学ぶ選択肢は多様だといいなぁ
私は集団行動が苦手だし、人が多いところも苦手。なので、学校があまり好きではなかった。
不登校ではなかったにしても、学校にはかなりの居心地の悪さを感じていたし、毎日「学校には行きたくない…でも勉強には遅れたくない…」と葛藤しながら登校していた。
根暗で引っ込み思案な学生だったもんな。今言うと驚かれることも多いけど。
学校という環境への違和感から、自分という個性を出せなかったし自分らしくいられなかったのが苦しかった。
「学校楽しかった!」「最高の学生生活を送れました!」っていう学生の声を聞くと、
良かったなぁいいなぁという羨ましい気持ちと、
自分への劣等感から何とも複雑な気持ちになる。
ただ、「学校は楽しいと感じなきゃいけない」というのも違くて、
楽しいと感じる必要性を押し付けるのもまた違うし、
「楽しくない!」「学校行きたくない!」という時の別の選択肢が大切。
コロナウイルスで対策を余儀なくされたオンライン授業は、そんな「学校へ行く」というハードルを下げ、辛い環境に行かなくても勉強できるという学生にとっては非常に良いツールだと思った。
少なくとも自分が学生の時にも欲しかったなぁ。休み時間とか嫌いだったもん。
(休み時間のはずが自分への劣等感との戦い、周りから浮きたくないから会話に参加しなきゃいけないという謎のプレッシャータイムであった。今思うと全く気にしなくていいはずなのにね。)
でも逆に言うと、家に居場所がない人だっているわけで。家庭内崩壊してしんどい思いをしている子にとっては、学校に行くことの方が難を逃れる行為にもなりうる。
子供にとって親は選べられないから、家から逃げる選択肢を子供に持たせることも大事。人によって状況は様々なんだから。
じゃあ、学校に行く行為自体、もしかすると、勉強しに行くための手段だけではなく、「場」としての提供なのかも?
集団に囲まれて勉学するよりも、個人の空間やオンラインで力を発揮する子だっている。
学校という場に行くか行かないかを選択するのは、個人の自由のはずだし、その方が返って個を伸ばす機会にもなる。
適応しなければならないという義務にするから、学校に行くという恐怖心にも繋がってしまうのではないかな……。
迷宮入りしそうだな、この問いは。
「学校に行く」って何なんでしょう。
ってなつぶやきでした。
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