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クソみたいな話

※この話はフィクションです。登場人物・団体等は、実際とは全く関係ありません。



 空が雲で覆われている。まだ遅い時間であるというわけでもないのに辺りは暗く、今にも雨が降り出しそうだ。私はそれを眺めながら足速に会社を出た。
「今日は資料の打ち込み作業にお茶汲み、事務処理に上司と同僚のセクハラ攻撃。何の収穫も意味もない仕事だったなぁ」
 私は思わずため息を吐いていた。私の勤めている会社は社長がとても古い考えの持ち主で、長年女性を雇うことを毛嫌いしていたそうだ。ここ十年程でようやく女性も雇うようになったとのことだが、事務職やお茶汲み要員にしかしていないようだ。

 特にひどいのはセクハラだ。私は今日上司からひどいセクハラを受けた。私が今年で25歳になるのを知っている彼は、あろうことか「女はクリスマスケーキって言うでしょ。早く結婚しないと乗り遅れるよ」と口走ったのだ。その上司がクリスマスケーキほど人気だったはずはないのだが。もちろん相手は上司なので私は黙っている他なく、上司のセクハラをますます加速させることになった。
 上司は去り際に私の肩を叩いて行った。あまりの気持ち悪さに鳥肌が立った。我慢して作業に戻ろうとすると隣に座っていた同僚の斎藤という男が私をじっと見つめていた。その同僚は私と苗字が同じというだけで運命だと言う気持ち悪い男だったので、見られるだけでも寒気がした。斎藤なんて苗字、どこにでもいるのに運命だなんてどうかしている。
 気分が悪くなった私は早退することを告げた。前の席に座っていた同じ事務職の同僚が何か言っていたが、無視してその場を後にした。

「何が男女平等だよ。女は今でも差別されてるんだよ。会社でだって、家でだって……」
 愚痴が思わず口をついて出た。私は知っている。女は結婚したら最後、夫の奴隷だ。一日も休みを与えられずに働かされ、発言権はなく、口答えすれば「誰が養ってやっていると思っているんだ」と言われて殴られるのだ。夫が浮気しても「浮気は男の甲斐性」と許されるのに妻が浮気すれば罵られる。子供ができたら、二人の子供なのに世話は妻一人でしなければならず、夫は手伝ってすらくれないだろう。そればかりか夫の世話までしなければならない。私が上司からセクハラをされても頑なに結婚しようとしないのもそのためだ。
 家に着くといつの間にか晴れていた。明日も憂鬱な仕事があるし早めに寝ようと私はベッドに飛び込んだ。
 どのくらいそうしていただろうか。気が付くと辺りは真っ暗だった。手探りで電灯を点けてカーテンを開けると、星が見えた。
「いつの間に夜になってたんだ……」
 ぼんやりと夜空を眺めていると、一筋の光が見える。私は思わず、日頃の鬱憤をぶちまけていた。
「男が消えてなくなればいいのに」

 流れ星を見てから、私は眠ってしまっていたようだった。昨夜シャワーも浴びずに寝てしまったことを思い出し、私は急いで浴室に向かった。
「結局、昨日のあれは何だったんだろう……」
 ぼんやりとそんなことを考えながら、急いで支度をした。
 会社に行く途中から、私は違和感を覚えていた。いつもは混雑した駅構内にひしめき合うサラリーマンの群れが、今日は全くないのだ。いるのはOLや学生と見られる女子数人のグループ、子供を連れた母親くらいだ。
「サラリーマンは今日は休みなのかな。でも今日はまだ水曜日だし……」
 私は首を捻りながら電車に乗り込んだ。

 会社に着くと、同僚がものすごい勢いで飛んできた。
「ど、どうしたの? 里帆?」
「どうしたもこうしたもないわよ。昨日杏香が先に帰ったせいであの後の仕事全部私がやったんだから」
 確かに私は昨日早退したが、その後の仕事のことは考えていなかった。それも全て彼女がやってくれたのだろう。
「ごめんね、里帆。全部やってくれたんだね。今度社食奢るよ」
「そんなことより、杏香にも見て欲しいものがあるんだけど」
 彼女は私を連れていつもの仕事場まで早足で行った。

「どういうこと?」
「私が聞きたいくらいよ」
 私のデスクにはいつも通り仕事の資料やパソコン等が置いてあるが、異様なのはその隣だ。
「斎藤の荷物が……ない?」
 彼の荷物どころか、元々は置いてあったはずの仕事道具も一切ない。まるで最初から置いてさえいなかったかのようである。
「いなくなったのは斎藤くんだけじゃないわ」
 彼女は眉根を寄せた。
「うちの会社の男性社員がみんな跡形もなくいなくなってるの。うちの会社だけじゃない。私が朝起きたときに夫はいなかったし電車にもサラリーマンは一人もいなかったわ」
 やはり先程感じた違和感に間違いはなかったようだ。
「男が消えた……ってこと?」
「どうやらそのようね」
 同僚はまだ険しい表情だったが、私は別のことを考えていた。「男が消えたのって、もしかして、昨日の流れ星のおかげかも」 
 流れ星が私の「全世界の男を消して欲しい」という願いを叶えてくれたのなら、こんなに嬉しいことはない。女だからといって簡単な仕事しかさせない社長もいないし、セクハラばかりしてくる上司もいない。女を奴隷にする忌々しい男はいないのだ。
「もしそうだったら嬉しいな」
「杏香、何か言った?」
 怪訝そうな表情で見てくる同僚をよそに、私は晴れやかな気分になっていた。いつもと変わらない単調な仕事にも身が入り、充実していた。

 しかしそんな気分は長続きしなかった。例のセクハラ課長に代わって別の女上司が仕事を振り分け始め、私はかつて同僚の斎藤が行っていた仕事を引き継ぐことになった。が、想像していた以上に複雑な思考を要する仕事であった。学生時代から勉強は苦手でずっと避けていたのもあって、錆び付いた頭でどうにか考えをまとめるのは困難だった。
 あの男は私をいやらしい目で見ながらこんなことをやっていたのか。私は言い様もない苛立ちが湧き上がってくるのを感じていた。男がいないからといって仕事場が急に快適になることはないのだということを思い知った。

 何とか仕事を終え帰り支度を始めていると、セクハラ課長の代わりに課長代理となった女上司が近づいてきた。
「あら、斎藤さん、もうお帰り?」
「そうですけど……」
 女上司の咎めるような表情に私はたじろいだが、そのまま帰り支度を続ける。
「若いっていいわねぇ。結婚もしてないのに早く帰れて」
「……どういうことでしょうか」
 上司の時代ならいざ知れず、今は令和の時代だ。結婚が義務など古臭いにも程がある。私は自分の意志で結婚をしないという選択をしているが、それを赤の他人に咎められる理由はないはずだ。
「そのまま言った通りの意味よ。私ももちろん結婚してるし吉川さんだってあなたと同い年だけど結婚してるわ。結婚して子供がいるのなら早退するのはある程度仕方なけど、未婚のあなたが先に帰るのはねぇ……」
「私の意志にあなたが口出しする権利なんてないと思いますけど」
 私の言葉が意外だったのか、上司は一瞬目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻った。
「確かに今の時代、結婚は義務じゃないわ。でも結婚して子供を産むのはほとんど義務みたいなものよ。そうじゃないとこの国が滅びるから」
 もしかしたらこの上司は、お見合いか何かで好きでもない男と無理矢理結婚させられたのだろうか。そして無理矢理子供を作らされ、今も奴隷としての生活を強いられているのだろうか。そうでなければ「結婚して子供を産むのが義務」だなんて言葉が出てくるはずはない。そう思うと私は急に目の前にいる上司が哀れに思えてきた。
「課長代理は辛い生活を強いられてたんですね。良かったら相談に乗りましょうか?」
 私がそう言うと、上司は何を思ったか、顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
「人のことに余計な口出しはしないことね!」
 怒らせてはしまったが、これで上司が救えると思うと私は誇らしげな気分だった。その上そのままの勢いで会社を出ることに成功した。他の女性社員のひそひそと噂する声をよそに私は軽い足取りで駅に向かった。

「ここってこんなに汚かったっけ?」
 駅に向かう途中の道には、先ほどまではほとんど落ちていなかったはずのゴミがたくさん落ちているのが目立った。掃除する人はいないのだろうか。
 そういえば、と学生時代に思いを馳せる。当時は毎日当番制で教室や廊下の掃除をさせられたものだった。さすがに大学生になってからはそのような習慣はなかったが、高校生まではその習慣にストレスを感じていた。そのため掃除をサボる人間が後を絶たず、私のような馬鹿正直に掃除をしていた者が割を食うことが多かったものだった。それは今の会社での私とも何ら変わりはない。
「嫌なこと思い出しちゃった」
 私は頭に浮かんだ苦い記憶を振り払うように足早に駅までの道を急いだ。

 不幸というものは得てして連続して起きてくるものだ。
「ただいま、運転手が体調を崩したため運転を見合わせます――」
 冗談じゃない。体調不良だか何だか知らないが、仕事というのはそんな生半可なものではないのだ。周りにいる乗客の中でも文句が出ているのがよく分かる。
「体調不良なんかで休むなよ。こっちは仕事で疲れて早く帰りたいんだよ!」
 私は思わず口に出していた。
「でも君はなんか気分が悪いというだけの理由で昨日早退したよね?」
 急に後ろから声がしたが、振り向いても誰もいない。幻聴だろうか。しかし幻聴にしては嫌にはっきりと聞こえるように思える。
「君は子供もいないのに早く帰ったよね。君の同僚はその日君以上に疲れていたし、上司に至っては子供が熱を出していた。同僚は疲れた体に鞭打って仕事を終わらせ、上司は仕事をいつも以上に早く終わらせて早退した。でも君は、た だ  " 気 分 が 悪 か っ た か ら " 早 退 し た」
 一体誰だろうか。私の行動を逐一把握しているとなると、ストーカーか。しかし男は消えたはずなのに__。
「男を消したかったようだけど、それで何か得られた? 女だらけだと心地よかった?」
 大変な仕事はやらされるし、男がいない分普段は大人しかった女性社員が私の悪口を言っていたのも聞こえた。道に落ちているゴミは誰も片付けようとしないし、運転手の体調不良で電車が止まる。私は頭を抱えて呟いた。
「男がいてもいなくても社会はクズなんじゃん……」
 私はふらふらとした足取りでホームを出た。男が消える前なら駅員か誰かが近づいてきたものだったが、今は誰も近づかないどころか見向きもされない。

 いつの間にか辺りは暗くなっていた。今日も晴れているので、少ないながらも星が見える。
「あ……流れ星……」
 「男が消えてなくなればいい」と言ったのがずっと前のことのように思える。
「男が必要なんじゃない。そもそも社会は男が作ったものだから女は社会に向いてなくて当然」
 私はそう言い聞かせながら私は願いを言った。
「このクソみたいな社会がなくなりますように」


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