週末、天赦日だった。
お天道様の天に、赦すと書く日だ。
どんな罪も許される日だ。

ぼくの罪はなんだ?
そもそも生まれてきたことか?

出産が危険で、「母か子か選んで下さい」
と医師に言われ、母体を選んだのだが、切って取り出してみたら生きていて、それを後に父親に「ちいさすぎて宇宙人みたいで気持ち悪かった」面と向かってそう言われたのを忘れられない。
だから、そもそも生まれてきたことが罪であるのだろう。

父親がバイで、男の愛人に性的虐待を受けておどされて、ノイローゼで3ヶ月入院して、耐えきれなくなり姉に話して、家庭崩壊させたのも罪であるのだろう。

その後母親はべつな男を作って育児放棄され、兄は放浪癖でどこかにずっと消えてしまい、姉は結婚して順調に見えたが、ある日カルトにハマってしまったのも罪であるのだろう。

そんなぼくは、いくつもの治らない進行性のやまいにかかり、当時は認められず今よりずっとクローズドだったゲイに目覚め、それをオープンに生きてきたことも罪であるのだろう。


そして今、好きな仕事を天職だと思いぶったおれるまでやって、今も手足がちぎれるような痛みと闘い、精神に支障をきたすような悪夢を毎日見るこの状態、これもまた罪なのだろうか?

悪夢がまたくる。
何故か、呼吸で苦しみ、ネグレクトであんなにも苦しんだ、あの子供の頃の部屋にいる。
ネグレクトされていると、その生活が当たり前になるので感覚がない。
ひとりでいてなにもない。
散らかっていき足の踏み場もない。
服も着替えない。
学校も行かない。
誰とも会わない。
米粒一つもない。
電気もガスもつかない。
果ては水道も出ない。
なみださえも出ない。
生きてはいても魂はない。

これは罪なのか?

横になっていると、母親が笑顔で、ぼくの手足をちぎりにくる。
そして首を締めてくる。
くるしいよ
と言うと
ゆるめて、顔をそっと撫でてくる。
そしてまたゆっくりまた首を締めてくる。
目を開けると、
覚えてない母親の顔がボヤけて見える。

母親がいるのか、周りを見てたしかめる。
鼻に呼吸器のマスクをしていることで、自分の部屋だとボンヤリわかり目覚める。
発作がおきてくるしくて、ガバッと起きあがる。

それを毎日のように見る。
ずっと覚えている。
少しは寝たのに寝ていないように感じる。

誰かにたすけてほしいと思っている。
誰もたすれてくれないとわかっている。

今日は、一粒万倍日でもある。
一粒のもみが、稲穂のように万倍になる日である。
そして日曜日は新月である。

何かを始めるにはとてもいい日な筈である。

なのに…
なのに…

新しい詩を書きたいよ。
新しい絵を描きたいよ。
新しい曲を作りたいよ。
生きている形を残したいんだよ。

身体を失っていっても、心がなくなっていっても、新しいことを始めたいんだよ。

何か、何かを、残すから、ぼくのコトバを。
罪じゃないコトバを。
新しい、コトバを。

お願いだよ。
受け止めてよ。

いなくなっても「あんなバカな事やってるヤツいたな」って、たまに思い出して笑って欲しい僕になりたい。
もう罪を重ねるように生きるのはやめたい。
みんなを、少しでも笑顔にしたい。
そう、信じて、新しい僕を届けたい。
そしてみんなにも、新しい自分を見つけて欲しい。

罪は全てゆるされ、万倍に成長できる新月なのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?