新型コロナウイルス

苦しいよ
死んじゃうよ
助けてよ

苦しいよ
死んじゃうよ
助けてよ

目を覚ますと、泣いていた

僕が子供の頃、夜中によく言っていた言葉だ。

隣の人は、母親が首を絞めていると思っていたらしい。
実際はその母親すら家には居なかった。
いわゆる育児放棄ってやつだ。

ひとりの夜になると息苦しくて眠れなくなった。
ずっと
助けて、助けて
と誰かを呼んでいた。

とある日に、耐えきれなくなった隣の人が来てくれて、手を差し伸べてくれた。
驚いた顔で、それでも笑顔で、だいじょうぶだよと言って
救急車を呼んでくれた。

その時が、最初の肺炎で入院した時だった。

それを最近、鮮明に思い出すのだ。
夜、横になるとその記憶が人の形をして、足元からゆっくり喉元へやってくる。
そして首を絞めてくるのだ。
苦しい、苦しい、苦しい…
息が段々と出来なくなってくる。
目が覚めると、あの子供の頃の部屋になっている。
涙があふれる。
もう一度目を閉じる。
いいやちがう。いまはあの部屋じゃない。母親ももう居ないのだ。
ひとりの部屋なのだ。

そうして起き上がって、発作時の吸入を吸って、座って朝まで過ごす。
そんな毎日だ。
だからこの新型コロナウィルス騒ぎになってからも、最初は特に気にしてはいなかった。
僕にとってみたら、いつもの日常と変わらないからだ。だって、気管支に関わるものは全部コロナウィルスと呼ぶ。風邪だって4種類のコロナだ。
コロナはどこにでも転がっていて、人混みにいったら肺炎になって帰ってきて、入院することも年に数回あった。
だから、今回もいつもより少し気をつければいいと思っていた。

しかし、状況は段々と変わっていった。
世界的に悪化していき、爆発的に感染が起こり、感染者は酷いと数日で亡くなってしまう。そしてなにより、大事な人にも骨になるまで会うことが出来ない。
いまはこうして外にも出られないまでになっている。
まるで小説や映画のような世界だ。

そのことを考えると、苦しくないのに苦しくなる。

苦しいよ、助けてよ。

あの言葉が頭の中をループしてくる。
目の前は涙で青くなり、溺れるようだ。
言葉に溺れるという表現があるが、まさしくそうかもしれない。

苦しいよ、助けてよ。
苦しいよ、助けてよ。

言葉を吐き出さないと呼吸が出来ない。
溺れてもがく。もがいても水の上には上がれない。
肺炎で死ぬ苦しさは、よく溺死に例えられる。
そのことも関係しているのかもしれない。肺は5つある。
1つの肺であんなにも苦しい思いをするのに、それが新型コロナでは5つ全ての肺が炎症を起こす。
どれほどの苦しみなのか、想像もつかない。

またそうして、考えるだけで苦しくなる。
言葉を発していなければ、息が吐き出せない。言葉をどれだけ発すればいいのだろうか?

苦しいよ、助けてよ、死んじゃうよ
苦しいよ、助けてよ、死んじゃうよ
苦しいよ、助けてよ、死んじゃうよ

苦しいよ!

助けてよ!

死んじゃうよ!

叫んだら、あの日のように隣の人が来てくれて助けてくれるだろうか?いいや、触れることは出来ないのだ。
そのまま溺れて死んでいくしかないのだろうか?

新型コロナウィルスは、こうして心も苦しくしていく。

助けてよ!

助けてよ!

その声があなたの耳に届いたら、どうか助けてください。
手を差し伸べることは出来ないから、どうか言葉で助けてください。

沢山の、「だいじょうぶだよ」を、笑顔でください。



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