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続・センシティブな心持ちからの、一歩

昨日のnoteの続き、自分のよいところを書いてみる。

①人に対してフェアに接する。:偉い人でも新人でも、誰が言ったかではなく、何を言ったかにフォーカスして接している。それに人からの評判により人物を評価せず、自分が直に接して感じた情報を基に、人に接する。とはいえ、人をすぐに信じてしまうので、あまり精度は高くない。そして、周りの評価と違う扱いをするために空気を読んでいないように見られる。その代わり、ノリで人を傷つけるような言動はしない。人を見下したり、教育的指導だと言って、作為的に傷つける言葉を投げかけたりしない。シンプルに自分がされて嫌なことはしない。

②不機嫌で人をコントロールしようとしない。世の中には、不機嫌になることで周りを自分の意に沿わせようとする人が多くいる。私は、無言の圧力ではなく、お互いが納得するまで言葉によって、正当に議論をしようとする。ただ、クレームを言う時も相手を責めるような言い方をしないため、舐められることも多々ある。そろそろ年相応の貫禄がほしいところ。

③どうしたら相手の要望が実現できるか、ということを起点に手段を考える。そのために、他のひとが諦める案件であっても、可能性のある手段を粘り強く考えることができる。ただし、過程でいろんな突拍子もないアイデアも案として提案するため、深く考えていない、思考が変だ、と思われることもある。

こうやって書き出してみると、よくないところ=よいところで裏表になっているということがよく分かる。そして、建前と本音の使い分けがもっとうまくできたら、もう少しうまく世の中渡って行けるのになあ、と自分に対して思うのだ。

でもこれが自分であり、今さら本質的の価値観は変えようがない。周りに対してどう振る舞うか、周囲の人たちの明文化されていないルールを汲み取って、本音と建前、空気を読んで発言、とことん突き詰めない、といったことをうまくやっていくしかない。そして、できることならば、なるべく自分の考えと振る舞いの差が小さくなるような環境に身を置けるようになればよいかなと思う。


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