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またここで会いましょう

うちから一番近いレディースクリニックの前を通ったら、新しい場所に移転していた。ネットで調べたら、前よりスペースもずいぶん広くなり、先生やスタッフさんの人数も増え、規模がだいぶ大きくなっていた。私が診てもらったことのある先生は、クリニックに関わってはいるけれど、現場からは離れているように紹介されていた。

長男を産む数年前に流産した際、お世話になったクリニックだ。

生まれて初めての検査薬の陽性反応が出て、家から一番近いレディースクリニックに駆け込んだ。エコーでみた小さな命のはじまりから数日後、止まらない出血があった。しばらく様子を見たけれど、今回は残念ながら手術をしなくてはならないと告げられ、大きな病院への紹介状を書いてもらった。「こういうことはよくある。自分を責めないで」と先生に言われても、やっぱり悲しい。泣き止まない私がわるいのだが、「これはよくあることなので……」と先生はかたい表情で淡々と繰り返した。私を納得させるため、エコーを見せて今の状況を事細かく説明してくれた。

泣きすぎて、もうどうなってもいいや、と思いながら歩いた道。世の中ぜんぶ悲しくて、どこにも出口が見つからない迷路のなかにいるような気持ち。

「よくあることだから」その通りだと思う。でもその時は、自分のせいとしか思えないし、誰のどんな言葉だって心にぐさぐさ刺さる。悪意のないなぐさめの言葉だってきつい。悪意がないものにでも悪意を感じてしまうほど、悲しくつらい時は気持ちがどん底に落ちているものだ。私もそんなつもりはなくても、無意識のうちに人を傷つけているかしれないと思うとぞっとする。言葉は本当に難しい。

長男の妊娠の確認の状況のとき、そのクリニックに行くのがどうしてもこわくて、別のところを選んでしまった。もしまた残念なことになったら…同じ場所でまた同じような状況になったら、今度は自分自身が耐えられないような気がして、逃げてしまった。「よくあることだから」と言うあのお医者さんのかたい表情、診察室の重い空気感も思い出した。せめて違う場所なら、違うお医者さんなら、もしかしたら少しは冷静さを保てるかもしれないと思った。

不安で押しつぶされそうな妊娠期間を経て、長男は無事産まれてきてくれた。

長男がお兄さんになったらいいなと思っていたら、検査薬で陽性が出た。妊娠反応は出ているものの胎嚢が子宮内に見当たらず「子宮外妊娠の可能性が高い」と言われた。もしそうだったら入院、手術になると言われたが、結果そうではなく自然流産という流れになった。もう耐えられないと一度は思っていたことでも、なんとか耐えることが出来るものなのだな、としみじみ思った。またもや目が溶けそうなほど泣いたのだけれど。

二回目の流産の診察の帰り際にお医者さんが笑顔で言ってくれた言葉、

「またここで会いましょう。」

に私はとても救われた。病院からの帰り道、悲しくて悲しくてぐすぐす泣いてはいたのだが、先生の言葉がちいさな光のように感じられ、心の中にそれを大切にしまった。

幸いなことにその言葉の通り、次男の妊娠と出産で先生とまたお会いすることが出来た。産まれてきてくれた次男にも、あたたかな言葉をかけてくださった先生にも感謝している。



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