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貫成人『哲学マップ』ではじめる哲学史のキ【ブックレビュー】

哲学とは、「それにしても本当はどうなっているのか?」という問いを追求するなかで生まれたものだ。本書『哲学マップ』は、「哲学」と一口に言っても、そのあまりの多様さと難解さにひるんでしまう、そんな初学者に向けて西洋哲学史を中心に、哲学の「問いと答えのアーカイブ」を俯瞰するマップを提供する。

哲学史といっても、主要な哲学者とその思想をただ並べるだけでは済まさない。「マップ」というだけあって、古代ギリシャから現代哲学まで、一体なにが主題となり、なにが語られてきたのかを「哲学的思考図式」になぞらえて、I~IVまでの4段階に分けて解説する。本書では、「それにしても本当はどうなっているのか?」と問う営みである哲学が、「~とはなにか?」(古代ギリシャ~中世哲学)「それをわたしは知りうるのか」「わたしとは何者か」(近世哲学~近代哲学)「一体なぜこのようなことを問題にしていたのか」「求め、望んでいた答えが手に入らないとわかったとき、どう気持ちを切り替えればいいのか」(現代哲学)の3段階に変化してきたという歴史観を取る。

「~とはなにか?」:本質を見出す哲学的思考図式I

現在でもなお有効な意味において「哲学」が始まったのは、ソクラテス(BC470-399年頃)においてだ。

ソクラテスは、「Pとはなにか」という問いに、「XはPの事例だ」という形でではなく、「PはFという性質を持つ」という形で答えることを要求し、その答えの候補を片っ端から否定していった。このソクラテス式問答法は、定義や本質をあえて問うことによって、日常の足元を掘り崩し、日常の外へと出ようとする。そして、日常では問題にならない「本質」や「原理」を求めようとする。ここに、哲学の企図が現れている。

彼の疑問は、その弟子であるプラトン(BC427-347)によって一応の答えが与えられる。それが「イデア」だ。

ソクラテスは、たとえば「善とは何か」を問題にした。「たとえば、人を助けるのは善行である」「王様は善人である」こういったことを答えても、それは「善の本当の意味」を答えたことにはならない。あらゆる事例を網羅して、そこから本質的な共通項を抽出する。「善」とは「善のイデア」であり、それはすべての善行・善人に共通し、古今東西変化しない。プラトンは、ここで<いつでも、どこでも、誰にでも当てはまるもの>(「普遍的」なもの)を示唆した。

こうして、永遠だが単純なイデア界と、生成消滅するが複雑な現実界のコントラスト、イデアと現実という二つの項を対立関係として捉える世界観(二項対立)が生まれる。混沌とした現実の全体をとらえようとする際、どこかに変化しない永遠の本質を置く思考法は、その後、多くの哲学者にとって暗黙の前提となり、現在でもなおそれを踏襲する人は多い。その意味で、イデアと現実の二項対立を哲学的思考図式Iとよぶ。

プラトンの弟子アリストテレス(BC384-322)は、「四原因説」を説く。これは、存在者(個物)に芽吹き成長しようとする力である「作用因」、人間らしい姿や菊らしい形をめざす「目的因」、それぞれタンパク質やアミノ酸、繊維質からなるという「質料因」、そしてそれぞれが目指す姿、あるべき姿である「形相因」の4つの性質を認める考えだ。アリストテレスは、タレス以来の諸哲学を総合する枠組みを提示したともいえる。

一口に個物といっても、色やにおいのように、「なにかの」色やにおいとしてしか存在し得ない「性質」と、山や人のように、それだけで存在しうるものがある。心身二元論においても問題となる「実体」という概念は、ここでいう「他によらず、それ自身だけで存在するモノ」であると定義される。しかし、本当に「他によらず、それ自身だけで存在するモノ」なんてあるのだろうか。先ほど挙げた「山」も「人」も、無から生じたものではないし、永遠姿形を変えずあり続けるものでもない。不動の動者としての造物主は、原因をたどる無限後退を避けるための、一種の独断論である。

いずれにせよ、このような全体をカバーし、しかも内容において矛盾を含まず首尾一貫した考え方を「体系」とよぶ。かれらは、諸物のあり方や善の内容を知ろうとするのではなく、イデアや原因が存在する仕方にかかわる形式的考察や、その探求方法に関わる方法論的考察をおこなっていた。

中世哲学は、個物(存在者)と普遍(同一者)とをどのように調停するかを巡る論争である。そのため、「普遍論争」と総括されることが多い。アンセルムス(1033-1109頃)「概念実在論」ロスチェリヌス(1050-1120頃)「唯名論」が代表的な立場であった。概念実在論は、ある普遍的概念は、すべての個物に共通するため、現実世界に実在しているという考え。唯名論は、個物は見たり触れたりすることができるが、普遍的概念はどこにもない。それらは名前だけであり、それを個物に適用しているに過ぎないとする。

しかし、唯名論を認めてしまうと、現在が人類すべてに及ぶというキリスト教の基本教義を根拠づけられなくなる。そこでアヴェラール(1079-1142)は、普遍的本質や概念は現実世界にではなく、神の考えの中に実在する、という「観念論」をとなえ、概念実在論と唯名論の対立を調停した。

また、中世最大の哲学者トマス・アクィナス(1225-1274)は、「神」の概念を把握するなかで、本質と存在の区別が存在者ごとに異なる点を明確にした。ある存在者が持つ性質には、本質と偶有性がある。そして、本質はあれど存在しないものもある。「神」は、「永遠の知性」「全知全能の存在」などといった本質をさだめようとすると、かえってその無限性を制限してしまう。トマスは、旧約聖書より「在りて在るもの」すなわち、存在することをその本質とするものと見出し、通常の存在者においては区別される本質と存在とが区別されない特殊なあり方を説いたのだ。

主観性の形而上学:哲学的思考図式II

ルネ・デカルト(1596-1650)は、<確実なものを見出す方法としての懐疑>という意味で「方法的懐疑」を確立した。ここで問題なのは、「疑える」か「疑えないか」という方法論的な区別である。その上で、疑っていることを疑いによって否定することは不可能であることを看破し、「我思う、ゆえに我あり」を明晰判明なものとして、すべての知の基礎とした。

ここで、主観・客観図式が生まれる。主観とは、「subjectum」だが、subとは「下に、基底に」という意味であり、jectumとは「おかれたもの」といった意味である。客観とはobjectumだが、「ob」とは「~に対して」という意味であり、ここでは主観に対してということになる。ありとあらゆる存在の根底には、わたし(自我)という主観が基底として存在し、すべては自我にとっての存在、その認識対象、思考対象である。こうした「語り、認識する主体/語られ、認識される対象」という図式はデカルト主義と言われ、これが哲学的思考図式IIだ。

デカルトにおいて、哲学の問いも変化した。西洋哲学は、「~とはなにか」という問いから出発したが、デカルトにおいては、それを問題にしている自分自身へと問いの方向が切り替わったのである。自分自身について、それはいかなる存在であり、その外部とどのように関係を持ちうるのか、あるいは外部についてそもそも知識を持ちうるのかどうかが今後の問題となる。

ところで、近世哲学の流れは「大陸合理論」「イギリス経験論」に区別できる。

デカルトやパスカル、スピノザ、ライプニッツなど「大陸合理論」に属する哲学者たちは、「実体」「因果」「力」といった諸概念を、それぞれ<全体>の中枢に据えた場合、いかなる全体像が導かれるかを、各概念の特性から導かれる筋に従って、徹底的に理詰めで考えたものである。この手法を「概念分析」と呼ぶ。大陸合理論における「合理」とは、「効率性」「正当性」などといった意味での合理性を追求する立場ではなく、諸概念からなにが導かれるかを首尾一貫して分析した理路を尊重する立場なのである。

これに対して、「イギリス経験論」はすべては経験にもとづき、また、経験にもとづかない主張は知識とは言えないという立場を取る。ジョン・ロック(1632-1704)は、各自はもともと「白紙(タブラ・ラサ)」状態でこの世に生まれ、さまざまな知識は、知覚や伝聞などの経験によって形作られると考えた。目に見え、触って感じられ、耳に聞こえ、舌で味わうなど、「感覚」をつうじてえられるものを「印象」とよび、印象によってえられるものを「観念」という。「白」「つぶつぶ」「甘さ」のようなものを単純観念、砂糖のように、複数の単純観念があわさって成立するものを「複合観念」、色のように複数の単純観念に共通の性質を取り出してえらえれるものを「抽象観念」とよぶ。

数学のような知的活動、あるいは言語活動などもすべて、単純観念からの複合と抽象という基本的道具だけを用いて成立している。彼の『人間知性論』は、知的合理性がもともとどこかにあるという考えを否定し、経験論の立場を生んだ。しかし、経験論を徹底すると、自我や実体、因果性などが成立しなくなってしまう。実際に、ロックは、実体を「なんだかわからないもの(we-know-not-what)」とみなすことになった。

ジョージ・バークリ(1685-1753)は、「存在するとは知覚されることである」とする「素朴観念論」の主張を展開する。これは、知覚を超えたものの存在を否定するという意味では素朴観念論だが、経験を超えた実在を否定する「素朴実在論」の立場でもある。プラトン以来の経験を超えたイデアや神こそが究極の実在、実体であるとする考え(超越論的実在論)とは対極に位置する。

デヴィッド・ヒューム(1711-1776)は、経験論を極限にまで推し進めた結果、知覚し得ないものすべてを否定する極端な懐疑論に陥る。ヒュームに依れば、因果性も「知覚し得ない」。たとえば机の上に制止したボール1があり、そこにもう一つのボール2がぶつかって、初めのボール1が動き始めたとしよう。そのときだれでも「ボール1がボール2にぶつかった。だからボール2は動き始めた」と言いたくなる。けれども「ボール1がボール2にぶつかった」こと、その後で「ボール2が動き始めた」ことは感覚的に知覚しうるけれども、「だから」を知覚することはできない。因果性とは、ある事象の後に特定の事象がしばしば続き(恒常的連結)、それがくりかえし知覚されることによって生じる思考の習慣にすぎない。

ア・プリオリな悟性概念:哲学的思考図式III

こうしたデカルトからヒュームに至る「自分が知覚したり、考えたりしているとおりに諸物が実在しているとどうして言えるのか、という問い」は、認識論的問題設定とよべる。カントは、こうした認識論的問題設定における大陸合理論とイギリス経験論との調停を図った。

すなわち、合理論は、因果性や実体、神などの概念を徹底して追及するとによって、宇宙全体や「神」に対する人間の位置を把握しようとする。これは思考の徹底という点では壮大な試みだが、ややもすれば確かめようのない事柄を主張する「独断論」におちいる。一方、経験論は実験や観察を重視する点で健全な考え方といえるが、それを徹底すれば、自我や実体、そればかりか、経験科学の骨組みを成す因果性や因果法則の客観性を否定する「懐疑論」におちいる。これは、知を基礎づけるという経験論本来のプログラムを否定する自殺行為に他ならない。

そこで、カントが示したのは、経験論が頼りにする「経験」そのものが知性の関与なしには成立しえないことだった。感覚的所与しか認めない経験論者は、実際のところ「経験」を説明できない。我々は、例えば視覚に映るモニターを正面と側面と背面から見た際に、これらを「ひとつの」モニターだと経験する。しかし、それぞれの瞬間に受け取った感覚的所与を「ひとつの」に統合する感覚的所与は存在しないからだ。では、なぜ我々は「ひとつの」経験ができるのか。カントによると、それは「悟性(知性)」においてだ。

カントは、感覚的所与からはえられない「ひとつの」を悟性から導かれるものとし、それを悟性概念もしくは「カテゴリー」とよぶ。こうした悟性概念は、量・質・関係・様相に関係しすべてで12の分類がなされる。これをカントは、「~に先立つ」という意味のラテン語を使って「ア・プリオリ(a priori)」なカテゴリーと呼ぶ。何に先立つかと言えば、当然、経験に先立つわけである。

カントの哲学は、諸物や宇宙の存在を前提としたうえで、それをどうやって認識するかさぐるのではなく、およそ諸物や宇宙などの存在者が存在者として成立するための条件をさぐる哲学となった。これを「超越論的哲学」とよぶ。

カントは、デカルト以来の合理論と、ロックらの経験論を調停したと言われた。だがむしろ、プラトン以来の「イデア/個物図式」(哲学的思考図式I)と、デカルト以来の「主観/客観」図式(哲学的思考図式II)を融合したものと考えることもできる。経験にあらかじめ(ア・プリオリに)備わったカテゴリーによって、経験対象の存在と主体の成立を解明するカントのやり方は、哲学的思考図式IIIとよぶことができる。

カントは、認識や存在に関わる狭い意味での哲学(『純粋理性批判』)だけではなく、倫理学(『実践理性批判』)や美学(『判断力批判』)に関しても体系的思索を展開していた。

認識においては、感性の多様が「ひとつ」といった「悟性概念」によって集約されることによって「この机」についての認識・経験が成立する。美的判断においては、感性によって起動する理性が無限を把握し、それを埋めていく想像力(構想力)が終着点を見いだせないとき日常を超えた「崇高」が経験される。倫理的実践においては、その都度の行為の選択を各人が行わなければならないが、その際には「人類全員がそれをおこなっても差し支えないかどうか」を判断しなければならず、それは実践理性によるとされる。

認識においては感性と悟性、美的判断においては理性と想像力、倫理的実践においては理性という、それぞれ異なった原理が登場する。人間活動としての統一性が寸断された状態に陥ってしまう。それを批判する中から「ドイツ観念論(理念主義)」が生まれた。

ゴットロープ・フィヒテ(1762-1814)は自我をすべての根底に存する原理とした。行為と認知が一体となった状態、もしくは認知される事実と行為とが一体となった「事行」において、自我と非我の分割が生じ、さらにそれが複雑化していくとフィヒテは考える。対して、フリードリヒ・シェリング(1775-1854)は客観に原理を求めた。すべてを生み出す単一の根源に、なんらかの規定をあたえることはできない。なんらかの仕方で規定されてしまえば、そこから、その規定に反するものは生まれなくなってしまうからだ。そこで、一切の規定を排除した、自然という根源的同一性からさまざまな秩序が自然に発生するとシェリングは考えた。

しかし、単一構造からすべてを導出するのは容易ではない。ヴィルヘルム・ヘーゲル(1770-1831)は、あらゆる原理を吞み込んでゆくことによって生成する運動過程によって、すべてを覆う体系を築こうとする。それが弁証法である。

一方がなにかを正しいと主張しても(定立)、その相手はただちにそれを否定する(反定立)。ふたりが対話によって、お互いの言い分に配慮しつつも、対立を超えた新しい次元を見出し、第三の意見に落ち着いた時、対話は完結する(綜合定立)。こうした、元の意見を捨てつつも、肝心な要素は温存し、あらたな高みへとのぼることを「止揚(Aufheben)」と呼ぶ。

ヘーゲルは、これまでに述べられたカント的感性、知性(悟性)、想像力、理性、経験、倫理、美、フィヒテ的自我、シェリング的自然など、ありとあらゆるものをカバーし、それぞれを対立に巻き込むことによって、すべてを止揚する運動を展開して見せる(『精神の現象学』)。なんらかの実体的な単一原理をおくのではなく、どんなものでも相互に関連づけうる結節運動としての弁証法によって、すべてをカバーする体系を作り、相互に無関係な多種多様なものを含みながらも、全体としての統一性は失わない仕組みを考えたのである。

ヘーゲルの体系は、ある意味で、それ以前の哲学すべてを包摂する。しかし、その大局的な視点は、ひとりのかけがえのない人間としてのあり方を見落としてしまう。技術や生産手段、生活様式の近代化と、過去への追想が交錯するなかで、ショーペンハウアー、キルケゴール、フォイエルバッハなどの哲学が生まれた。それはヘーゲルを時代に見合うように引継ぎ、あるいは時代に促される形でヘーゲルを批判するものだった。

特に、ゼーレン・キルケゴール(1813-1855)は、ヘーゲルの客観的弁証法に対して「主観的弁証法」を提案する。かれは現実に存在する人間のあり方を「実存」とよび、それを三つに分類する。まず、楽しいもの、新奇なものをつねに追い求める「美的実存」は、やがて何が自分かわからなくなってしまい、続けていられなくなる。そこで、倫理によって正義を追い、不正を指弾する「倫理的実存」を求めるのだが、そのあまりの過酷さにこの立場も維持し得ない。結局、神と直接対面する「宗教的実存」においてのみ、人は「ひとり」であるものとしての自分を確立しうるというわけだ。キルケゴールがおこなっていたのは、主体の構造分析だったともいえる。

思想の三統領とニヒリズム:哲学的思考図式IV

1960年代になってマルクス、フロイト、ニーチェは、「グレート・ジャーマン・トリオ」とか、「思想の三統領」とよばれるようになる。19世紀末の過激な主張だ。

カール・マルクス(1818-1883)は、ドイツの鉱工業の中心であるライン地方の地方新聞記者だった。マルクスは人間の活動一般において、政治や思想、言論、意識、道徳性、倫理、宗教などの「上部構造」と、生産手段、生産活動などの「下部構造」を区別する。各人は自分が属している下部構造によって意識を決定されているにもかかわらず、そのことを認めようとはせず、自分こそ普遍的正義を代弁していると考える。各自の考え方は、当人にもわかっていない下部構造によって決定されているため、「話せばわかる」とは言えない。このような自己欺瞞の構造をマルクスは「虚偽意識(イデオロギー)」とよぶ。

上手くかみ合って機能していた上部構造と下部構造も、やがて、矛盾や摩擦を引き起こす時が来る。それが原動力となって、社会体制も「原始共産制」「封建君主制」「資本主義」「共産主義」と変化してゆく。こうした歴史観は、天地創造にはじまり最後の審判で終わるキリスト教的歴史観とも、すべてが絶対精神へと呑み込まれてゆくヘーゲル的歴史観とも異なるものであり、「唯物史観」とよばれる。

ジグムント・フロイト(1856-1939)は、精神分析運動の担い手となり、デカルト以来、暗黙の了解とされてきた自分のことはすべてわかっているという、意識の透明性を揺さぶる。フロイトにおいて自我は、けっしてあらかじめ存在するものではなく、無意識的欲動や社会的規範などの力学の中から生まれる構造なのである。

マルクスは、それまで哲学者が視野に入れはしていたものの、人間の精神や理性に従属するものと考えられていた生産活動に光を当て、フロイトは、それまで理性の対立物として排斥されていた狂気が万人の意識や理性、人格の奥深くに存することを明らかにした。それにくらべて、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)は、とくに新たな領域へと手を広げたわけではない。にもかかわらずかれが他の2人を上回る衝撃をあたえるのは、ニーチェの描き出した思考図式が、従来の哲学的思考図式を根本から転覆させる、メタ論理的性格をもつからだ。そのため、ニーチェのやったことは、ギリシャ以来の「哲学」そのものの否定、「反哲学」と言われる。

ニーチェは、善や真理、美といった価値が超越的実体に根拠を持つものではなく、たんなる差異であるとしたうえで、その差異すらも根底にある諸力のせめぎ合いから生まれては消えるものだとする。

この主張を支えるのが、「ニヒリズム」「永劫回帰」である。まず、ニーチェは、現実世界の行為やものに価値を与える根拠が、別の世界にあるという考えを「二世界説」とよび批判する。そして、弱者の強者にたいする<妬み>や<怨念>(ルサンチマン)こそが、善悪という価値の起源であり、よってそのような道徳は畜群本能に由来する「奴隷道徳」だと主張する。価値というものの価値を否定するニヒリズムだ。次に、すべてが永遠の繰り返しで、なにも変化しないとする「永劫回帰」を主張する。変化とは、「より良い方へ」「より悪い方へ」の変化である。ところが、「よりよい」「より悪い」と言えるのは善悪の尺度が存するときに限られる。すでにニヒリズムによって善悪は欺瞞であることが明らかになった。そうとすれば、二つの状態を比べてどちらが「よりよい」とも「より悪い」ともいえないことになる。

永劫回帰思想とニヒリズムとの違いをなすもののひとつは「大いなる正午」という比喩である。太陽が大地に垂直な点に至ったときに影はすべて消える。その瞬間が「大いなる正午」だ。ニヒリズムにおいてニーチェはまず、価値に関する実体論的考えを否定した。善悪は、強弱という第一の差異に基づいた、二次的な差異である。ところが、大いなる正午においては、影と光のコントラスト、すなわち善と悪の差異が消えてしまう。大いなる正午は、すべてが善になった状態なのではなく、そもそも善を可能にする悪とのコントラスト、あるいはそもそも差異が消滅した状態なのである。

ニヒリズムからすれば「よりよい」とは言えず、いかなる欠如もない。それを悟った存在は、もはや何も望まない。もしなにかを望むものが人間であるとすれば、何も望まない存在は、もはや人間ではない。すなわち、「超人」である。一瞬の現われ、眺めを固定し、そこに見えるものを実体化する傾向を「眺望固定病(パースペクティヴィズム)」とよぶ。それは絶えず変化する生を抑圧するものであり、それを否定するのがニヒリズムだった。

一方で、ニーチェは、イデアや神のような超越的存在を否定することにおいて哲学的思考図式Iを無効化し、また、実体としての自我を否定することによって哲学的思考図式IIを無効化する。カント的な哲学的思考図式IIIは、両者を組み合わせたものなのだから、これも無効となる。言い換えれば、ニーチェは、善や人間をはじめとするすべてに固有の本質があるという前提(本質主義)、また本質は普遍なのだから永遠に同一にとどまるもの、同一者であるとする前提(同一者の哲学)を転覆した。超越的実体を否定し、すべての差異が諸力のせめぎ合いによって生まれる流動性を肯定するニーチェの洞察は、陰に陽に現代哲学の基軸となっている。その意味で、これを哲学的思考図式IVとよぶことができる。

同時に哲学の問いもシフトする。「しかしそれにしても本当のところはどうなっているのか」と問い詰める中で、真や善「とはなにか」という第一段階の問いは、近世になって「それを本当に知りうるのか」「知ろうとしている自分は何者なのか」という第二の問いに転化した。ところがいまやニーチェによって、最初の問いが問題にした真や善は、それが何かを知りえないばかりか、そもそもそのように問うこと自体が意味を持たず、また第二段階の問いによって問われていた自我の存在も否定される。そのとき、「そもそもなぜそのようなことを問題にしていたのか」「はじめに求めていたものが無意味と判明したとき、どう気持ちを切り替えればいいのか」という第三段階の問いが浮上する。

現代哲学の2つの流れ:論理実証主義と近代批判

ショーペンハウアーからニーチェにいたる動きは、本格化した「近代化」への反応・反動だった。近代とは、その当事者の意識にとっては、「進歩」を強迫観念(オブセッション)とした「つねに新しい時代」であり、当事者には意識されない制度(下部構造)から見るならば、国民国家が完成し、「都市化」や「工業化」が万人を巻き込んだ時代である。

哲学には、大きく分けて、二つの流れが生じる。

一方で生じたのは、科学の権限を確立しようとする哲学だった。これは、新カント派にはじまり、ウィーン学派論理実証主義(カルナップ)、さらに、現代の科学哲学にいたる。だが、そこでは、科学批判もなされた。カルナップを否定するクワインの実用主義クーンのパラダイム論は科学への信仰を相対化する。一方、古代以来絶対確実とされてきた論理的言語に対して日常言語の独自性を強調する後期ウィトゲンシュタインオースティンライルらの日常言語学派は、プラトン以来の本質主義をも否定する。

他方では、近代批判が徹底化される。マルクスやキルケゴールを脅かしたのは、自分の立つ場についての不安だった。人間存在の不安、理性への危機感は、ヨーロッパ全土を巻き込んだ第一次世界大戦、アウシュビッツなどを生んだ第二次世界大戦を経てさらに深刻になる。フッサール現象学も、当初は科学的客観性に伍する哲学を求める方法論的反省にはじまったが、やがて人間理性の根拠を求めるものに深化するハイデガー現存在分析は、前世紀来の不安を正面から受け止め、根源的な人間存在のあり方に迫ってゆく。大世界大戦後における構造主義ポスト構造主義は、すでに言語分析やハイデガー的現存在分析が示唆する「人間の死」、反-人間中心主義を強化した。その極みにあるのがフーコーの権力論であり、そこではニーチェの描いた力への意志の構造が、いわば「実証的に」描かれることとなる。けれども、単に近代を批判し、人間不在を言い立てるだけで未来は描けない。ポジティブな方向を見出す手掛かりを与えるのがドゥルーズの哲学であり、複雑適応系だ。

現代哲学の特色は方法論的反省にある。科学を擁護しようとする人々が論理分析言語分析の手法を切り開いたのはもちろん、近代や科学を批判するひとびとも、自然科学からの再批判を前に、その核心である方法論的反省を自らに課さないわけにいかなかった。そのなかから、現象学的分析実存分析構造分析言説分析などの分析手法が生まれたのである。

実のところ、『哲学マップ』は約1/3ほどを「現代哲学」の章に割いている。「第七章 現代哲学へ」「第八章 現代哲学(1)―言語分析」「第九章 現代哲学(2)―現象学と実存思想」「第十章 現代哲学(3)―構造と流動性」といった具合だ。本レビューでは、第七章までの内容を詳細に振り返ってきたが、八章以降の「現代哲学」が本書の醍醐味だと言ってもいい。というのも、現代哲学は分かりにくい。そのうえ、言語分析、現象学的分析、構造分析など多様な分析が取り出す諸現象は、かならずしも相互に関連しているわけではない。特定の哲学が求心力を持つわけではなく、場面ごとに哲学的分析がおこなわれている現状は、生物の種が爆発的に増えさまざまな実験がおこなわれたカンブリア紀的状況に続くのかもしれない。

そのうえで、現代哲学に続く「哲学的思考図式」と「問いの段階」の変化を俯瞰する『哲学マップ』は、哲学的トピックについて考えをめぐらすうえでの良心的な羅針盤となるだろう。


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