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夜を見る

「あの子、『夜を見る』って言ったのよ」

今朝、母の方から話し始めた。
あの子とは、母の孫、私の長男のことだ。


突発性発疹とっぱつせいほっしんでしか発熱したことがなかった長男。
幼稚園の始まりと共に、園で流行る感染症は全てもらう勢いで、頻繁に熱を出し始めた。
集団生活の洗礼。

幼児の突然の発熱、嘔吐、下痢などにまだ慣れてなかった私は、毎回とんでもなく慌てふためいた。

生まれたばかりの次男もいて、産後休む間もなく長男の幼稚園が始まり、私の心身がかなり疲弊していた一年だった。

二世帯住宅で同居中の母には、助けてもらってばかりだった。
今もそれは続いている。

私が次男のことをしている間に、長男を母にお願いする。
何よりも有り難かった。

母にとって長男は初孫で、可愛い可愛いと言っては毎日のように写真を撮っていた。
本人と毎日会っているにも関わらず。

仏壇の父の写真を長男に見せながら、「この人がじぃじよ」と話しかけ、父にこの子を見せたかったと目を赤くした。

長男も母を「ばぁば」と呼び慕い、ふたりが一緒にいる光景は、鼻の奥がツーン、目がうるるとなるような気持ちと、穏やかな関係が羨ましくなる気持ちが半々。


長男は、育てるのが難しい子どもだったと思う。

私はそれに、かなり早い段階で気付いてはいた。

が、なにせ初めての子どもであったし、「母とはこうであるべき論」(出産した病院は、母親学級で"母になる前に読む本"を紹介、推奨した。生真面目な私はもちろん読んだ)
に囚われていた。哀れなほどに。

数ヶ月に一度の、地域の乳幼児の身体測定や保健師主催の質問会でも、自治体による保健所の健診(○ヶ月健診)でも、私は保健師や看護師、医師に呆れられ、笑われ、時に叱責され、

起こること全てが"私のせいである、自分がわるい"とますます思いこみながら、生きていた。

私(母親)のせいではない、子ども本人の個性なのだと気づかせてくれたのは成長していく次男だった。

他の誰が言っても受け入れられなかったことを、言葉ではないもので教えてくれた次男に感謝している。

「あの子と一緒に居たらね、急に、
『ばぁば、夜を見なきゃいけないから、外に出てもいい?』と言われたの。

いいわよ、ほんの少しねって、抱っこしてベランダに出て、真っ暗な外をふたりで見たの。
『見た?』
『うん、見た』

そのあとも一回くらいは、(長男)ちゃんと一緒に夜を見たわね。

もう10年くらい前。あの頃ちっちゃかったよね。
『夜を見る』って、なんで素敵な言葉だろうと思った。
いまだに忘れられないのよ」


身体を寄せ合い『夜を見た』ふたりを思い浮かべると、心の澱みが澄んでいくような気持ちになる。


今、私は体調が万全ではない。
先週末に調子を崩して、病院のお世話になり、家に戻ってきたところ。

その事を noteに書きたいと思っているが、まだ書く力が出てこない。

今は休まなきゃいけないと言い聞かせ、休んでいる。

家の中では家族の声が聞こえる。
それはやさしくあたたかく乱暴で、心身を激しく揺さぶる。
寝ているけど、寝ていられない。

ごめん、今は出来ない。
ちょっと休ませて。

目まぐるしいスピードで過ぎていく日常に、かつての私は、その渦の中に居たのかと思い、ヒヤリとする。

私が居なくてもいいように、各々が自分のことや家のことを出来るように、もっと準備しておくべきだったな。

反省や後悔が混じり合ったものが、チクチクと痛む。
でもさ……と言い訳したくなる口をつぐむ。
昔、ある歳上の人に言われた、
「あなたは『でも』が多いんですよ。それ、直しなさい」
言った人は忘れてるだろうけれど、私は忘れない。
そして直っていないし。

日ごとに回復する自分を信じているので、流れに心と身体を委ねている。

「私がわるい」と思うことをやめよう。
身体からのシグナルに、しっかり耳を傾けようと思う。

母や妻である私と、私は私だという私。
自分を大切にしたい私と、家族が困って求めているものに応えたい私。


今夜、窓からそっと夜を見てみようと思う。

朝の母の言葉を聞いたからか、昔の疲弊していた哀れな自分を思い出したからかは分からない。

そのどちらでも無いのかもしれない。

「お母さん、ばぁばからもらったコレ、食う?」

長男が、横になっている私に、柿の種(わさび味)を持ってきてくれた。

ありがとうと数粒摘んで、あとは彼に渡す。

彼の大好物なのを知っているから。


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