見出し画像

リトリートが好きなわたしの話。

本記事は『Coaching Advent Calendar2023』22日目の記事です。


一昨年から、
毎年12月はリトリートに参加する機会に恵まれています。


そして、今年も。


そのふり返りをしようかな、と思いながら、
「いっそ、リトリートについて書いてみようか」
と思い、カタカタとキーボードを鳴らし始めました。



そもそもリトリートとは何なのか?
簡単に言うと、「調え直す(re:直す、treat:調える)」行為です。

具体的に言うと、「ヨガ」「温泉」「森林浴」「瞑想」「体にやさしい食事」などが当てはまります。都会で忙しなく仕事をしていると、入ってくる情報量が多くて自分を見つめ直す機会がなかなかない。そんな時に余白をとって、自分を見つめ直して、調え直す行為のことをリトリートと言います。

一般社団法人リトリート協会
(https://note.com/retreat_kyoukai/n/n078f8e71256e?sub_rt=share_pw)




この3年間で、10回ほどリトリートに参加してきました。
年2回以上、半年に1回はじっくり内省する、という感じ。


意識してリトリート参加のタイミングを決めている
というよりは、

行きたいタイミングに開催されている、とか
コンテンツ・開催場所に惹かれて参加する、とか
そういう場合が多いです。

なによりリトリートが好きなので、
ピピンッときたら申込むし、
参加するとなったら全力で仕事や予定の調整をします。




好き、といっても、

同じZaPASSコーチ養成講座の修了生の方主催のものか、
Coaching Life Meet のどちらかで、
経験が多いわけではなく。


好き、と言えるのは、

リトリートそのものはもちろんだけれど、
一緒に参加するメンバーに信頼と安心があるから、というのが
個人的には大きい要素の一つなのだと思います。



毎月のふり返りでも何度か登場する「大好きな人たち」には、
ZaPASS や Coaching Life のメンバーがたくさん当てはまっていて、

自分の大切にしている / したいもの、目指しているもの、
一方で、苦手なものや手放しているものなど、
共通点が多くて居心地よくいられる人たちには

仲間、同族、同胞、…
そんなつながりを感じています。


そういった人たちと交流できるリトリートは、
わたしにとっては至福のひとときなのです。



とはいえ、
「心からリラックスして楽しめた〜!」と初めて思えたのは、
今年の6月に広島県の尾道(おのみち)で開催されたリトリート。


それまでのリトリートは、
まだ視界がぼんやりしていた感じ。

楽しかったし学びも多かったけれど、
思うように自分を出せなかった気がするし、
自分へのアクセスも鈍かった。



じゃあ、
尾道リトリートではどうだったか。


この時のメンバーは、
ZaPASSコーチ養成講座受講生・修了生のみ。

そのほとんどが、
オフライン・オンライン問わず
一度は対面したことのある方達でした。

これが、ポイントの1つであることは間違いないと思います。

なんてったって人見知りわたし。
顔見知りな人がいっぱいいて、
たぶん今まで以上に、心がほぐれていました。



それから、
ずーっと自分の心の中でしまっていた想いを
ポロッとこぼせたことも、大きかった。


全然話すつもりは無かったけど、
会話の流れで「今なら話してもいいか」と思って、
打ち明けてみました。

ちゃんと受け止めてもらえて、
発見も色々あって、

「ここだ」という直感に従って、
打ち明けてよかったと、今でも心から思っています。



あとは、
いつもと違って少人数の流れに乗ってみたり、
ハグしたいなぁと思った時にハグさせてもらったり、

小さいけれど、いつもより直感に従って行動できました。



そしてなにより、
リトリートの舞台であった尾道がすてきなところで、
自然にウキウキと心が弾んでいました。



非日常空間で
自分を解放すること。

自分の想いに沿って行動すること。

尾道リトリートで初めてそれができたので、
今まで以上にリトリートを楽しめたのだと思います。






わたしがこれまで参加したリトリートは、
心理的安全性が常にあるような環境でした。


その上で、
リトリートで心地よい時間を過ごすには、

〈 自分のあり方 〉と〈 場への信頼 〉

がポイントなのかなぁと、個人的に感じています。



ふわっふわの、心地よいおふとんが
目の前にあることをしっかりと認識した上で、
どれだけ身をゆだねられるか。


いざとなったら救ってくれる仲間たちが傍にいる中で、
パンドラの箱(だと自分が思っているもの)を
どれだけ開けることができるか。


日常から離れた場所で
自分という存在、器・魂と、
どれだけ向き合うことができるか。





.





リトリートの好きなところ、もう少し話します。



リトリートでは、
自分とのアクセスがしやすくなると感じています。


思っていること、思ったこと、
考えていること、考えたこと、
感じていること、感じたこと、

伝わるように装飾しなくていい。
むき出しの、まだ形になっていない状態でいい。
ふわっと湧きあがっているものをそのまま、出していい。


そういう安心感があるし、
次第に自分自身も、そのモードに切り替わっていく。


そうしているうちに、
より深く自分の内側に入っていけるようになって、

景色、香り、音、空気感、…
いろいろなものへの感度も高くなって、

自分の声もすばやくキャッチできるようになる。


そして、
ふとしたときに出てきたものに共鳴して、
感情や涙がぶわぁっと溢れ出してくる。

そんな瞬間が、とても好き。


最近12月に参加した、
大分ミートや湯河原リトリートでそういう時間と巡り会って、

今でも心に残っています。



.



そして、
わたしにとってのリトリートの醍醐味。


すてきな瞬間を、思いきり撮影できること!


カメラがあるからわたしがいる、
そんな気持ちでいます。




まだ “ リトリート ”というものを
わたしも周りも知らなかった、2年前の5月末。

大切にしすぎて、奥にしまい込んでいたカメラを抱えて、
ZaPASS 6期の合宿に参加しました。

普通に撮っていただけなのに、
その場の高揚感もあいまって
「写真を撮るの、楽しい!」という気持ちが強く残りました。



どんなに忘れたくなくても
気づいたら忘れてしまうから
こうして写真でキレイに残せるのはいいなぁと思ったし、

みんなも喜んでくれるし、

撮影をすることが
リトリートにおけるわたしの小さな役割になっていて、

それを担えることを勝手に喜んでいるし、
少しでも恩返しのようなものになったらいいなと思っています。


そうして撮影を続けていくうちに
もっともっとカメラが好きになったし、
編集のコツもちょこっとずつわかってきました。



そしてようやく、
カメラの講習を2024年1月に受けることになりました!


ポートフォリオ撮影を募集できるくらいには
上達したいと思っている今日この頃。

(ぽつり、と宣言。)





.





そんな感じで、
リトリートが好きなわたしです。


リトリートでのわたしは、かなり素が出ていて、
『気を遣っている』
と気にかけてもらったこともあるけれど、

最近わかったのは、
それすらも、わたしの一部なのです。


大学生の頃から、そして今も、

お酒を囲みながら
市販のお惣菜やら、おつまみやら、鍋やら、
みんなで交流会をしましょう!

なんてことが度々あるのです。

ほとんどお迎えする側、準備する側だから、
お酒も注ぐし、お茶も注ぐし、料理を取り替えるし、
途中で席を立ってゴミを捨てて、片付けもする。


毎週水曜日は、
80代後半〜90代のおばあちゃん5名が集まる小さなサロンで
スタッフをしています。

定期的にお茶が少なくなってきたかチェックして、
お茶を注いだりお菓子を出したり、
杖を使う方には、手をつないで歩行のサポートをする。


そういうことが積み重なって、染みついているから、
リトリート中もお酒を注いだりお水を注いだり、
何かを配ったり片付けたりなんだり…。

無意識な部分もあるし、
そうしていないと逆にムズムズする…!
ということも、あるかもしれない。


でもこの間の湯河原リトリートで鍋をした時、
野菜のカットや後片付けなど、大部分をお任せしちゃいました。

手放してみてもいいんだな、とも思ったし、
手放さなくてもいいんだな、とも思いました。

みんなのために料理をするとか、何かをするのが、
どうやらわたしは好きなようなので。

リトリートでは、やりたいように振る舞おうと思います。



でも、これだけは。

対話の場面で、
周りの流れとか空気とかをうかがう癖があるのだけど、
これからはなるべく直していこうと思います。

せっかくふかふかのお布団が目の前にあるので、
思いきり飛び込めるように。

もっと楽しめるように。







ということで、



これからもリトリートを通じて、
ちょっとずつ変わっていけたらいいな。

よかったら、見守っていてください。