見出し画像

RADWIMPSのサブスクが解禁された夜

周りの人との距離がどこまでも遠く感じる中学生のあの時期に、火星までの距離を地球からだろうと木星からだろうとたかが隣の星だと言い放ち、"一生で一度のワープ"という聞いたことのない魔法の能力を見せつけてきたのがRADWIMPSだった。そもそもひとりごとしか知らなかったのに、ふたりごとなんてものがあるんだと知った衝撃 (ない) 。どんな曲を聴いても出てくる“君"を誰よりも知っているのが自分だと気付いた瞬間。誰も端っこで泣かないように君が地球を丸くした話。カランコロンカランコロンと鳴る言葉。生まれて初めて人の服を脱がすまで1日たりとも忘れたことはなかったという人も多いわけでしょう。そうでしょう?
金曜日の夜にラジオ番組がやっていて、あの頃はCDプレイヤーのアンテナを伸ばしてラジオを流したりなんかしていて、ざらつくノイズの向こうにいる顔もわからない人達の声を頼りに夜を過ごしたりした。Twitterだとかインスタだとかもなくって、下手したら多分まだ携帯電話もギリギリ持ち始めたかどうかくらいの頃で、発売日にTSUTAYAに駆け出して「25コ目の染色体」のシングルを買うことによって、本当にいる人達なんだ、なんてくだらなすぎる実感を抱いてアンチクローンと交互に何周も聴いたりしてた。2009年のイルトコロニーツアーは幕張メッセに人生で初めてライブを見に行った記憶だったりして、初めて聴く生の演奏に心奪われたりするほど夢中になっても翌年の2010年に聴く「狭心症」「絶対絶命」の訴えてくる命の重さみたいなものを抱えきれなくなって離れていった勢だから、特に声を大きくするほどの立場でもないのだけれど。
今思えば好きになった音楽の多くを、わりと短い期間で聴かなくなってしまうことの全ての根源はここにあるような気もする。他の誰でもない、音楽が教えてくれることはたくさんあるけれど、そういう考え方もあるんだなぁ、と人に優しくする方法みたいなことを教えてくれたのはRADWIMPSだったんだと思う。出逢いから別れまでの呆気ないこと、そんな呆気なさは自分の元だけじゃなく、世界中に転がっているほんの小さな事象だということ、あの頃に気付いておけたからある今日というのもないわけじゃあ、ない気すらする。サブスクが解禁されて久々に触れる淡い記憶、痛くて柔らかい。あの頃に聴いてた音楽を、いくつになっても歌えるのってなんでなんだろうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?