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作家の吐露は読者を救う

『鼻下長紳士回顧録』という漫画があって、私はその物語に救われたことがある。

この漫画が完結するまでの道のりを編集者の佐渡島さんが書いていた。そんなに大変だったなんて知らなかったけど、だからこそ描かれている言葉が自分の中に入ってきたのだと気づいた。

この漫画の主人公は娼婦(名前はコレット)だ。物語の最初の方に、コレットの胸の内が言葉にしてある。「人生もプレイなのだ」と。

コレットの仕事は、変な趣味を持った客とプレイをすることだ。その時、自分の不遇さを思って「人生もプレイなのだ」と言う。

私とコレットの生活は全然違うわけなのだけど、この言葉は利用できた。

嫌なことがあったり、他人のせいにしてしまいそうになったり、ついてないことが続いたとき、自分ではコントロール不能だから「これはプレイなのだ」として処理した。

一種の逃避術なのだと思う。逃げてばかりではいけないかもしれないけれど、そういう風にしかできない時もある。コレットのように。

※※※

佐渡島さんは漫画の制作を振り返って、こう書いている。

はじめのネームは面白い出来事を描いているものだった。直したものは、自分の心を吐露しているものだった。

あの言葉は安野モヨコさんの吐露だったのだろうか。だとすれば彼女の吐露は私を救った。

吐露は心の開示だ。自分の底にあったものを思わず打ち明けてしまうことだ。本当は気のおけない相手にしかやらないけれど作家は作品に昇華させてみせる。

作家の吐露が吹き込まれているコンテンツは、誰かの居場所の一部になると思っている。私がそうであったように。

自分を丸々と肯定してくれる居場所でない。部分的な拠り所のようなものだ。それがあるだけでもずっと楽になる。

最近はそういった部分的な共鳴をコンテンツに見つけるのを忘れていた。

佐渡島さんの文章を読んでいて、『鼻下長紳士回顧録』の言葉と出会った時のことを思い出した。

誰かの言葉や文章が、過去の自分を呼び覚ませてくれる体験て結構良いなと思った。

今日はこんなところに着地しました。

サポート頂いたら、新しい体験に使います。そして得られたことをコンテンツにして、みなさんに還元します💫