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十人十色という考え方

ライフオーガナイザーのくらです。
毎日暮らしている中で、いつも気を付けていることがあります。
それは、私の目に映るものと同じものを周りの人も見ているとは限らないということと、同じものを同じようにみているわけがないということ。
色だけでも「黒」と言っても、個人で違う。
極端な考え方かもしれないけれど、私が見ている「からす」と隣に居る夫の見ている「からす」は色が違って見えているかもしれない・・・ということ。

また、仕事をしていくうえで、色々な人と出会い、会話し、理解しあうことで仕事が捗ると思っている。
でも、「理解しあう」という行為はとても難易度の高いコミュニケーションだとも思っている。
だから、「同じではない何か」に対して、共通の言葉や形、色を持とうとする。
そんな中で、今、音の聞こえない人や聞こえにくい人ともコミュニケーションをとることが増えている。
義母は高齢化により、左耳が聞こえづらくなっているし、手話を習い始めたことにより、音の聞き取りづらさによって、今現在の「一般的な生活」において、不具合もあることを知った。

以前から、「男女雇用機会均等法」だとか「ユニバーサルデザイン」だとか、何かと人類を平等にするための取り組みや世論はあるが、今一つピンとこなかった。
というのも、ユニバーサルデザインを決めているのは不自由のない人であり、男女平等を決めているのは男性。
もちろん、意見を聞いていると言っているし、そうであってほしいとは思うが首をかしげてしまう。

つい最近、夫が学校や会社の制服について、「着替えの時間を学校生活の時間や時給に含めるかどうか」という点で、ちょっと疑問を持っていたらしく、「2分ほどで着替えられる」という謎の見解を朝から言っていた。
寝起きの私はどうでもいいと思ったりもしたが、少し引っかかった。

「女の人は着替えるのに、ブラウスやらスカートやらストッキングやら時間がかかるって」
「家から着てくればいい」
「会社がダメっていうの」
「オレはいいと思うけど」
「会社ごとに違うでしょ。決めるのは男の人」
夫は黙った。私はどうでもよくて、二度寝した。

小さなことだけれど、会社の仕組みも、学校の仕組みも、今までのことはほとんど、いや全部を男性が決めてきた。
着替えもしない男性が、生理痛をしらない男性が、知ろうともせずに決めてきた。
決めてきてるのに、理解が浅い。
こちらは、生理痛で毎月痛み止めを飲んで、痛みをごまかしながら仕事を続けてきた。毎月、お世話になる鎮痛剤。
おかげで、色々試したし、市販のものがどうしても効かなくなっていることもある。
それほど人生に上がり下がりのない私ですら、困ることが多いのに、もっと大変は人達はどうすればいい?

多様性と向き合うのは大切だと思うけれど、向き合うという覚悟がないまま向き合っても、お互いに傷つくことが多すぎる。
自分でも知らなかった、自分の中のラインや閾値を取っ払うことの難しさは、年齢を重ねるごとに難しくなると思っているから。

年齢に見合わない柔軟な感覚、感情を持ち続けたいと思うのも、また多様性を理解しようと思う頑な感情なのかもしれない。
混沌とした世界の中で、自分だけでなく周りとどうしていくか。

端的に言えば、私は手をつながなくてもいいと思っている。
ただ、手をつながずとも、隣に誰かがいることを自分が許せばいいと思う。
もちろん、手をつなぎたい相手も出てくるだろう。
ただ、手をつながない相手も世界にいるメンバーで、誰かと手をつなぐ相手なのだということを忘れないようにしたいと思っている。

環境への配慮、地球のために出来ること、世界の誰かのために出来ること、そんなぼんやりとした大切なことに対して、明確な何かを目標にすること。
そして、それを世界中のみんなで継続していくこと。

そんな中で、私は私の出来ることを継続する。
例えば、ごみの分別は絶対する。ごみを減らす、フェアトレードのものを購入する。公共のものを使うときには丁寧に扱う。
自分以外の誰かの考えを否定しない。

小さな小さなことだけれど、私は私の暮らしのために継続していきたいと思う。

#SDGsへの向き合い方

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