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Long interview with H.Ohashi, director of AmA. / アジア・ミーツ・アジア主宰大橋宏インタビュー全文(by Hiroshi Hasebe, August 2019)

It is all in Japanese, however will be translated in English later. Looking back, what he talked was so important. Many thanks to H.Hasebe, interviewer and the editor.  

2019年8月12日
Asia meets Asia 代表・大橋宏さん インタビュー
同席:原田拓巳さん
於:プロト・シアター

(AMAの成り立ちについて)
僕は劇団DA・Mという自分の劇団でジャンルや国籍、言語を越えた表現を長くやっていて、そこでカナダ、韓国、アメリカからの表現者とコラボレーションをしていました。共同作業として招待した中に韓国人の方がいて、今度は韓国に来てください、と言われ、韓国のスウォン市で開かれる「一人国際演劇祭」というのに招かれました。それが1996年ぐらいかな。その場所で韓国の劇団の方と出会って、「僕は東京にアトリエ(プロト・シアター)がありますから、東京に来て舞台をやったら」と軽い気持ちで言ったんです。

その時にDA・Mの音楽を担当していた竹田賢一という人が、「ちょうど1997年は香港の中国返還の年だから、知り合いの民主化運動をずっとやっている香港の劇団CLASHを呼んで、日本、韓国、香港の3劇団でやろう」という話になりました。私たちは毎年夏に世界最大の演劇祭であるフランス南部のアヴィニョン演劇祭に参加していて、その演劇祭では一つの劇場で一日に5~6団体が切り替えながら公演をやっているんですね。ああいうやり方があるんだ、とその時に気が付きました。私も一日3公演を同時に鑑賞できたらいいんじゃないかと思いつきました。フェスティバルだと、ひとつ見たら次の日に別の公演を見たり、劇団同志でも自分の公演が終わったら帰ってしまったりするので、集まった人間がお互いに観ることができる形、滞在しながらお互いに鑑賞したり、シンポジウムをやったり、ワークショップで作業を共有しあう、そういう形のフェスティバルをやろうと考えました。その時に、このフェスティバルはどういうタイトルがいいかという話をして、僕のNYの知り合いに電話してみたら、簡単に「Asia meets Asia がいいんじゃないか」と言われて、その名前を使うようになりました。

1日に3劇団の公演を見るということは、休憩をはさみながら3~4時間ぐらいかかるわけです。ちょっと無謀なんですね、特にこういう狭い場所の場合は。今でこそ、このような小劇場に海外の劇団がやってくるというのは増えてきましたけれど、当時はまだそんなにたくさん行われていることではなかった。このせまい空間の身近な距離で、海外の劇団と出会うということはあまりなかった気がします。なので、お客さんからは非常に評判が良かったんです。私は1回で終わりにするつもりでしたが、「ぜひ次の年も」ということを皆さんに言われました。そして次にはインド、マレーシア等の海外の4劇団を招聘し、日本からも同じく4劇団を招いて、もう一つの劇場も使いながら合計8劇団のフェスティバルを1998年に開催しました。

私は、やはり東京で育ってきて、西洋の文化に影響されてきたというのが正直なところでした。それが、韓国や香港の演劇人と出会い、Asia meets Asiaをやり始めると、身近な場所にいるのに東洋の文化を知らないという事実に気が付いた。たぶんカルチャーショックを受けたと思います。それまで西洋一辺倒であった文化的イメージがまるっきり変換させられて、アジアに興味を持つようになりました。当時からサッカーチームや観光で我々はどんどんアジアには出てゆくんだけど、アジアの文化は何も知らないんだなと実感しました。

当時のアジア舞台芸術の文化交流は、経済と一緒で、よく観察してみると、ほとんど東南アジアの同じような劇団が回っているだけだった。私はアジアを知らないことに気が付いた時に、やはりアジアの内陸のほうまで知りたいなと思い、同じ劇団を呼ばずに、フェスティバルの形で毎回違った都市から演劇人を呼んでいこうと考えました。そして内陸に入り、どんどん西に進んでいったのです。そして1997年から、毎年はちょっと難しかったのですが、だいたい隔年でフェスティバルを開きながら、6回ぐらい開いた時にようやくシリアまでたどりつきました。それまでにだいたいアジア19都市ぐらいからの演劇人を呼びました。今までに東はジャカルタ、西はシリア、そして中央アジアのキルギスタン、インド、バングラデッシュ、そして、イランとイラク、アフガニスタンからも招いています。

私自身が基本的にはプロデューサーというよりも、演出という表現者なので、ずっとプロデュースをして招聘していくというよりも、毎回いろんな人々たちとコラボレーションしてゆく大切さ、ただお互いに鑑賞しあうのではなく一緒に舞台を作ってゆくということが大事だったので、2011年以降は招聘してフェスティバルをするという形式をやめて、「Asia meets Asia コラボレーション」という形で共同制作の方向にシフトしていきました。

(苦労したこと)
昔はまだ電子メールが発達していない時は、ファックスを送るのにも時差があるし、現地の方が出てもファックス切り替えのボタンを押してくれなかったりするので、10枚近い企画書を何度も明け方に3~4時間かけて送っていきました。海外送金も簡単ではありませんでした。招聘するための航空運賃をインドの人に送るとして、5人ぐらいの総額は70万円ぐらいになります。インドの銀行の日本支店に行き、送金しようとすると、銀行員が送らないほうがいいと言うのですよ。システムが悪いから送ったお金がどこにいってしまうかわからないと言われました。インドの大きい銀行の日本支店は2つあるのですが、どちらでも同じ答えが返ってきて受け付けてくれませんでした。先方の口座情報を知っているのに、お金を送ることができない。次に郵便局に行って、安全のために書留を依頼すると、そうしないほうがいいと言われる(笑)。じゃあどうやって送るんだと聞くと、普通便で現金を送るのが一番安全だと言われました。70万円を一度に送るのは危険なので、半分ずつ送りました。ただ、その紹介してもらったインドの人々もファックスでしかやりとりをしていませんでした。現金を送って本当にやってくるのか、何の保証もありませんでした。成田空港で実際に彼らが本当にやってきた時は、衝撃でした(笑)。そんなことに驚いてしまっていたのが、最初の頃でした。

アフガニスタンから呼んだ時は、同じようにお金を送ったのですが、現地から出発する時に電話がかかってきて、「今、空港にいるんだけど、席がない」と言うわけです。チケットはもちろん買って送ったのに席がないというのはどういうことだと聞いたら、「席がないから飛行機に乗れない」と言ってきました。こちらはすべて準備してチラシまで印刷してプログラムを組んでいるのに、彼が来ないことにはどうしようもない。とにかく東京に来る飛行機はないのかと聞くと、いったんボンベイに行き、そこから東京に向かう便があるとのことでした。それを買ってもらったのですが、実は空港で他の人がもっと高いお金を出すと席が取られてしまうらしい。あとで調べてみると、当時パキスタンで大地震があって、近くのカブールからパキスタンに多くの人が流れているから、そこに救助に行くために席が取られてしまったようです。その公演をアフガニスタン研究者が見に来ていたので、事情を話したら、「戦地から人を呼ぶというのはそういうことだ。まず来られたということだけでも良かったと思ったほうがいい」と言われました。日本にいれば、チケットを買えば当然飛行機に乗れるのが当たり前だと思ってしまいますが、戦地のどさくさに紛れると何が起こるかわからないということでした。

呼んでみると、泊まる部屋をもう少し大きくできないか、などとも言われたこともありました。もちろん、皆協力的ではあるのですが。僕らも少ない予算と人数でやりくりしているので、また新しい部屋を用意するとなるとすべての計画が崩れて、フェスティバルの運営自体が困難になってしまいます。そういう来日してからの問題もありました。でも基本的にはみんな協力的ですね。時間も守るし、シンポジウムではこちらが意図したようにきちんと発言してくれるし、おたがいに異文化同士でわからないながらも、コミュニケーションはできていたと思いますね。

あとはやはりイスラムの国が多いので、食事や飲酒の問題があります。でもいざ呼んでみると、お酒も飲むし、踊りもするし、みんな一人一人ですよね。自分はイスラムだから飲まない、とか、ここは外国だからイスラムは棚上げにしてお酒を飲む、とか、宗教はあるんだけど、一人の人間として自由に選択しているなという印象でした。必ずしもイスラム教だから単一だということではないです。


(毎年のテーマの作り方)
フェスティバルを作っていた時は、テーマは特に上げてはいませんでした。それぞれの国の問題意識を持ってきてくれという方法でした。たとえば、それぞれの国でグローバリズムが進む中で、自国の文化が変わってゆく怖さなど。イランの場合は、まだけっこう検閲がありますから、それをどうかいくぐって人間の自由を標ぼうするのか、とか、それぞれの国の在り方と表現の自由がある。

コラボレーションの共同作業にシフトしてゆく時には、まずタイトルもなく、集まった人々とその場で作り上げてゆく即興的な手法でした。でも途中からタイトルをつけていって、一番最初につけたタイトルは今回の「漂流者」の原点となった「Lost Home」(失われた故郷)でした。そして次には「Return」(帰還)、それから「Hope」(希望)という形にしていきました。その3部作からテーマを作っていきました。最初は即興で作っていましたが、作品性を出そうとした時に準備が大切になる、そこで僕があらかじめテーマを伝えておいて、そのテーマに基づいてテキストや演技、アイデアを持ち寄ったりする。その仕込みの時間が一番大切ですが、参加者のモチベーションを高めるということも大事です。

よく聞かれるのが、「毎回どうやって劇団や参加者を探しているのか」ということですが、これは基本的に招聘した人々がおたがいに次を紹介してくれるのです。そういう形で草の根的なつながり方をしていった劇団を呼んでいるんですよ。どの国の劇団にも西洋的なポップカルチャー的な表現もあるだろうけれど、僕らが呼んだ劇団というのは大体どこも反権力的で体制に批判的な人々が多かったんですね。自由というものがそれぞれの国でどうあるべきかを見つめる表現が多かった。その面白さはありました。たとえば麻薬や文化の崩壊など、それぞれの国の事情が透けて見えてくる。シリアの人々の場合は、牢獄に囚われている状況を表しているのが非常に強い表現でした。

(実際の舞台の作り方)
毎回集まってきてから1週間弱ぐらいの日程しかなく、初めてその場で顔を合わせるわけです。最初の二日間ぐらいは持ってきた素材、アイデアのプレゼンテーションを口頭でしてもらいます。次の二日間で体を使った演技、表現のプレゼンテーションをしてもらう。そしてその後に僕が構成表を出して、流れを作ってゆきます。そして最後の二日間で、流れを固めてゆく。もうスリル満点の稽古です(笑)。

その構成表を基に一発で良い流れを作らなくてはいけない。最初の口頭のプレゼンテーション、これは通訳を交えるので、とても時間がかかります。たとえばその現場にアフガニスタンの人がいて、中国系の人がいるとする。そうすると、まず日本語で話す、それを英語に直す、アフガニスタンの場合はダリー語に変えてゆく、そしてもう一方で英語から広東語や北京語に変わる。だからまず僕が日本語で話すとひそひそ声で通訳が始まって、そこから質問が出たりすると、それにこたえるとまたひそひそ声の通訳が始まる。日本語だけだと1分で伝わるものが、10分かかったり1時間かかったりする。まずはそのプロセスを耐える。ただみんなそれを超えなくてはだめだと了解していますよね。ただ伝わらないことがもどかしいというのではなく、良い意味で「時間がかかる」ということを了解してゆくプロセスですね。

ただ、それが演技の場面になってゆくと、今度はときどき通訳が邪魔になってくる。大枠を言葉で理解したあとで、身体表現に移していった時に「ここは違う」と言ってしまうと、表現者を全否定しているように聞こえてしまう時がある。「分からないということの良さ」が本当はある。僕は今日の話はここが一番大切だなと思うんだけど。全部が分からなくてもいいんだ、半分もわからなくてもいい、ということを全員が了解してゆく。それぞれがやっていることを見て、聞いて、了解できるということの面白さがある。

たとえ意味が分からなくても、身体を持つ者としての最低限のコードがあります。身体というものが共有できる、理解できるコードになってゆく。叩けば痛い、嬉しければ体がほころぶ、集中すれば緊張する、ということのあらましの中に、コミュニケーションの一番大切なもの、我々自身が何かを訴えかけようとするもの、がその人の中にある、ということに観客が興味を持つということが最初で、理解してしまうと、自分の中の理解でくくられて、それ以上進まないですよね。そこに「何なんだ」という疑問符が出てこないと、お互いに対する興味が生まれない。ただ、頭で理解して「面白かったです、そういう違いがあるんですね。」というところで終わってしまうと、「違い」というものを理解したということだけで、何の成長もない。「私は違いを理解しました。」というところから進まなくなる。だから「分からない」ということが動機になるということが大切です。

(異文化交流)
よく「異文化交流」といった時に、お互いの違いを理解する、という話になるけれども、僕はそれは本当に理解したことにはならないと思う。やはり、「分からなさ」を理解して受け止めあう。それが一番大切だと思う。たとえば日本人同士でも、結局分からないものは排除するでしょ? 今の文化というものは「分からないもの」を排除する。そうすると「分からない他者」を排除する、そういう形が異文化交流を妨げているのであって、理解できるということで異文化間が交流できるということよりも、つまり、「分かろう」とする姿勢よりも、「分からなくていいんだ」という考え方から始まる。分かろうとして努力して、結局分からなかったということになってしまうともう排除しているんですよ。「他人は理解できる」という姿勢がアウト。理解というものは「理解ができて終わり」ということではなくて、「理解をしながら分からなさに進んでゆく」というふうにしていかないと、「分かる」ということが目的になってしまう。あくまでもわからなくていいという形を受け止めあう、ということが大切だと思います。

そして、異文化交流という前に他者との関係が大事です。異文化交流というのは、世代間、ジャンル間、環境が違うというところにもある。結局、言葉が分かっているとはいっても、男女だって離婚するし、喧嘩もするし、これだけ同国人同士で争っているんだから。言葉が分かるということは、必ずしもコミュニケーションの成立要因ではないと思います。逆に言葉が分からないことによって利するものがたくさんあります。

そして、異文化交流というものも結局は時代のファッションだと思う。オリンピックが開催されたり、グローバリゼーションの時代の中で企業が異文化を理解して海外に資本を持っていったり。異文化交流というのは昔からずっとあるわけで、今始まったわけではないし、結局は時代の要請だと思いますし、しかもなんか風穴が開いたようで心地いい感じがしますよね。それぞれの文化には違いがあるから、それを理解しなさい、というところには、生の緊迫感がありません。

今回、我々は「難民」というテーマを上げますが、生命がかかわってくる場面において異文化を理解することが大切なのであって、異文化理解で観光地に行って楽しむとかモノがたくさん売れるようになるとか、そういうレベルであれば、翻訳の精度を上げたデバイスができればいいだけ、ということになる。本当の意味での異文化の他者を理解するということは、その人たちをどうやって排除しないで自分たちと共生していくのか、ということであって、今の日本で問われている異文化交流の在り方というのは、本当の意味では行われていない気がする。つまり他者理解ということにとどまらずに、生死が問われているというレベルまで見つめていかなくてはいけないと思う。今回、「難民」をテーマとして取り上げることになってから、さらにその思いは強くなってきました。

1987年ごろに助成を受けてニューヨークに行ったことがある。現地で誰に会いたいかと聞かれたので、日本で言う前衛劇場の総本山のような有名なラ・ママ実験劇場のエレン・スチュワートに会いたいと頼んだ。そこで、彼女に会えた時に「国際的なコラボレーションをやりたい。」と言ったら、大笑いされた経験があります。ニューヨークではみんな国際コラボレーションでしょ?と言われた。そこで大ショックを受けてしまった。なんて東京が遅れているのか。要するに異文化交流をする、という発想がそもそも異文化交流ではなくなっている、ということ。つまり日本人同士であっても異文化交流なのであって、そこに違う国の人間が入ってきたからといって、それは言語が違うのではなく、人間が違うということでなくてはいけない。言語がたまたま違ったからといって、そもそも人間みんな持っているものは違うのだから。ニューヨークではみんな英語を話すわけだけど、そこにはいろいろな国の人間がいるわけで、みんな違う。異文化交流というのは国や言語の違いではなく、人がまず違うというところから始めなくてはいけない、ということを改めて思いました。

(言葉について)
最初に舞台を作る時に、たとえば中国語、英語、タイ語などそれぞれの言葉を話す人がいると、そうした時に舞台でどうやってその言葉を伝えるのかということが問題になる。字幕を映し出すのか、その場で同時通訳するのか。僕らは字幕を出すことはやめにした。字幕を出して分からせるのではなく、その国の言葉を聞く、わからないものを聞くということが一番大切だと。リズムや声の抑揚があったり、分からないものを分からないものとして受け止めるというところから、興味がわいてきて始まるのであって、その言葉の意味は、あとでパンフレットで配布したりするので、まずコミュニケーションの現場では、分からないものを受け止めるという形で、僕らも観客に対しては分からないまま体験してもらう、と。よくある国際交流の演劇企画で、外国の人が話すことに字幕を出したりしますが、僕ら現場をやっている人間からすると、すごく気持ち悪いんですよね。ああ、分からせてしまっている、そこで今起きていることをお客さんは見ていないでしょ、と思ってします。

見るべきもの、聞くべきもの、ではなく、日本語で分からせてしまっている。まずはその国の言葉を受け止めるということが大事。何かを訴えかけている人間をじっと見ると、モチベーションや存在が見えてくる、それが大切だと思う。僕らも公的助成をもらっているわけだけど、助成をもらっているのにお客さんに不親切ではないかと言われることもある。公の人に利するようにやらなくてはだめだ、ということを言われる。何が利するのかと考えると、言葉としての、頭だけの理解ではないんだ、と思う。国際舞台交流の在り方を考えてしまう。もちろんシンポジウムでは通訳を入れて言葉を理解しなければならないだろうというのはあるのですが、舞台芸術交流の話をすると、必ずしも言語理解だけではないんだ、おたがいの分からないところを受け止めながら、存在を認め合ってゆく。意味の理解を基に国際交流の舞台を作ろうとすると、結果的には舞台が言語理解のためのもの、つまりは翻訳でしかなくなってしまう。そういう舞台を多く観ると、僕としては寂しい気持ちになります。

たとえば全員が言葉で一様に理解すると、結局その舞台を言葉で縛ることになる。そうすると、思わぬもの、偶然的なものが出てくる余地がすごく少なくなる。最低限ここはこういうことでやろうという理解があったとしても、その理解のしかたが少しずつみんな違っている。思わぬところで、「こんなことをするの!?」というものがぽろっとこぼれてくる。その面白さがある。言葉で理解していると同じたくらみになってしまう。同じようなタイミングで同じような進み方になってしまうのだが、言葉で分かり切っていない彼らの解釈の自由な余地、その未知なところが残されていると、思わぬところで予期しないものが出てきて、舞台が弾けてくる。日本人だけでリハーサルしている時よりも、海外の演者が加わると、思わぬエネルギー、予定調和にならない面白さが立ち上がってくる。偶然性があるところに、生が飛び出してくる魅力があると思います。

(等身大の身体:様々なジャンルを超えて)
Asia meets Asia は役者もいれば、コンテンポラリーダンサー、舞踏家、詩人、そして大道芸人のような人もいます。経験値もかなりプロフェッショナルの人から、ほぼ素人に近い人もいます。経験の差がずいぶんあります。共同作業する時のコードになるのは、「等身大の身体」、表現以前の今ここにある人としての体、それが出発点です。どれだけ経験を持っている人間も、やはり今までやってきた経験をスタイルとして持っていってします。そうではなく、まずは人として向き合おう、「等身大の身体」から出発しよう、ということを考えています。僕が昔からやっている劇団DA・Mがそういうところがあったので、その考え方とテクニックがあるから、短い時間でまとめることができています。

本当の意味で言うと、ひとつの公演を6日間で作れと言われても、それはできないと思うんだけど、いつも「等身大の身体」から始めるということをやっているので、いきなり違うジャンルの人たちが集まってきても、そういうところから出発しようという表現を目指しています。そういう意味で、参加者たちはとても喜びますよね。今まで自分がやってきたことをゼロから洗い直せる。ですから、いろんなジャンルの人間たちには、「等身大の身体から出発しよう」ということを訴えかけています。僕らが見せたいものは決して上手なものではないと思うんですよね。伝えようとする気持ち、コミュニケーションする意思、それを強く見せたい。

たとえば演技の上手な人がいて、そのテクニックに詩人が合わせるといってもできるわけがない。ただ、たとえば食事があるとして、フォークを使う人もいれば、箸を使う人もいる。でも何もなければ手づかみで食べるわけだし、そこまで表現を下せば皆で食事を楽しめるじゃないか。食べ方の様式うんぬんよりも、食べることを楽しむ、歌を歌うことを楽しむ、うまく歌わなくても、おたがいにリズムやメロディを共有すれば、皆で歌が共有できるわけだから、演技をする時にお互いの声を聴いて応えていけばいいじゃないかというふうに発展できる。ゼロに落とすことによって、上手い、下手はなくなっていきます。

観客には上手なものを見せる、高度なテクニックを見せるというアプローチを、逆に批判します。たとえば村の祭りで歌い続けてきた老人の歌がいいという場合、それはその歌が上手いからいいのではなく、その老人がつちかってきたものがいいわけです。しかし、メディアに出てくる上手なものというのは、言ってしまえば資本主義社会の中で洗練されてきたものが見るに値する高度なものだとされてしまう。そうじゃなくて、そこでコミュニケーションをしようとするためのその場での知恵とか、こうすれば気持ちよくお客さんに声が届くとか。どうやって目の前のお客さんに動きや言葉を伝えるかというテクニックは、どの国の人間も日常生活でつちかっている。目の前の人に分かりやすく伝えるにはどうしたらいいのか。自分がやってきたテクニックに持っていってしまうだけだと、本当の意味での強さや緊張感よりも、演じているほうが自分のテクニックを追うことに気持ち良くなってしまう。お客さんがそれに感情移入できればいいけれども、上手さや練習量を評価されて終わってしまうと、そこにはコミュニケーションがないんですよね。そうではなくて、今、この人たちと向かい合っている、伝えようとしているという気持ちが出ないことには異文化交流にならないわけだから。ただその人たちの技芸を「上手」という形で見せてしまうとアウトだなという感じがします。

(演者として:原田さん)
いろんな個性や習慣、価値観の違いがある中で、必ずしも全員がいつも結束してやっていけるわけではありません。ただ、Asia meets Asiaの場合は、こうやって集まって出会えるということ、そして1か月ぐらい海外公演を一緒にやるということは、奇跡的なことでもある。舞台上で出会えるということは、いろんな誤解などが氷解していきながら継続していく、みんながお互いに認め合う、ということが大きな力になっている。日本では通訳がつくけれども、海外遠征の場合は通訳がつかない場合もある。そこでは「分からない」という中で生まれてくるものがあると感じます。自分が言葉を理解していたら感じられなかったことを、その人はやっているのかもしれない、ということです。


(切実な環境の中で)
イラクの劇団を呼んだ時に、ちょうど湾岸戦争が終わったばかりで、ヨーロッパに亡命しているイラク人がたくさんいる時だった。ヨーロッパですでに生活基盤を築いている人々も多かった。ワークショップでやったのは、今フセイン政権が倒れて復興ムードにあるが、その時に自分はヨーロッパからイラクに戻るのかどうか、ということが問われる。その時にヨーロッパからイラクに戻る時、シリアのほうから入って砂漠地帯を越える時に、ゲリラに襲われる可能性がある。では命を賭けてあなたは戻りますか、という課題のワークショップをやった。その時の訴えかけ方がすごかった。他の参加者が泣きだしてしまうほどでした。自分の国で問われていることの切実さを打ち出したそのワークショップが心に残っています。「私は演劇としてはプロフェッショナルではないので演劇のワークショップはできませんが、今私が問われている問題を皆さんにやってほしい。今、皆さんは一緒にバスに乗っています。誰かが、危険だからこれ以上進むのはやめよう、と言い出す。その時にあなたはヨーロッパに帰りますか、それとも進み続けますか、それを議論してください」 。参加者はそれぞれの経験を元にどういう動きをするか演じてゆく。それはとても興味深かったです。普通の異文化交流のワークショップでは出てこないような課題がふと出てくる。

Asia meets Asia の最終目標としては、最終的にはアフガニスタンのカブールとイラクのバグダッドで公演ができたらと考えている。シンポジウムでイラクの演者たちに「バグダッドで公演はできるか?」と聞いたところ、「ウェルカム、食事付きで招待するよ、ついでに時限爆弾も。」と言われました。アフガニスタンの劇団を呼んだ時に同じ質問をしたら、「できるよ、でも劇場はなくて路上になるけれど。そして、みんな唾を吐きかけられると思う。」と言われた。つまり、食べるものもないのに、演劇なんてやっている場合じゃないんだ、ということ。それが10年ぐらい前で、そこからどれだけ変わっているかというと、僕はそんなに変わっていないと思う。


(NGを出す時)
まず一つは、シーンの構成表を出して、ここではそこまで具体的にやらずに抑えたほうがいい、というようなことを言ったりします。二つ目はAsia meets Asiaがここまで進んできて、中心メンバーがそろってきて、そこに毎回新しいメンバーが入ってくる。結果的に、少しずつ信頼関係が出てきて、緊張感が抜けてしまう時がある。そうなると演技を見せているだけになってしまう。これだけ稽古時間が少ない中でやるとなると、いつも僕が言っているのは、これは非常事態の中での演劇だということ。自分が見せたいものがあると、どうしても余計なことをたくさんやってしまいますが、非常事態の時は命だけ持って逃げればよい。あなたの命を見せてくれと言っている。つまり、伝えたいことの意思だけをしっかりと入れてくれということ。それだけ打ち出せばいいのに、演技を見せてしまうと、我々の異文化交流ではなくなる。

切迫感があるべき。それを見ることで他者を理解することにつながる。分からないけれど何かを伝えるということをしなくてはいけない。演技に対するダメ出しは、「等身大」を大事にすることから、決まった演技から入らない、たとえば、「石を運ぶ」ということと「歩く」ということ。これは等身大の演技をするための技術やバランスが大事になってくる。手先だけではなくて、体が石を運ぶ、歩く、という本来の動き。相手の体の動きを感じて反応するということは日常生活でもしているはずだが、それが出来ていない時はダメ出しをします。等身大の身体表現とは、スタイルのない集中力、意識をどこに持っていくのかが大事になる。

(各国間のトラブル)
一度だけ、韓国の俳優で、個人として参加しないで国を背負ってきているアプローチをする人がいて、異文化交流が政治的なぶつかり合いになってしまった時がありました。でも、庶民レベルでは友好的です。政権は批判するけれども、そのことと民衆レベルは違うという意識を持っている。そういうことは意識しない。政権を批判されていることで、国が攻撃されているとは感じない。
(原田さん)
個人の中では色々あっても舞台には持ち込んでいないというのが分かる。おたがいに理解しないと物は作れない。なぜAMAに参加したのかという問題意識をほとんどの人が強く持っていると思います。

(初めて会った人とのコミュニケーション)
まずは笑顔ですね(笑)ウェルカムの気持ちを笑顔で表して語りかけることにつきる。その裏側にあるのは「分からないけれど何とかなる」という気構え。おたがいに分からないところを認めることで、距離はもう埋まっている。

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