β-321 たびじ

楽曲を軸にさまざま書いていくシリーズ、第16回は藤井風さんの「旅路」です。

専門性の高い内容なんてのは、書けやしませんので、直感で感じたものを基にいろいろ書いていこうかなと思います。

さて、私にとってよく聴いている藤井風さんの楽曲が他にもございまして、といってもメジャーでとってもベタなものが多いですが、この「旅路」もその一曲となりそうな気がしてなりません。

冒頭から私が楽曲紹介しても陳腐なものになってしまうと言いながら、書いてしまっているという事実・・・。

まあ、それはいいとして。

テレビ朝日系1月期木曜ドラマ「にじいろカルテ」の主題歌でしたが、私はそのドラマを視聴していなかったので、私と「旅路」の出逢いは、FM802とそしてこの動画からでした。

「旅路」を紹介するにあたっては、ドラマタイアップともあって、ドラマを見たうえで、書いたほうが良いんですけれどね・・・。

ただ、見てない側面で捉えていくと、どうなるのか、それを試してみようかと思いまして、今回は書いてみたということです。

さて、初発の感想としては、上の動画とMVとそして歌詞と旋律から、なんとなくではあるけれど、故郷のことを想う楽曲なんだろうなと感じました。

そこに絡んでくるのは、風さんの地元・岡山県里庄町や母校・岡山城東高校のこともあるんだろうなとも感じながら。

地元の空気は変わらないのに、それぞれの空気は環境の変化とともに変化していく、あの頃にはどうやっても戻ることはできないけれど、それでも前を向いて、ときには懐かしさを味わいながら、温もりを持って、包み込んでということを体現した音質で綴られているので、素直に受け入れられた楽曲でした。

歌詞もそんな感じだしね。

1番Aメロ冒頭とBメロ冒頭の対比がとってもいい。

一文字違うだけでこんなにも変わってしまうんだ・・・。

あの日のことは忘れ(Aメロ:て、Bメロ:る)ね。

幼くて、知らなくて、それもあって恥かいたけど、もう大丈夫。

に対して、うん、忘れるね。

だってみんなだって彷徨ってたんだ、もし宇宙が教室ならどんなに離れたって隣同士、また学びは続くからー

Aメロでは"旅路"、Bメロで"学び"とあるように、旅路を続けるにあたって、いろいろと酸いも甘いも学ぶことは必ず訪れていくんだよという風さんのメッセ―じが早速詰め込まれているようで、いや、考えすぎですよね。。

それにしても、なんでティーンの頃って、いつまでもおんなじような状況が続くんだよねという考えに至ってしまうのだろう、ほんとにふしぎ。

そうじゃない層もいたとは思うけど(私はこっち側)、そんなことを考えてしまう方々もきっといたのだろうなあ。

いまの日々もまたいつの日か懐かしく思えて、温かくなって、笑いあって、知らず知らずのうちに愛してしまうんだろうなあ、いや、わかんないけど、でも、そうであってー

お元気ですか、この町は相変わらず"青春"。

見えぬ旅路の先へ皆走っている、図体は変わっていても中味は少年だし、心の奥底では永遠を求めているのは、あの頃と変わらない。

1番では果てしないものだと思っていたけれど、知らなくて、でも2番ではその時からちょっとだけ成長して、果てしないものなんてここにはないけどという歌詞になっているけれど、いままで目にしてきたり、手にしてきたりしたものすべてに意味があるし、それはきっと必ず、次へつながっていくともとれそうな意味でくるんで、最後の大サビに繋いでいくー

これからも愛したり忘れたり、その過程のなかでさまざまな喜怒哀楽あれど、これからもそうしたものを受け取って、そのときに知り合ったり愛し合ったりした"あなた"に返していくんだろう、永遠なる光のなか全てを愛すだろう・・・

と締められる。

歌詞をじっくり見ていくと、どことなく「青春病」と似ているかな、でも「青春病」は駆け抜けていく疾走感をどことなく感じていたけれど、「旅路」はゆったりとゆっくりと温かみを持って明るく振り返っているような感じがしていたような気がしたのよね、、皆さんはどうでしょうか?

どちらも青春を振り返って、いろんなことを顧みて、たいへんなことも数あるだろうけど、希望を持って進んでいこうというコンセプトは変わってないんだろうけれどね。

続いてMVのほうを。

終始、里庄町のようすや、岡山城東高校での撮影風景が見てとれる、ご本人はただひたすらリズムに合わせて踊ってたり、走ってたり、寝転んでたり、でもそれでいいし、それがいい。

ピアノ演奏を映し出さなくても、風さんの奏でる旋律は安心できるものだから。

山陽本線の車窓風景から始まるんだろうけど、里庄から高校までだと岡山で乗り換えしなくちゃいけないんだよね、たいてい。

卒業したのが5年前、5年前と言えば私も鈍行路線をけっこうな頻度で乗っていたから、岡山にも当然立ち寄ったり山陽本線はもちろん伯備線や桃太郎線、宇野線などで何度か訪れたし通勤・通学時間帯や夕方乗車したこともある、そのときは沿線の中高生と一緒になってそれぞれの目的地までご一緒したこともあった、もしかしてそのとき風さんも・・・、となると想像は膨らんでしまいそうなの。

自転車で駅まで、そして高校まで、そして母校での玄関や廊下を軽快に走り抜け(廊下は走ったら危ないよ、誰もいなければ話はべつかもだけど)

岡山地区の山陽本線と言えば、黄色いあの車輛、私としてはとっても使い勝手がそこまで・・・という感じだったけれど、なくなるとなくなるで寂しい、でも一般利用者は使い勝手のいい車輛がいいよね・・・、でもなくなったら、"果てしないものなんてここにはないけど"の証明にもなってしまうのかな、なんて。

報道ステーションでは、卒業生に送るという体で演奏されてましたが、今後この楽曲を「卒業ソング」と位置づけするのは私としてはどうなのかなと感じてしまうのです、まあもちろん青春を振り返っているし、ここ2年まともに卒業を迎えられてない現状を鑑みて、「卒業ソング」として私のなかで増幅しているし、世相としてもそうなっていくのかもしれないけれど、この楽曲はノスタルジックの要素が強いカントリーミュージックみたいなところにいまのところ位置しているんだよね、というわがままな感想を述べて、これにて失礼します。

最後のアウトロ、こんな感じがあと2小節続くかなと思ってたら、突然ぷつっと終わってしまったことに驚いたあした・の・β<ベータ>でした。

全編日本語の歌詞って、飾らなくて美しくって改めて日本語の良さを感じられるのでとてもいい、題材にもよるけれど。

ここまで読んでいただいてありがとうございます(人''▽`) 間髪入れずに言ってみますか・・・ よろしければ!でもまさかね・・・