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成熟社会は仕事再定義。


 多くの人々にとって、休日に「釣りや狩猟」を楽しんだり、「野菜作り」に情熱を注いだりすることは、単なる趣味を超えた意義と喜びだと思う。対価を得るための労働と逆に支払いをしてまで行いたい衝動の共通点と違いはなんなのだろうか。

 これからの世の中を考える時、省力化、自動化、ロボット技術の普及により、肉体労働から「身体ワーク」への価値観の変化に予感がある。例えば、ジムの「ちょこザップ」ランニングマシーンで汗を流す人々を見ていると、僕らは体を動かしたい動物なのだ、と改めて思い至る。多くの肉体労働から解放されるために道具を発明し文明は発達したが、身体を酷使したい本能があるのだろう。

 本来的に、私たちは労働と趣味の境界が曖昧なのだ。ジムに通う人の動機は健康維持のため、または純粋な楽しみのためとしても、これはかつての肉体労働が提供していたものと同じような、体を動かすこと自体に価値を見出している。違うのは「もらう」か「はらうか」なのだ。

 労働と余暇、報酬と消費の関係は時代によって移り変わる。

 これは、仕事と趣味をどのように価値づけ、時間をどのように使うかについて、新たな価値変化時代の変わり目に僕らはいる。報酬や対価のない仕事もあれば、娯楽が誰かの助けになることもある。仕事の意味が再定義され始めている。生きがいや必要を感じる情熱を追求する新しい方法を見出すためにしっかり模索したい。

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