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【かもめAI小説塾】「ストーリー・エンジニアリング」という概念を提唱する

「かもめAI小説塾」が始まってからいくつか記事が出て、そろそろ私がなんかヤバいことをしているなと気付き始めた方もいらっしゃることでしょう。

しかし私が考えていることは、もう少し斜め上にあるかもしれません。

実は「かもめAI小説塾」として公開したアイディア作りの記事は、全て本記事で「ストーリー・エンジニアリング」という概念を提唱するための種まきでした。

いきなり言い出しても「何言ってんだ、コイツ」と言われる可能性が高かったので、少しばかり外堀を埋める必要があったのです。


私が定義する「ストーリー・エンジニアリング」とは、言語化した手続きに基づいて物語をつくることです。

ちなみに「ストーリー・エンジニアリング」という言葉は、ラリー・ブルックス著の『工学的ストーリー創作入門』(フィルムアート社)の原題にもありますが、私が考えている内容は少し異なります。

「連想からアイディアを作ろう」からの一連の記事では、マインドマップをマークダウン記法でテキスト化しました。テキスト化を目指したのは、生成AIがテキストベースで処理することに向いているからです。

つまり物語を作る手続きも、徹底的に言語化すれば生成AIで処理できます。この言語化した物語制作の手続きを「ストーリー言語」と呼ぶことにします。

「ストーリー言語」は、プログラミング言語のようなものです。プログラミング言語にPythonやJavaなどの種類があるように、「ストーリー言語」にも種類や流派が生まれるでしょう。私は本塾の記事を通してそのプロトタイプを提供しますが、最適化されたものではないことを断っておきます。

「ストーリー言語」で作られた「ストーリー・コード」(設計書)は、プロンプトとして生成AIに入力すれば物語を生成できますし、人間の作家に渡せば物語を執筆できます。

物語を「ストーリー・コード」に変換することもできます。相互変換ができる形式にするのです。もちろん完全な相互変換は不可能でしょう。しかし完全に一対一で相互変換する必要はないかもしれません。なぜなら、ほとんどの人は読んだ小説を完全に暗記しているわけではないからです。同じ小説について語っていても、それぞれが持っている作品の記憶は恐らく異なるでしょう。それでも同じ作品について話をすることはできます。それと同様のレベルの抽象化を「ストーリー・コード」で行うことには大きな意味があるはずです。

このような「ストーリー」を記号で表そうという試みは、初めてではありません。自然言語処理の研究や言語学の研究では、記号化することで物語を分類・整理し、理解を深めるための努力がなされてきました。

私が提唱する「ストーリー・エンジニアリング」がそれらと決定的に異なるのは、ただ記号化するのではなく、マークダウン記法などの比較的広く普及した表現形式を採用することにより、生成AIでも処理可能で、かつ人間にも直感的に分かりやすいという点です。

さらに「ストーリー・コード」という特定のパターンで物語を記述することにより、「ストーリー・コード」形式でのファインチューニングや学習が可能です。これにより、作者の意図に沿った小説を生成しやすくなる可能性があります。つまり、小説データを適切に整形・アノテーションすることで、品質を改善できるかもしれません。

「ストーリー・コード」は、物語に対して作者が加えた「創作的寄与」を証明するためにも役立つでしょう。

生成AIへの指示の仕方も共通知化することで、他人に教えやすくなり、品質を安定化できます。これは対人間でも同じです。小説の書き方を他人に教える時に、教える側が感覚的に「なんとなくこれは違う」などと理不尽なことを言うケースを減らせるでしょう。

現在、文学賞の審査は、審査員を務める著名な作家の独断と偏見と誠実さによって成り立っています。しかし小説を「ストーリー・コード」形式に変換できれば、各作品を共通のベースで比較・検討できます。これまで審査員が感覚的に評価していたものを明確にパラメータ化することで、公正・公平な審査が期待できます。

最終審査での審査員同士の話し合いの内容が公開された時に、その場の話の流れで作品の評価が二転三転するケースをよく見かけます。それによって賞を逃し、涙した作者も多くいらっしゃるでしょう。ビジネスの場でも対面で話をして流れで押し切ろうという人がいます。こうした一方通行の意思の押し付けは、時代錯誤的と言わざるを得ません。「三笘の一ミリ」とまではいかなくても、せめてビデオ判定くらいは文学賞に導入していいのではないでしょうか。


こんな文章を書いているくらいなら、小説のひとつでも書けと言う方もいらっしゃるでしょう。

しかし私としては、解説を書くことも小説を書くことも、あまり感覚は変わりません。私にとって「ストーリー・エンジニアリング」は、現実をキャンバスにしたSFアートなのかもしれません。



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