ご都合主義とは


初投稿をしたもののその直後から私生活が忙しくなり、あまり物事を考えられなくなっていた葦太です。

最近、漫画やアニメにハマっていて色んな作品に耽っています。
現代病ともいえるのでしょうか。見終わった後には他の人の感想も気になっっていしまい、SNSでその作品のことを調べてしまいます。

そんななかで、よく目にする言葉が”ご都合主義”です。
確かに、多くの作品では現実では起こり得ないような、
いわゆる”ご都合主義”なストーリーの展開を多く見受けられます。
「ご都合主義すぎて面白くない」
「現実にありえないだろ」
という感想を抱くのも分からなくもありません。

しかし、私は思うのです。
”ご都合主義”にならず現実に即したストーリー展開は作品として面白いのでしょうか。
一部でそういった作品があっても面白いとは思いますが、現実主義な作品が溢れかえっては二次元に現実逃避することができなくなるではありませんか。
以前は、ネットも現実逃避の場でしたが、SNSが普及したことにより現実との境がほぼなくなり、拡張現実のようになってきています。
だからこそ、二次元を現実逃避の場として残しておくためにも”ご都合主義”には存在し続けてもらう必要があると思います。

そもそも”ご都合主義”の何が悪いのでしょうか。
そもそも本当に”ご都合主義”なのでしょうか。
自分の人生には一度も”ご都合主義”は無かったのでしょうか。
その作品の主人公も、たまたまある期間で人生の”ご都合主義”権を無自覚に行使しただけかもしれません。

ある時、こんなことをネットで見かけたことがあります。
「某国民的RPGはご都合主義だ。故郷は何故か魔王から征服されていないし、周りのモンスターも弱い。ストーリーが進むに連れて、主人公のレベルにあったモンスターが出現する。こんなのご都合主義の何者でもない。」
一理どころか百理あると思います。

・勇者の村が滅びていれば、そもそも生まれていない
・勇者の村の周りのモンスターが強ければ、勇者は村から出られない
・隣の村からいきなり強いモンスターが現れれば、故郷から出られない
確かに”ご都合主義”に見えます。

ここで私はいわゆる”ご都合主義”を楽しむためにこう考えるようにしました。
”私達がプレイしているRPGの勇者は、数多くいた勇者の卵のうちたまたま上手くいった勇者である”
勇者の卵は数えきれないほどあった。
生まれてこれなかった。
周りのモンスターが強かった。
だから勇者になりきれなかった。
もしかしたら、私達も勇者の卵だったかもしれません。

そういった試練をたまたまくぐり抜けていた勇者を我々は追体験しているだけと考えるようにしました。
良いじゃないですか、”ご都合主義”でも。
私達が成し得なかったことを成し遂げてくれたんですから。

漫画やアニメの作品の主人公もそうです。
主人公と同じような境遇、容姿、性格だったキャラがいたかもしれません。
でも、その作品の主人公はたまたまヒロインのいる学校に通えて、たまたまヒロインと近づける機会があっただけ。
私達に見えないだけで、数多くの似たようなキャラは可能性を掴めなかったり素通りしているわけです。
たまたま成し遂げたキャラが主人公となり作品として描かれ、私達が追体験できるようになっている。

「”ご都合主義”だからダメ!面白くない!」と意固地にならずに、私達が巡り会えなかった、もしかしたら素通りしてきたチャンスをモノにした主人公らの作品を柔軟に楽しめるよう、二次元に現実逃避できるように考え方を変えていきましょう。

長くなりました。
自分も最初は”ご都合主義”はあまり得意ではありませんでした。
それは自分も学生で、主人公らと同じ境遇だったからかもしれません。
一応、まだ学生ではありますが、学生という身分からそろそろ離れないといけない時期になり、”ご都合主義”を受け入れられるように考え方が変わりました。
これは一種の中年の方が若者に未来を託すような考え方の変化なのでしょうか。その答え合わせは自分が中年になったときにしようと思います。
ありがとうございました。


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