芽生えた変な自覚に水をやる

先週の月曜日だったか、ラヴィットを観ていると「クレープリーチロル」というお店が紹介されていた。ラヴィットでは、VTRで紹介されるお店の名前や商品の名前に掛けたBGMが選曲されて流れるのだけど、その時に流れていたのがクリープハイプの憂、燦々だった。おそらく、というか間違いなく「クレープ」「クリープ」なのだろうとは思うけれど、「チロル」に対して「チロルとポルノ」が掛かっていたら?という想像もしてみる。それだったらきっと「チロルとポルノ」が流れたに違いないと思い、忘れることにした。

クリープハイプを熱心に聴いていた10代の頃から20代になっても変わらず、「いつ死んでも構わない」と考えていた。何かに対して思い詰めていたというよりも、自分の人生に対してあまり興味がないという感覚の方が近いと思う。ついこの前、本当にすぐ思い出せるくらいの頃まではそう思っていたのだが、30代になった今、これまでと同じ時間を生きられたら、還暦というやつに辿り着いてしまうようだということを考えたら、意外と自分の人生も長くはないものだと、変な自覚が芽生える。

相変わらず誇れるような暮らしをしているわけではないが、なんだか最近はなるべく長く生きてみたいなぁと思うようになった。

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