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令和元年から今に至る話

前記事の続きを書きます


弟と祖母を秋冬と亡くし、さらに母の手術とかで忙しく時が過ぎてしまった。
弟と祖母を亡くしたのに母と自分は支え合うというよりかは、この件については触れないという感じで自然にそうなった。
火葬をそれぞれ行い、母は祖母の時、弟の時、炉に棺が行く時涙をポロリと流していた。大泣きはしていなかったが、母にとって母であり、弟は息子だ。
泣かないわけが無い、自分はというと、泣けなかった。泣かなかった。
正直に言うと泣いていたが涙が出なかった。自分はこんな時でさえお兄さんに頼ってしまった。
お兄さんは祖母と弟に対してすごく仲良し!とまでは思っておらず、悲しいことだけど、泣くまででは無い存在らしい。
自分はお兄さんが出ている間に何も無い浮遊した状態の中で丸まって泣いた。

祖母、弟を火葬して次は納骨になったのだが、母の子宮の摘出のためすぐには出来ず、納骨は3月27日になった。
その日しか空いていなかったのか分からないが、自分の誕生日の次の日だった。自分の誕生日に近い日で家族ふたりをお墓に納めなければならない。卒倒しそうなくらい辛かった。
さらに母の兄であるおじさんもタイで暮らしていたが生活苦になり自殺をして小さな骨が10年ほど前にタイから送られてきていて、祖母はその骨を大事にしまっていたのでおじさんも納骨されることになった。
弟、祖母、おじさん、それぞれ清められ納骨されていく。
弟は樹木葬で祖母とおじさんは永代供養になった。
死んだみんなには悪いが墓を建てられるお金の余裕もないので、という理由でこうなってしまった。
納骨の時もお兄さんではなく他の人に頼ってしまった。年下の男の子だ。
自分の代わりに母に甘えてくれた。おばあちゃんも弟もいなくなって寂しいと言ってくれた。泣いたのは一人暮らしの家に帰ってからだった。

弟が呼んでいる

特に忌引以外で休んだとかはなかった。仕事で忙しければ弟のことも祖母のことも忘れられると思ったからだ。
人手不足も相まって自分は夜勤を月11回は入れた。
夕方4時半から次の日の朝の9時半までの夜勤をだ。9時半どころか11時まで残ったこともある。お金も入るし死んだふたりのことは忘れられるし、と。
だけどそれと同時に体と心が悲鳴を上げる。
夜勤は1フロア2人体制だった。人間反りが合わないとかは生きてる限りあるわけだが、見回りに全然行ってくれない、こちらが休憩中の時コールなってるのに行ってくれない、などの組む職員の当たり外れ、看護師からの圧、40数名の利用者、半数以上のオムツ交換、不眠、興奮気味の利用者[最高5人はいた]で自分もお兄さんも怒ることが多くなっていった。
腰痛も酷くなりまた夜勤なので食い溜めで食べる量もおかしくなり25歳にして糖尿病と診断された。[元々父方が糖尿病家系、診断されても食いまくっていた]この時はマクドナルドのセットを3~4セット食べてた。ご飯も一日で5合は食べてた。
多忙を極めとうとう弟が見えるようになった。小さい頃の弟や最後に見た姿の弟、水死体になった想像上の弟。[緑色でブヨブヨだった]
どの弟も自分を呼んでいた。早く傍に来て、早く来て。死にたいって思ってたくせに。
幻覚だと自覚しているのに仕事をしていてもゲームをしていても車を運転していても見える。いる。呼んでいる。
お兄さんが手配した心療内科に通い始め薬を処方されたが良くならず自分は怖くなり泣きながら職場の事務長に連絡をした。「大丈夫、それは夢だよ。現実じゃないよ。」と優しく言われながらも過呼吸を起こし危ないと判断されたので、職場の事務の人が家まで迎えに来てくれた。
連れてこられた職場で背中を摩ってくれて声をかけてもらいだんだん落ち着いてきた。
その後母と母の彼氏が施設長に呼ばれ、精神科に入院するように伝えられた。
自分は弟の呼ぶ声がする中、姿が見える中夜の精神科に向かったのだった。


初めての入院

自分は1階の広いフロアに入院した。任意入院扱いだったので個室で特別外から鍵をかけられたとかはなかった。
夜の入院だったためフロアはしん、としていた。
次の日の朝に患者さんに話しかけられまくった。初老の男性、母と同じくらいの人、年下…など色んな人だ。
パッと見ではなんでここにこの人入院してるんだ?と思うくらいだった。
だけどやっぱり人には人の事情があるわけで。初老の男性は食事の食器をセルフで片付けるルールなのにそれをせず看護師さんに注意されると癇癪を起こして保護室に連れていかれたし、母と同じくらいの人は統合失調症、年下の子はリスカをしないと落ち着かないらしく切れる物を探してた。
ご飯が来る時間になると出入り口をバンバン叩く子もいたし、レクリエーションで他の人が聴いてる曲が嫌いな曲だから変えさせようとする人とか。自分はなんで入院したんだ?って思われたくらいで、でも弟の声と姿は5日間ほど続いていた。
薬も飲み始めて5日経つと弟はパッと消えた。誘う声も聞こえなくなった。そうしたらあとはただ出してもらうだけだった。自分は退院したいと主治医に懇願した。主治医はすぐOKしてくれて母の仕事の都合で退院は来週になった。
ほかの人格がいることもこの時初めて主治医に話した。主治医は母親に「パッとすぐに治る病気ではないんですよ、解離性障害もうつ病も」と伝えくれたけど、母に届いたかは分からない。
たった2週間の短い入院だった。が、母はこれからの就職、保険に入るのに枷が付いたと退院した日に言ってきた。あぁ、入院してもしなくても自分にはもう未来がないんだと確信した。
退院してまた同じ施設で働き出した。夜勤はしばらく様子見だったけど人手が足りないとかでやった気がする。
気がする、というか、自分は覚えてない。仕事をしていたのはお兄さん達で自分ではない。自分は弟が死んだあの日から何も出来ないし変わってないんだから。
自分が今できることは、何もない。趣味の絵を描くことしか出来ない。その趣味の絵を描くことですら、自分にはだんだん出来なくなってる気がする。

2回目の入院

自分はもう一度同じ病院に入院した。朝から弟のことを思い出して辛くなり沈んだまま職場に行ったら心配してくれた事務長と主任が通院してる病院に連れていってくれたからだ。入院と決まってからお兄さんが暴れだしてしまったからだ。精神科で暴れればわかる人は分かると思うが強制入院だ。
看護師に抱えられ引きずられながら入院病棟に連れていかれた。この日入院を決断したのがいつもの主治医ではなかったので、お兄さんは今でもその先生を嫌っている。[今は病院にいないが]
鍵のついてる部屋に身体拘束をされた。服を脱がされオムツをつけられベルトをされて泣き叫んでも暴れても冷たい看護師さんたちの「はい、はい」が頭の中に残ってるとお兄さんは言った。
自分はもうなんでこんなことになってるのか分からなかった。気づいたらベルトをされてるしパニックになって叫んでも看護師さんは慣れてるのか来なかった。
来るのはご飯の時とオムツ交換の時と朝の血糖測定くらいで身体拘束されてる時はそれくらいだった。[血糖測定は糖尿病だから]
身体拘束は3日位で解除された。フロアに出て良くなった。年齢層は前回と同じくらいだったけど、明らかな拒食症の人、なんで入院してるのか分からないぐらいで夜も特別に外出してた人、やたら距離が近い男女とかいた。
この時の入院はほぼお兄さんがでてたので、話しかけられても無愛想すぎて友達?仲良く話す人はいなかった。
自分が出てきた時は週3の風呂とトイレの時だけ。
あと看護師さんと少し話したぐらいだった。自分の中にはほかの人格がいるんだよって話したら頭やべえなみたいな顔されたのを覚えてる。この時も2週間くらいで退院した。
しばらくして主治医が変わって今の先生になった。今の先生は前の先生がクールならフレンドリータイプって感じだ。なんでもはっきり教えてくれるし助かってる。
他の人格が出ても優しいのでみんな気に入ってる人間のひとりだったりする。


今現在の話

ここまで長々と書いてきたが、今現在の自分は絶賛求職中の無職で公的な手続きをしてる最中だったりする。
今年の5月末に9年[あと三日で10年だった]常勤として働いていた介護施設を退職、非常勤として7月から再登録されたものの[6月はマジで無職]最初はドクターストップで働けず、途中から週3午前中のみというルールで働けることがOKになったがこの時は波が酷く月に1回出勤できればいい方だったししかも9月の初めにコロナを患い自分は症状が重く9月はずっと体調が悪かった。
あまりにも休む自分に[休むしかなかったんだが]現場の職員は自分に対してイライラしていたし相手にはされなかった。
このままここにいても今度は自分の不甲斐なさで追い詰められてダメになるしお兄さん達もやめて次に行きたいって言っていたので自分は退職した。[週に20時間も働いてなかった]
この時もらった最後の給料は約4000円だった。

自分は治ったと思ってもやっぱり長時間拘束[派遣バイトしてみたけど6時間で悲しくなった]は辛かったし、どこにでもいるんだって分かってても人を下に見る人はいるから働くのって大変だな、しんどいなって思った。
11月28日、きっとこれで縁切りをしたかったんだろう。無職の為母にお金を貸してほしいと言ったら30万振り込まれた。
その30万という高額な金も支払いに消えた。こんな行くはずないと思ってたんだけど。
この記事を書いている自分は乗りなれない電車に揺られながら心はとても荒んでいる。
なんでこんな自分なんだろう。どうしてなんだろう。
就職活動をして、その職場である検査をしたら、優しすぎる人 と結果が出た。
優しすぎる人だから潰れるかも、長く働けないかもとレッテルを貼られ採用方向だった2つの職場は採用を渋ってしまっている。
願うならちゃんとした人間で生まれたかった。

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