも明らかなのに、そんなことも脳内に出てこないくらい幸せが勝っていた。
何度でもこの感情を言いたい。本当に幸せだった。

私は3DSとPCを持って街に出た。

普段は通行人なんてほぼいないような寂れた田舎町なのに、どこからこんなに出てきたんだってくらい人がごった返している風景。
美味しそうでかわいい食べ物ばかりの屋台。
どうせろくなものが当たるわけないとわかっていてもついつい引いちゃうくじ引き。
普段は遠い街に出ないとなかなか買えないようなおしゃれなデザインのアクセサリーを売ってる屋台。

目に入るもの全てが非日常に包まれていた。

とはいえ、当時は買い物と市販薬に依存していて親の目を盗んで本と薬ばかり買い漁っていたから常に財布はすっからかん。

山車には興味なかったからほとんど見てなかったし大して買い物はしてなかったけれど、行き先も買うものも見るもの全部自分で選べたからその解放感だけで十分楽しめた。

普通の家の子どもならひとりぼっちで祭りの景色だけ見て大して金も使わずに帰るのはつまらないんだろう。
でも当時の私にとっては普通の子どもの幸せに1ミリ近づいただけでも嬉しいんだから我ながらチョロいなと思える。

屋台でちょっとした食べ物を買って景色を堪能したら私は近くの道の駅に立ち寄った。
ひとりぼっちで所持金も大して持ってなければ散策なんてすぐ終わってしまう。

私は親に言いつけけられた16時の門限をぶっちぎりで破って道の駅のWiFiをPCに繋いでダラダラとツイッターをやっていた。
確か市教委が定めた帰宅時間ギリギリまで居座っていたと思う。
永遠にこの楽しさが続けばいいのにって思えるくらいの解放感だった。外にいた時間の大半はツイッターやってただけなのにね。

祭りは終わりに近づき、もうこれ以上居ると補導されるという時間が迫ってきた時は、また来年も祭りの日に家に親がいないことを強く願っていた。
また来年もこの幸せを噛みしめられたらいいのにと願って道の駅を後にした。

でも、一人でサクッと屋台でご飯を食べてフリーWiFiでSNSやってるだけなのにドキドキとワクワクで胸がいっぱいだったあの時は本当は幸せだったんだろうか?自宅軟禁という抑圧で偽物の幸せを掴まされてただけだったかもしれない。
それでも、例え偽物の幸せだったとしても、今までの人生で勝ち取れた幸せは全て忘れずに胸に抱いていたいものだ。

そうでもしないと、感情だけは覚えておかないと、更に幸せがわからなくなってしまうから。

よければサポートお願いします! サポートしていただけると無職の私の生活が潤います。