見出し画像

伊坂幸太郎の砂漠を読んだら大学に行きたくなったよ

 僕は大学に行っていない。だけど別に行きたいとは思わなかった。社会で接する大学生達が別段楽しそうとも面白そうとも思わないから。怠惰で時間を持て余していて、その癖単位がとかレポートがとか宣う。みんな同じことばかり言って、それを言うマニュアルでもあるのかと思わざるを得ない。そんなだから別に大学生に憧れなんかなかったのだが、伊坂幸太郎の砂漠を読んで、こんな大学生活なら送ってみたかったなと強く思う。

 この物語の中で特筆すべきは、やはり西嶋という人物のキャラクター性だ。彼はいい。凄くいい。でも実際にいたら痛い。彼の登場シーンは80人もの学部の飲み会に遅れてやってきて、そこで演説を始める。やはり痛い。絶対に近寄りたくない。でもそういった人にこそ僕は近寄るべきだったのだろうか。いや、実際にいたらマジで痛いぞ、マジで。

 彼はパンクロックが好きで、戦争とか世界情勢とか、そういうことを気にしていて、それに対して真剣に取り組もうとする。知ったからには何かしようとして、変に大人ぶらず、目の前で起こったことなら全て助ければいいんですよと言う。なんとも真っ直ぐである。彼の存在によって、物語の雰囲気が決定づけられているというか、カラーが出てくるというか、そういうことだ。物語の仕掛けとか伏線の回収はさすが伊坂幸太郎といったところであるが、この物語が他の伊坂作品よりも突出しているように僕が感じたのは、その全体の雰囲気だ。大学生活を送る男女の青春の中で、西嶋という特異なキャラクターが及ぼす影響は大きい。それから超能力。学生生活×超能力とか絶対いい。本多孝好のFINE DAYSとかめちゃくちゃいいもん。他にも麻雀、合コン、学際、空き巣、不審者との遭遇、いろいろなことが巻き起こり、それらに対する西嶋の反応がこの物語の核をなしていると僕は思う。紛れもない西嶋小説。それくらい彼は光っている。

 やはり僕は西嶋なる人物と関わっていれば良かったと思うが、一見西嶋ぽい奴はいたかもしれないが、実際彼らはただの痛い奴であったと思う。ただ目立ちたい芯のない奴。それでも何か自己主張したくて何かを発するけど、無理くり喋っているだけだからどこかずれていて、周りからは距離を置かれる奴。そういう奴らと西嶋は違うくて、なかなか西嶋みたいな奴は現実にいないから、僕は何も悲観することはないのだ。

 最後の莞爾の台詞がめちゃくちゃいい。あれで大分彼の存在が上がった。物語中ではただの幹事でしかなかったのに、あれのおかげで彼はこの物語になくてはならないものに一気に格上げされた。やるじゃん莞爾。最高。エモい。



 本当に社会は砂漠だ。今僕はそれを実感している。そこであの頃は良かった、なんて学生時代を思い出す、なんてことのない僕は勝ち組。思えば僕はずっと砂漠の中を彷徨っていた。終わり。

#読書の秋2020

閲覧ありがとうございます。サポートなんてして頂いた日にはサンバを踊ろうかと思います。