親になって感じる、社会とつながること
育休中は、社会とのつながりが希薄である。
・・・というのは、偏見に満ちたイメージかもしれない。とはいえ私も育休取得前には、これに近いことを思っていたけど。。
20代の頃。
早々に結婚・出産を経験した同級生が、それをきっかけに新卒入社したアパレル会社を退職してしまった時「〇〇(私)は仕事してキラキラしていて、うらやましい」と言ったことがある。
「子どもは確かに可愛いし愛しいけど、自分はまだ20代で若いのに、くすんでいっている気がする」と。
私は、彼女の言う「キラキラしてる」に自分が当てはまるとは到底思えなかったけど、反面「嫌なことやしんどいこともあるけど、私はできるだけ働いていたほうが良いな」とも思った。
立っている場所が違うと、見えているものが違うのだ。役割や優先順位の違いかもしれない。
それから10数年。
私は妊娠し、娘を出産。今、育休中である。
冒頭のようなイメージ通りになったかというと、実はそうでもなかった。
というか、私自身は娘を産んだことで、「自分は社会の一員である」と実感することのほうが多かったのだ。
たとえば。
子育てサロンや公園に遊びに行くこともそうだし、娘といると毎日見知らぬ人が話しかけてくれるし、その1つ1つが「私はいろんな人に助けられて、日々暮らしているんだな」と感じさせてくれる。
電車に乗る時、なんにも言わずにごく自然にベビーカーを持ってくれたり、「良かったらここ座って。お母さんも疲れるでしょ」と声をかけてくれたり。
育休中の今、行政のありがたみを感じたり、見知らぬ人の優しさや気遣いに触れることばかり。
そんなふうに毎日感謝の日々を過ごせるのは、私が「親」という役割を手にしたからじゃないかと思うのだ。
子どももおらず自分1人で歩いていた時は、自由で身軽でサクサク動ける。でも誰も私のことなど気に留めていない。
今は、娘をベビーカーに乗せて歩いていると、本当にいろんな人が気遣ってくれる。
私にはその気遣いが、社会からのエールに聞こえる。
だからと言って、子どものいる世帯だけを優遇してほしいなんてまったく思わない。すべての人が、自分の人生を自分らしく謳歌できる世の中であったら良い、と思う。
そう思えるのも、自分が親になって、子どもや若者だけでなく人に対して寛容な気持ちが持てるようになったからかもしれない。
私は育休取得前に、「娘の親であるという役割」を心から楽しもうと決めていた。
せっかくの機会なのだから、会社のことはスッパリ忘れる!
それはすなわち、会社員である自分ではなく、本音の自分軸で生きるということ。私自身が心から好きなことをすることだ、と。
それが、後悔しない育休の過ごし方だと思ったから。
そのために。
まず産休に入る前は、仕事の引き継ぎ書をちゃんと作成した。
不要なものはシュレッダーにかけ、自分のロッカーは空っぽにした。
もう二度と戻ってこないんじゃないかというくらい、物理的にも精神的にも潔く断捨離した。
きっと、そうやって振り切ったことが良かったんだと思う。
「親」という役割に集中することができたし、だからこそ、周囲の温かさもありがたくて心に沁みた。
そんな育休もあと数か月で終わり、春には復職する予定である。
その際には、これまでに頂いたたくさんの優しさや気遣いや人の温かさを今度は私がお返ししていきたいと思っている。
育休を全うしたら、次の役割はそういうことなんじゃないかなぁと感じているのだ。
そういえば前述の彼女だが、私のことを「キラキラしてうらやましい」と言ったあとに、「でも自分の選択が間違っているとは思ってない」と言っていた。
そして、今や彼女のお嬢さんは立派に中学生になり、感慨深いことに、私たちの通っていた中高一貫の女子高に通っている。
彼女自身も自分の役割を自分なりに解釈し、全うしたんだと思う。
本当は当時だって、彼女もキラキラしていた。
友人たちの中で誰よりも早く結婚して出産して、いつも彼女らしく生きていたから。
自分の役割を自分らしく生きていれば、その時の感情や経験や人とのつながりがさらに自分らしさを深め、それが次のステージへの糧になっていくんだと思う。
今の自分の役割を全うしていくことで、未来の自分とつながっていくこと。
育休を経験した今、社会とつながるとはそういうことでもあるんじゃないかと思っている。
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