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X(Twitter)やめました

またしばらく時間が空いてしまいました。

この1年と少しの間、いろいろなことが変わりました。
あまりにもたくさんのことがあったので、少しずつ書いていこうかと思います。

もともとここはTwitterで表現しきれないことを書こうとして始めたもので、でも気分のムラが多いせいか長続きせず、前回も今回も1年半近く空いているのですが、大本のTwitterの方は日々呟き続けていました。

呟く内容は大体が「死にたい」ということ。
あらゆる言葉で、比喩で、表現し尽くした気がします。途中から、思考が同じところを巡り続けていることも分かっていました。そしてそれに虚しさを感じてもいました。そこから抜け出したかったのかもしれません。

抜け出す方法は、ずっと死ぬことだと信じてきました。でも、現実は違っていて、私はまだ死んでいません。一緒に死んでくれるという人が現れたのです。いつ死んでもいい、それまでそばにいてくれる、と。

もっとも端的に表現するなら「愛」なのかもしれません。

ひとりの時間が何よりも大切だった私がずっと人と過ごすようになりました。部屋で自分以外に動くものがいることが耐え難かったのに、今は一緒に眠ることもできます。
旅行やら、クリスマスやら、恋人らしいこともたくさんしました。前よりずっと忙しく、賑やかになりました。堂々巡りの思考をする暇が減りました。

そして年末のある夜にTwitterのアカウントを消しました。
そのことを伝えたとき、彼は静かに涙を流しました。

彼は私がTwitterをやっていて、それなりにフォロワーもいて、それが私にとって大きな支えになっていることを知っていました。やめてほしいと言われたことはありません。やめないだろうと思っていたと言われました。

私は彼が泣いたことに驚きました。
こんなことで、こんなことのために泣いてくれたことに。

Twitterはやめたけれど、死にたいという気持ちが消えたわけではありません。
でもTwitterをやめたことを後悔はしていません。

これからは、ここで思うことを綴っていこうと思います。

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