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商人(あきんど)

 商人の歴史はとてつもなく古い。中国古代、周に滅ぼされた「殷」の人々が散らばって流浪の民となり始めたのが商い。殷の人々は周りから「商」と呼ばれたという話だ。

市場をひらいたり、行商を行ったり、商売の原型のスタートは流浪の民によって始まったのかもしれない。

 日本でも、商売をする人を商人ーしょうにんと呼んだり、江戸時代は、あきんどとも呼ばれた。作られた「モノ」を必要な人の手に渡すのが商人の役目。つまり渡し人(わたしびと)で運び人(はこびびと)だ。

 商人というのは、売るのが上手なのではない。買うのが上手なのだ。なぜ買うのが上手なのか、それは目利き力。作り手への眼差しと愛はエンジンだ。同時に売り手を想像する。買ってくれる人の喜ぶ姿が思い浮かぶからこそ真剣に買う、それが仕入れ。商人道、究極は愛の追求。

若い時、そんな「商い心」の薫陶を受けた。

 大手の量販店やスーパーのバイヤー、調達、買い付け担当などの人たちにも、最初は間違いなく「商い心」はあった。

 しかし今はどうだろうか?「買いたたき、値引き、、、」安く好条件で仕入れる力が評価され、その行為自体が仕事となった。
安く仕入れて高く売る。残った利益の量がプロの腕前。
ーーーーこの時代が長く続いた気がする。ここ30年位の正義は「商い心」より「利益のテクニック」に比重が動いたように思う。確かに戦後の復興から日本の経済を考えた時、工業社会をベースにした方法は有効だった。多くの人が物質的豊かさを享受するために、大量生産、大量消費時代に向かって走った。
 小売まで工業化社会の論法に進んだ。多店舗経営、チェーンストア理論、がその典型。ある目的を達するまでは有効だった商店の工業化だったが、その間、失われたのが「商い心」だろう。
 
 そして、最近様々な場面で「人」が足りない、アルバイトが集まらない話を耳にする。チェーン店の飲食店が特に深刻らしい。コンビニもそうだ。
工業化社会の店舗は、商いではなくビジネス優先。つまり人件費はコストになる。「何のため」のお店なのか?を考えなおす時代なのだと思う。


 商いの心 の復興は、一つの打開策となる。今全国、あちらこちらで始まっている「小商い」のさざなみが新たな潮流になる予感があるなぁ。


追記
 商人の心得!

 お客様は決して神様ではありません。

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