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狩猟免許合宿11日目──函館

農作業の受け入れ辞退の経緯は以下のnoteに書いた。

せっかくの休み期間なので、函館を観光することにした。1泊2日の旅程である。五稜郭に行くこと以外は何も決めていない。

朝は函館行きのバス停まで、Eさんの車で送ってもらった。わざわざ早起きをしてくれたことには感謝しかない。お礼は昨日買っておいた缶ビール。好きなだけ飲んでください。

バス停「鶉」を6時30分に出て、2時間かけて函館に向かう。出発してすぐのときは、バス停間の間隔も広くバスも山道を走っている。乗る人も降りる人もほぼ皆無である。ところが、1時間ほどするとバスは低地に出るし、バス停もこまめに立つようになる。次から次へ通勤者や通学者らしき人が乗っては降りていく。彼女ら彼らをうつらうつら見送っていたら、気づけば「五稜郭公園前」に着く。

随分と眠い。一旦、目の前のセブンイレブンに寄って眠気覚ましのゴロワーズを吸う。


五稜郭

五稜郭というと、タワーから見下ろした星型のイメージが浮かぶものだが、そのタワーには1,000円を払わないと登れないということだから、上るのは止めて、自分の足で星をなぞることにした。

歩いてみて思ったのは「なんか酔う」ということである。五角形を元にした地形というのはわたしの空間認識にとっては慣れていないものらしい。しばしば街にあるのは、直方体を元にした建物であって、縦、横、奥行きが直行している。いいや、田舎でもそうだ。田畑は縦と横を元に設計されている。実際わたしたちは透視図法のように街を世界を眺めているわけだが、それに慣れていると、星型の地形では地場を失う。慣れない角度で交わり合っている堡塁の法面に囲われた空間は、どこか異世界らしい印象を与える。

五稜郭は元々、奉行所を守るために作られたということだが、ここでの練兵は苦労したのではないかと推察する。というのも、例えば兵を縦×横で整列させた場合、その形態は五角形の地形と相性が悪いはずだからだ。また、わたしが今回歩いて感じたのは、方向感覚が狂うということ、今自分がどの角にいるのかがわからなくなるということであるが、実際この稜堡に囲われていたら、兵はどこをどう守ったらいいかわからなくなったのではないだろうか。

ちなみに、五稜郭の形自体はヨーロッパより輸入されたものらしいが、ヨーロッパの兵はこの形に慣れていたのだろうか。次から次へと疑問が湧く。

さて、五稜郭に寝転がってしばらく休んだところで感じ始める空腹。そういえば朝食がまだであった。


じゃんけん

五稜郭の目の前にある「じゃんけん」という喫茶店に入る。Googleマップに投稿されている画像をズームしてズームして、灰皿らしきオブジェを発見。おそらく煙草が吸えるだろう。

予想は当たった。全席喫煙可能である。この発見をした瞬間にもうドーパミンかそれに準ずる物質が出ているような気がする。早速着席してゴロワーズに着火だ。特にモーニングサービスはやっていなかったので(もしかしたら「モーニング」は本州の文化かもしれない)、オムライスとアイスコーヒーのセットを注文する。オムライスにはむきエビとベーコンたっぷりのケチャップライスが使われていて大変美味だ。ボリュームもあるし、サラダもしっかりした量添えられている。満腹。食後のコーヒーも堪能したところで、目が冴えてきた。近くに美術館があるようなので、そこへ向かおう。


北海道立函館美術館

五稜郭から程近いところに北海道立函館美術館がある。敷地も広々としていて心地のいいところだ。今やっているのは常設展「鎌田俳捺子展」と、企画展「くりかえしのアート」である。鎌田俳捺子という画家は知らなかったのだが、《嘆き》や《まんだら》、《星と海》という作品にはどことなく触れてくる情緒があった。企画展の方は、さまざまな「反復」をテーマにしており、有名な作品だとウォーホルのキャンベルスープ缶が展示されていた。全体的に規模感も展示の仕方も見やすくて、観光がてら観に来たわたしのようなひとにはちょうどよい展示だったと思う。

美術館を出る。が、この後の予定はない。美術館の前にあるベンチに腰掛けてこのあとのことを考えようとしていたところ、隣のベンチに座っているおばあさまが声をかけてきた。

「今はどんな展示をやっていますか?」

これは本当に展示に興味があったというよりはきっかけを作るための発話であって、話し相手を探していたのだろう。セイコーマート(北海道のコンビニです)で買ったらしいサンドイッチとブラックコーヒーをくれた。

わたしも暇だったので、いただいたサンドイッチを食みながら時間を忘れてしばらく話し込んでしまう。聞くと、今は80歳になるという。24年前に夫を亡くしたそうだが、どうやらかなりのお金持ちらしく、また、音楽や文学、絵画などなど、文化的素養があるようだ。海外もしばしばあちこち旅行しているらしい。元気なおばあさまである。

わたしも記者をしているとか、大阪から来たとかそういう話をしたら、気に入ってくれたようで、夜ごはんは地元の人しか行かないような海鮮の店でご馳走してくれるという。これも旅の醍醐味だろう。後ほど合流する約束をして一旦別れた。


1,186km、不見の旅

ぶらぶら歩いていると、シネマアイリスというミニシアターを見つけた。アパートの一階に設けられたスクリーン1幕のこの映画館は、随分と歴史を吸っているように見える。

ちょうどいい時間から『658km、陽子の旅』(監督・熊切和嘉)が上映されるとのことで鑑賞。菊地凛子さん演じる引きこもりの陽子が父の葬儀に出るべく旅をするロードムービーである。菊地凛子さんの演技が美事なのは言うまでもないが、北国の情景が印象深い。658kmというのはロードムービーの移動距離としては短くも感じるが(アメリカやヨーロッパのロードムービーに慣れているせいかもしれない)、その内実は引きこもりだった陽子にとっては大冒険だ。実際、旅は100kmでも可能だし、10kmでも旅になりうる。1kmでもなりえれば、動かずとも旅をすることもできる。たとえば読書はゼロ距離の旅である。ひとの悪意や善意、あるいはそのどちらでもないような無関心を縫って陽子が北上していく過程は手に汗を握らずには見られない。

なお、1,186kmというのは、大阪から函館までの距離である。思えば遠くに来たものだ。


夕食、海鮮

美術館前で会ったおばあさま(Tさんとする)との待ち合わせは18時である。観光客はほとんど来ず、地元の常連が来るような店である。事実、食べログやGoogleで調べてみても、ほとんど評価がない。

だが、舌の超えているTさんが行きつけるお店だから間違いがないのだろう。遠慮せず飲み食いしてくださいとの言葉に本当に遠慮せず飲み食いをした。

マグロの刺身に、桜鱒のルイベ。ズワイガニは蒸しと刺身でいただいた。もずく酢は酸味と冷たさが舌にうれしいし、男爵芋とアスパラの酒盗チーズ焼きはいいお酒のアテになる。それから炭火焼き料理では銀鱈の味噌焼きにニシンの七味焼きを食べ、ガゴメ昆布のお茶漬けで最後は締めた。お酒もビールに始まり、地酒、白ワイン、と飲んだのでさすがに酔ってしまった。

少しふらふらしながら路面電車に乗って、函館山の近くにあるホステルへと辿り着く。カプセルホテルはプライベートが確保されているものの、直方体の箱に押し込まれるのは少し窮屈に感じる。宿舎で雑魚寝していたのが懐かしい。宿舎のみんなは元気だろうか。

そして、外套を入念に耳もとまでかぶり、
顔を大地に落とし、
まるで、一歩一歩が、一切の時であるかのごとく、
運命そのもののように、農民が歩いてやって来る、──
風が騒ぐと、舞いあがった茂みの頭のように、
外套がパタパタとひるがえる。

(ジョナス・メカス「牧歌20 秋、最後の堆肥まき」より)

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