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悲しみが届かない。

ダンが旅立ってから今日で27日。
旅立ったその日の午後に荼毘にふし、翌日の朝、埋葬しましたと動物霊園から連絡をもらう。
翌日、花束を買ってはじめてのお墓参り。
観音様に見守られ眠っているはずのダンに線香を手向け、手を合わせる。

介護仕様だったリビングを片付け、お世話になった獣医さんと犬猫の保護活動をしている団体に犬用品をすべて寄贈した。
ひと息ついたところで蓄積疲労が梨汁のようにブシャーっと溢れ出し、眠気とダルさに覆い被さられて身動きが取れなくなる。
カラダは睡眠と休息を求めているのに、脳が冴えてしまってうまく眠れない。
もう夜中に起きる必要はないのに、何度も何度も目が覚めて、あぁそうか〜もういいんだよなぁとまぶたを閉じる。
立っているだけなのに鼓動が速くなり、呼吸が浅くなる。
これが動悸ってやつか。
生活が変わったことで更年期の症状が一気に出ちゃてるのかもねと人生の先輩たちからのアドバイスを受け、命の母Aを買って飲む。
ちょっと作業するだけでゼエゼエ。
横になって休んでコーヒー飲んでおやつ食べて再び作業再開するも、またすぐしんどくなって休むの繰り返し。
命の母Aが効いたのか、積もり積もった睡眠負債がやっと返済できたからなのか、徐々に疲労感が薄まり、深夜覚醒も日に日に回数が減っていった。
おかげでお正月は家族や親しい友人たちとの会合を楽しむことができた。

続け様の外食&過食のツケはすぐにやってきて、胃腸の調子がガタピシと崩壊。
正月休み明けに約束していた新年会に参加はするも、居酒屋で私だけお茶漬け、焼き肉屋で私だけクッパという特別メニューとなった。

気づけば1月半ば。
家に帰ってもダンが居ない生活27日目。
実感はある。
けれど、悲しみがまだやってこない。
後悔はない。
けれど、あの超睡眠不足で自由な時間がほとんどなかったダンファーストの生活に逆戻りすることになっても、全くイヤじゃない私が居る。

私は介護の時間から押し出され自由になって、困惑している。
そして悲しみが私のもとに届けられるのを待っている。
カラダの調子が整い、家の中の環境が整い、自由の身になったことを謳歌できる日が来たら、私はやっと泣けるとでもいうのか。

悲しみよ、やってこい。
私はアホみたいに泣いてやる。
いつまでもやみそうにない雨のようにビショビショ泣いてやる。
私の悲しみよ、私に届け。

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