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作ったゲームがテストプレイで酷評だったので作るのをやめた話

少しずつボードゲーム作りにチャレンジしていまして、ようやく形になりそうなモノが仕上がったので外部の人を招いてテストプレイに参加していただきました。そうしたら予想以上に酷評だったので、その場で制作中止を決めたという話です。

はじめにお伝えしておくと、ネガティブな内容ではないので、安心してお読みください!

今回作ったゲーム

今回僕が作ったゲームは、シンプルに言うと「インディアンポーカーとブラックジャックを混ぜたゲーム」です。
自分の札が1枚隠された状態でブラックジャックをするため、その隠された札が何なのかを正しく推理することが勝利の鍵となります。もちろん普通にブラックジャックをするだけでは推理のしようがないので、ひとつこのゲームならではの要素を入れました。

それは、自分の手札から1枚選んで他のプレイヤーに押し付けるというプレイです。隠された札はインディアンポーカーのように自分だけが見えず、他のプレイヤーからは丸見えです。そのため、カードを押し付ける(押し付けられる)際にブラフの要素が生まれます。
「君の隠されているカードは5だよ。そして僕からは5のカードをあげる。受け取って大丈夫だよ」(このゲームでは最高値を11としました)
といった具合にです。ここで実際に隠されているカードが7であった場合、受け取るとバースト(7+5=12)となり得点になりません。

他にも駆け引きを生むための要素をいくつか入れていますが、かいつまんで説明するとこんなところです。

付与したフレーバー

僕はフレーバー(ここではゲームの世界観、設定、あるいは物語性を示します)が大好きです。もちろんボードゲームにおいては他人と遊ぶそのプレイの中にこそ本当の物語(体験)が生まれることを理解しているのですが、それとはまた別の話で「設定」が好物なんです。

そのため、今回のゲームにも設定をつけました。次のようなお話です。

君たちはキメラ研究所の研究員だ。
最高のキメラを生み出すべく昼夜を問わず研究に勤しんだ結果、学会にもっとも貢献をした研究家の一人としてエントリーされた。
しかし誉高い学会最優秀者賞を得られるのはその中でもひとりのみ。栄誉を確実なものとするためには、発表のその時までさらなる研究を続け、新たな成果を出すことが求められるだろう。
研究の世界は非情である。時に、ライバルを蹴落とす事も厭わぬほどに。。。

外部テストプレイの結果

このようなご意見をいただきました。

・キメラである必要性?
・テーマが必要か?
・世界観が要らない気がする
・数字だけでいいのでは?
・ゲームとしては成立しているが、感情曲線が動かない
・何かが足りない
・熱中する何かが欲しい
・何をさせたいのか

これらを聞いて、僕はこのゲームの制作をやめることにしました。酷評されてやる気を失ったから……と言うわけではありません。ではなぜか。その理由を説明していきます。

理由その1:フレーバーに共感性がない

フレーバーが余計と言われる時、僕はそれを「共感性の問題」と考えます。つまり「キメラ」というモチーフがまったくもって参加者に刺さらなかったのであろう、ということです。

ここで述べる共感とは「わかるー」って思える気持ちです。「俺もそれ好き!」「優勝」「尊い」と思えるかどうか。
僕は(幻獣の)グリフォンとか動物のかけあわせモンスターが大好きで、キメラというテーマはその延長線にありました。ですがキメラを人為的に作るというのは論理的な問題も出てきますし、人によっては共感どころか嫌悪感すら抱きかねません。(今回の参加者がそうかはわかりませんが、共感が得られなかったことは間違いないでしょう)
好きと思えなかったり、予期せぬ反感を生みかねないフレーバーは、ゲームの邪魔です。

この評価が下された理由はハッキリしていて、これはモチーフを後付けにしたことが良くなかったと反省しています。システム先行でゲームを作った場合に落ちがちな穴かもしれません。

もともと自分が「キメラが好きな人に向けてゲームを作ろう!」と考えていたのならいいんです。フレーバーの必要性を問われても、自信を持って必要だと答えられたでしょう。ちなみにその場合、テストプレイはキメラ好きを集めてやらないといけません。

しかし今回は違かった。スタートはそこじゃないんです。だとすれば、フレーバーは共感性があるかどうかを大事にするべきでした。それと同時に、制作者自身がそのフレーバーで作りたい理由がないと、やはそこは見透かされてしまうのだろうという学びです。

理由その2:ゲームとして成立している「だけ」問題

フレーバーは最悪変えてしまえば良いので、制作を中止にしたのはこちらの理由が大きいです。

「面白くない」という意見ならまだマシでした。面白さはその人にあっているかどうかなので、言葉尻に振り回される必要があまりないからです。
ですが今回のテストプレイではありがたいことに、具体的な意見をいただいています。「ゲームとしては成立しているが、感情曲線が動かない」というのがそれです。

冒頭に述べたように、このゲームは「ようやく形になりそうなモノが仕上がった」ことがきっかけでテストに至りました。
この背景には「自分がデザインしたボードゲームを世に出したい」という気持ちがあります。とりあえず何でもいいから形にしないことには始まらない、という焦りです。

つまりは制作の根幹になり得る強い信念のようなものがないのです。信念とは絶対に譲れないものです。テストプレイでボロクソに言われようが変えちゃいけないモノです。
正直なことを言えば、いただいた意見を元に再調整する道もあります。少しずつもっと良いものになるはずです。ですが、僕にとって「ここだけは変えたくない」というシステムがこのゲームに存在していないのです。果たしてそんなゲームに、時間と手間をかけて最後まで試行錯誤を続けることができるかどうか……多分僕にはできないと判断しました。(他にやるべきことはたくさんある、と思ってしまったのです)

ロジカルにプレイヤーの感情曲線が設計できていない、というのはその通りなのですが、なぜできていないのか、できないのかという理由がここにあるわけです。

まとめ

次作に向けて以下のようにまとめます。

ゲーム作りはモチーフからでもシステムからでもどちらでも良いが、そこに絶対に譲れないものがあるかを見極めよう。その譲れない理由こそが「プレイヤーに体験させたいこと」に直結しているからだ。
モチーフを設定するとき、そこに共感性があるかを考えよう。多くの人に共感してもらう必要はないが、たくさん売りたいのであれば共感性の高さは必ず必要になる。ニッチなもので勝負するのであれば、意見を聞く相手を間違えないようにしよう。

これからボードゲームを作ろうとしている人、あるいは今まさに作っているがうまく作れていない人の参考になれば幸いです。
なおあくまでも僕の考えですので、これが唯一なわけでも正しいわけでもないです。皆それぞれ自分なりの哲学を持てばいいんです。

ちなみに僕はキャバクラ経営のボドゲを作ってみたいと思っているのですけれど、これはキメラよりも確実に共感性が高いと思っています。
違う意味で躊躇して二の足を踏んでいるところですが、今回を経てやっぱりチャレンジしてみようかなという気持ちになりました。

テストプレイにご参加くださった方々へ、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました!



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