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感情をデザインする

こんにちは、
今日はヴィジュアルデザインについての考察です。

専門学校で教員をしている僕が言うのも何ですが、、
日本のデザイン教育の多くは
「技術者養成教育」の傾向が強いと思います。

極端な言い方をすると教えているのが

絵の具の使い方。
MACの使い方。
プレゼンボードの作り方。

みたいな感じです。


ウチの会社でも毎年、新人デザイナーを迎え入れますが
彼らの多くは自分がカッコイイと思っている
レイアウトすることをデザインすることだと考えています。

これは学校教育の影響だと僕は思っています。
(専門、大学以前の初等教育からの問題も含めて、、、)

例えて言うなら「バットでボールを打つのが野球」という教育です。

間違いでは無いかもしれませんが正解では無いですね。

デザインを依頼されて、キャリアや才能によって
仕事のとらえ方が違っていると思います。

ある人は「レイアウトをする人」
ある人は「クライアントに利益をもたらす人」
ある人は「社会に影響を与える人」


ピーター・ドラッカーの
「3人の煉瓦職人」という有名な話がありますが、
まさに、デザイナー版「3人の煉瓦職人」的な状態ですね。

また、デザイナーも人間ですので
自分の好き嫌いがあって当たり前です。
しかし、この感情のために、
「個人の好み」というバイアスでデザインを考えがちです。

「僕がカッコいいと思うんだからみんなもそう思うでしょう!」
って感じです。

同じ国に生まれ、同じ地域、同じ世代、同じ学校、同じ宗教、
同じ性別、、、、、、など、
共通点が多い人に提示する場合は
あながち、間違いで無い部分もあります。

しかし、
違う国、違う言語、違う世代、違う宗教、違う性別、、、
の時はどうでしょうか?

こう考えるとマーケティングが他民族国家アメリカで
発達した理由が分かる気がします。

結局の所、デザインって、
相手の持ってる“情報”を利用して成り立つものだと思います。

相手が知らないことを伝えるのってとても困難です。
ところが初心者のデザイナーは
自分の知ってることなら相手も知ってるだろうと思い込んでしまいます。

僕はデザイナーとはカタチや色、画像などを使って
「感情をデザイン」する仕事だと考えています。

デザインに出会った瞬間
“楽しい” “悲しい” “面白い” “悩む”、、、
と言った感情を受け手から引き出すのが
デザインの仕事だと思っています。

そのためには
「相手の価値観」や「相手の持ってる情報、記憶」を
考える必要があります。

デザインを考えるのはその後です。

デザインを始めるときに
いきなりパソコンに向かわず、
静かに目を閉じて
自分が誰と対話するのかと言うことを
じっくりと感じて、
その後でデザインに向かうと
少しは「感じるデザイン」が出来るんじゃ無いでしょうか?


こんな事を肌寒くなってきた秋の昼下がりに考えてみました。


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