短編小説「締め作業」

なぜ飲食店アルバイトを選んだのだろうと時々自分でも不思議に思う。周りを見るとオシャレなアパレルでバイトをしていたり、塾講師や家庭教師で効率よく稼いでいたり。それに比べて飲食店なんて特別給料がいいわけでもないし、汚れるし、特別楽しいわけでもない。

いや、自分だけが楽しめていないだけかもしれない。何せ自分は友人というものを作るのが非常に苦手なのである。このバイト先でもなかなか馴染めず、バイト中淡々と、誰と雑談するという訳でもなく業務に励んでいる。他のアルバイトたちはLINEグループを作り、シフトを出す際に休日を合わせ、一緒に遊びに行ったりしているようだ。自分はその空いたシフトを埋める要員である。きっと奴らの中では都合のいいやつとして認知されているのであろう。いや、もはや認知すらされていないのではないか。ここのバイトを始めてもう5年になる。いつの間にか大学生バイトの中で1番長く務めている。

大学も今年で通い始め6年目になる。1年浪人して、1年留年して、今は院生として通っている。院に進んだって将来したいことがあるわけでは無い。共に勉学に励みたい友人がいるわけでもない。ただただ大学に通っている。大学生という肩書きが惜しいわけでもなくただただ通う。友人がいないのはずっと。そのため浪人した時だって1人だったし、留年した時も1人。別にそのことを悲しむ友もいないし、自分だって共にいたかった人間もいない。ただただ1人、日々を過ごす。5年分のバイト代は必需品以外に使われることなくただただ貯まっていた。

締め作業を始めた。今はただただ皿を洗う。世の中の大学生は春休み。また集団で遊びに行っているらしい。今店の締め作業に取り組んでるのは自分含め2人。向こうの方でホールの締めに取り組んでいる女の子だ。メガネをかけた女の子。大学生4年生。彼女もまた静かな子で同じバイトの大学生たちとはあまり関わっていないらしい。自分も彼女とはまともな会話をしたことがない。いや、会話と呼べる代物ではなかったのかもしれない。ただただ静かに業務に励む。彼女もまた自分を認識してないのではないか。

締め作業をしている時間は嫌いではない。1日使って汚れた皿を綺麗にしていく。明日のための準備をする。100になったものをまた0に戻していく。そんな作業がなんやかんや嫌いではない。その分自分が汚れた時にはまたバイト辞めてやろうとも思うのだが。

もう1人の彼女と阿吽の呼吸で作業を進めていく。特別会話はないが共に締め作業をした回数はもう数え切れない。何せ彼女が高校3年生の時、自分が大学2年生の時、同じタイミングでこのバイトを始めた。そしてその時からお互いに他のアルバイトとも交友を深めようとするわけでもなくただただ業務に取り組んでいた。締め作業を2人だけですることも何度もあった。そのため彼女がどのくらいの時間でどこまで締め作業が終わり、次どこの締めを始めるのかももうわかる。話を全くしないのにだ。彼女のことを締め作業の仕方以外ほぼ何も知らないのにだ。

おかしなもんだ。ヘタしたら自分の人生で関わってきた人間で家族を除いたら1番長く共に居た人間なのにまともに話をしたこともないなんて。彼女も特別こちらを気になどしていないのだろうが自分は彼女のことを少し気になってしまった。今日の締め作業が終わったら声をかけてみようか。なんて声をかけようか。今更「LINE教えてくれ」なんて聞くのも変だろうか。今まで何も思わなかったのに今日急に言い出すなんて。彼女に嫌われるのではないか。変に思われないか。...いや別にどう思われても構わないか、別にこのバイト先で失うものなんて何も無い。幸いバイト代もたんまり貯まっている。嫌われたらその時はさっさとバイトなんて辞めてしまおう。
何が今日の自分をこんな気持ちにさせているのかはわからなかったが、締めの終わる最後の30分は柄にもなくワクワクしていた。

「忘れ物ないですか。」
「はい、もう大丈夫です。」
「わかりました、鍵は今日自分が持って帰りますね。」
「わかりました。ありがとうございます。」
これもいつもの会話だ。締め終わりのいつもの決まった会話。なんの面白みもない彼女と交わす唯一の会話。そこに今日は少し足してみようと思ったのだ。
「あの...」
そう思っていた時、彼女が突然口を開いた。いつもはすぐ「お疲れ様です」と帰っていくのに。
「は、はい!なんでしょう」
「あの、実は私この春から就職が決まりまして...」
「おお、はい、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「はい...」
「それでなんですが、ここのバイト辞める運びになりまして」
「ああ、そうなんですね...」
「それで今日が最後のシフトだったんです」
「ああ、なるほど...」
阿吽の呼吸というかなんというか。これか、今日の自分を不自然に奮い立たせたものは。
「それで私別にこのバイト先で友人とかはいなかったので黙って辞めようと思っていたんですけど」
「そうですよね」とか「自分と一緒ですね!」とか相槌を入れるべきなのかと思ったが違う気もしてやめた。友人とやらとしばらく話していないので会話仕方を忘れてしまったみたいだ。
「佐々木さんとは締め作業で一緒になることも多かったし、一応唯一の同期になるとは思いますので、せめて最後御礼だけでも言いたくて...」
「御礼だなんてそんな、自分はなんもしてないですよ」
「いえ、佐々木さんがいてくださったお陰で、自分は無理せずにこのバイト続けれたんです。ありがとうございました。」
「いえいえ、そんな。こちらこそありがとうございました。今まで長い間お疲れ様でした。」
自分がいたからというのはもしかして恋なんてしていたのか?...いや、そんなことないのであろう。ただただ自分と同じように周りと特別絡むことなく淡々と業務に励む人間がいることで自分を保ってられたのであろう。彼女にとって自分は少なからず支えであったようだ。大した事ない、いてもいなくても正直変わらないようなちっぽけなものだが、彼女の中に自分は「佐々木さん」として確かに存在していたのだ。

「それじゃあ、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。」
「こちらこそ。今までお疲れ様でした。」
「またどこかで機会があれば」
「ええ、またどこかで」
ここで気が利く人間やモテる男子なら連絡先を交換して「今度飲みにでも行きましょ!」なんて言うのだろうが生憎自分はそんな人間でもないし、彼女もそんなこと自分に望んでいないだろう。いいのだ。自分たちはこの距離感でいいのだ。良かったのだ。

これからどうして行こうか。別に彼女以外の誰かの支えになろうなんて大層な目標なんて持つ気は無いし、そもそもそんなのお金を貰えたって勘弁だ。何も考えていない自分に荷が重いし、バイト代ならたんまり貯まっている。

彼女もいなくなった事だし自分もこのバイトを辞めてしまおうか。いや、でも何も考えずに綺麗にしていく締め作業は好きなのだ。悩ましい。まあ別にこのことは明日からでもボチボチ考えていこうと思い、1人家に帰る。

                                                    井上 あした

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