それは歪な罪のかたち 映画『ラム/LAMB』評
ふつうの映画に飽きたなら、ちょっと変わった映画が観たいと思ったならば、ここの作品を選んでおけば間違いはないでおなじみの映画製作会社A24。
本作はA24製作ではなく配給作なのだが、お出しされてきたのはアイスランドを舞台とした、やっぱり風変りな作品でした。
娘を失ったばかりの夫婦の牧場で、飼っていた羊が奇妙な仔を産み落とす。
夫婦はその仔羊に死んだ娘の名を与え、大切に大切に育てるが――
この予告編があまりに出来がよく、期待値が高止まりするとともに、すっかりミスリードされた気もする。
正直、もっとおぞましく、おそろしい作品だと思っていたのだが(いや、あのラストは十分におそろしいと言えるけれど)、ホラーというより寓話的で、その点ではやや拍子抜けした感は否めない。
鑑賞後の印象でいえば、同じくA24制作の『イット・カムズ・アット・ナイト』(2017)にかなり近かった。
とはいえ、アイスランドの美しい風景や、終始仄暗く不穏な空気、謎めいているのにやたらとかわいいアダの存在感もあり、ハマる人はがっつりハマる作品だろう。
おおまかなストーリーは最初に書いた通り。
表面上は、娘を失った悲しみから羊を人間と思い込んだ妻に、夫が合わせて演技しているという話に見える。
しかし、どうやら本作にはもう一段か二段、深い真相があると思わせる作りになっている。
それが何かと問われれば、端的に答えるのは難しい。
なにしろ本作は極端にセリフが少なく、具体的な説明もほとんどなされない。
観客はストーリーのかなりの部分を想像と推測で補う必要があるため、観る人によって解釈が大きくわかれることになる。
※以下、ネタバレ有り
本作はセリフが少ないと書いたが、例外的なのが冒頭の夫婦の会話である。
「タイムトラベルが実現するらしいぞ」「でも僕は今のままでいい」「私は過去に戻りたい」
だいたいこのような内容で、夫婦の間にすれ違いがあること、妻マリアは何らかの後悔を抱えていることが示される。
だが、実は「タイムトラベル」の部分も非常に重要だったりする。
何故なら、本作は‟アダを手に入れた夫婦が、幸せだった頃の状態に戻ろうとする”物語だからだ。
けれど、夫婦の前にはいくつもの障害が立ちはだかる。
子を奪われた母羊、イングヴァルの弟ペートゥルといった存在が、二人を現実に引き戻そうとする。
マリアは母羊を撃ち殺し、ペートゥルを半ば強引に帰らせることで自分たちの幸せを守ろうとするが、最後にはアダの実父と思しき羊人間が現れ、すべてを奪い去ってゆく。
覆水盆に返らず。
あのトラクターのように、壊れてしまったものは元に戻らない……。
単純に、これは羊の仔を奪った罪を贖わされた因果応報譚と捉えることもできるが、この「罪」というワードはさらに深掘りできそうだ。
例えば、最初に夫婦の実子アダを奪ったのが神の意思であるとするなら、他者の子を奪い、その母を殺したマリアは、人間の身でありながら神のようにふるまった咎人と解釈できる(殺した母羊を、食うのではなく土に埋めるというのも、まるで人間に対する扱いのようで恐ろしい)。
神への不遜から報いを受けるというストーリーはギリシャ神話によく見られるもので、アダや羊人間はパンやサテュロスといった半人半獣の神を思わせる。
また、マリア=聖母マリア、仔羊アダ=イエス・キリストとする解釈もある。
キリスト教圏ではかつて、異形の子は不義の結果であるとする迷信があった。
もし、アダがマリアの不義の子であるならば、本作は聖母の聖性(つまり処女性)に疑義を呈する、正しくキリスト教のタブーにふれる問題作となり得るのである。
もちろん、これらは私個人の考察であり、確定的なものではない。
製作側が本当の答えというものを用意していない可能性も大いにあり得る。
しかし、答えの出ない問題についてあれこれ考えるのも、映画の楽しみのひとつなのだ。
★★★★☆
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