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ヴィパッサナー瞑想

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ヴィパッサナー瞑想に参加したときの感想一覧です。初めての参加が2018年11月、2回目が2019年3月、3回目が2023年10月です。
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無聊を託つ

瞑想から帰ってきて2週間が経つ。3回目の10日間コースともなると衝撃を受けることはもうほとんどなく、あるとしても、この瞑想法の理解の進歩に伴う驚きや、己自身の新たな側面に出会ったという真新しさくらいなものである。あとはやるだけだ、という状態とも言える。ここで少しだけ振り返りをしたい。 瞑想で何をするのか、というのに一言で答えるとしたらひたすら己の呼吸と感覚を観察することだ、と言えると思う(なお、ここで言う「瞑想」とは、一般社団法人日本ヴィパッサナー協会が行なっている10日間

葦田不見、目を灼かれる

太陽を見ていると、白色の球はだんだんとその残像と重なって緑色になる それは丸く刳り抜かれた穴のようで俺は瞳孔のようだと思った そこから想像力が開き始めた    * 瞳孔は太陽のイマージュだ 太陽が己に似せて眼を作ったのだ はじめは原生生物 暗がりの中で「眼」はまだ眼ではなかった 次第に生物は進化した だんだんと眼が育ってきた 目は海から地上へと出てきた そして今俺は太陽を見る 太陽が太陽に出会うのだ    * ヴィパッサナー瞑想10日間コース、その8日目の休憩中のこと

優しい歌が歌えない

以下は、10/3、瞑想参加前日に書いた文章である。 ーーーーーーーーーーーーーーー ヴィパッサナー瞑想に行く。合計で4回目だ。2018年に生徒として10日間コース、2019年にサーバーとして10日間コース、そして2022年に生徒として3日間コースに参加している。今回参加するのは10日間コース(生徒として)である。生徒とサーバーの違い等々はこちらのnoteを参照してもらいたい。 休職期間でまとまった時間があるから、と思いきってコースの申し込みをしたはいいものの、本当に気が

わたしにとっての瞑想

私は瞑想をする。瞑想にnoteでふれることは何度かあったけれども、今回は私にとって瞑想とは何か、ということを書いてみたい。 私が語るのは、ヴィパッサナー瞑想に関してである。それも、日本ヴィパッサナー協会が運営している10日間コースで指導を受けた瞑想のことであって、瞑想一般についてではない。私が以下において「瞑想」という語を用いるとき、それは上記の意味であることを念頭に置いていただきたい。 意識と無意識のあいだに立つこと私にとって瞑想は、意識と無意識のあいだに立つこととして

瞑想者のいるところ

瞑想しているときに自分がいるところ(それは時間的、空間的に定位することのできない「ところ」だ)は、アーティストと呼ばれる人たちが、自己と、そして材料と向き合い「何か」を制作しているところと同じように思われる。そこには私はいるようでもあり、いないようでもあり、またいないわけでもないようでもある。無私、と一言でいうのは簡単だが、無私ゆえに、私がみずみずしく存在している実感のあるところだ。主体として「私」を「ここ」に結ぶのではなく、行為として、実践として、世界と対決する。そして「何

偶然との戯れ

(ヴィパッサナー瞑想の感想、第三弾です。これで以上になります。)  前回参加したときにも人間にとっての「自然」と「人間」の話には触れたが、今回はそれを少し深めて書きたい。  だがまず、わたしが見たある「啓示的な」夢の話をしたい。これは忘れもしない2018年8月15日の夢日記からの引用である。 すごく怖い夢だった。あまりに怖くて死んで逃げ出したいと思った。そして、死んでも逃れられないものであるということもわかっていた。拷問を受け続ける。はじめは脱走者の話を聞いたんだと思う。

愛の端緒は、あまりにも小さなところに

ヴィパッサナー瞑想の感想、第二弾です。 (人類愛はいつも極めて具体的な部分から始まる。)  サーバーは男女それぞれ4人ずつくらいはいるのだが(コース期間中でもときに増減する)、うちのひとりが他のサーバーたちに林檎を剥いてくれた。その手つきがあまりにも美しくて、思わず感激してしまった。その話をします。  林檎をまず縦半分に切って、次にそれぞれの半球を三等分する。すると六つの部分が出来上がる。そして今度はそれぞれの芯の部分だけをなるべく実を残すような形でくりぬいていき、皿に並

瞑想者の眼

(ヴィパッサナー瞑想の感想、第一弾です。)  まずセンターに到着して思ったのが、この瞑想を長く続けている人ほど、目に力が宿っているということだ(コース開始前には、その前のコースの参加者が居残っていたり、コース参加予定の人が早めに訪れたりしている)。彼らはとても目が澄んでいて、視線を合わせると、わたしの奥の奥まで見通されているかのように感じる。  観相術が観相学になったときにそのエッセンスは失われた。人の顔を見たときの、この人はこういう傾向の人だろう、という今まで人と会って

またも瞑みに想っていました

 3月5日から3月16日、またもヴィパッサナー瞑想に参加したので感想を述べる。前回は時系列に大きな感情の渦を並べていったけれども、今回はテーマ毎に投稿を分けている(リンクは下の方に貼っておく)。総文量も前より少ないし、それぞれの投稿だけを読んでも十分読めるものになっていると思う。だがその前に前提だけは共有しておきたい。前回は初参加で右も左も分からない状況からのスタートだったが、今回は右くらいは見えているところから始まっている。その右の部分のことを少し説明しておかないといけない

ヴィパッサナー瞑想の感想(5/5回)

ヴィパッサナー瞑想に関する一連の投稿の最終回です。人間として生きること、それは戯れ続けることではないか。 第1回:●はじめに/●2日目 第2回:●3,4日目/●5,6日目 第3回:●8日目 第4回:●9日目/●10日目 第5回:●まとめとして ●まとめとして  この世が苦しみに満ちているということ。それを前提として、苦しみを前にした時の対応の仕方は、大きな方向性として、主に3つに分けられるのではないだろうか。 ①紛らす ②開き直る ③滅する  ①はしばしば取られる方法

ヴィパッサナー瞑想の感想(4/5回)

瞑想期間中の感想は今回で以上になる。本当に「人と会う」にはどうしたらいいのか、それを考えていたのが8日目であった。そして10日目にはついに「人と会う」ことを理解する。だがその前に9日目の話をしなければならない。わたしはからだを取り戻さねばならなかったのだ。 第1回:●はじめに/●2日目 第2回:●3,4日目/●5,6日目 第3回:●8日目 第4回:●9日目/●10日目 第5回:●まとめとして ●9日目 が、その前に、「身体感覚の回復」ということについて述べておきたい。身体

ヴィパッサナー瞑想の感想(3/5回)

折り返し地点です。8日目の内容だけで1回分の量になってしまうという。そう、一番辛い夜でした。どうやっても人と会うことができないということ……。 第1回:●はじめに/●2日目 第2回:●3,4日目/●5,6日目 第3回:●8日目 第4回:●9日目/●10日目 第5回:●まとめとして ●8日目  8日目の晩、わたしは文字どおり、孤独に潰されそうになる。この日までも当然他の参加者とコミュニケーションが取れないという辛さはあったのだが、もともと人とそんなに喋る方でもない。人と会話

ヴィパッサナー瞑想の感想(2/5回)

5日間、計5回に渡って投稿するヴィパッサナー瞑想の感想、第2回です。第1回はこちら。 振り返ってみるに、この3〜6日目は、人間としてかなり低次の状態にあったのだと思います。人間にとっての自然とは、あるいは自然に占める人間の存在とはなんなのか、そんなことを考えていました。 第1回:●はじめに/●2日目 第2回:●3,4日目/●5,6日目 第3回:●8日目 第4回:●9日目/●10日目 第5回:●まとめとして ●3,4日目  この頃になると、生活にも少しずつ慣れてくる。この

ヴィパッサナー瞑想の感想(1/5回)

 3月5日から3月16日までヴィパッサナー瞑想に行きます。正確にはそのボランティアをしに行きます。この間は基本的に連絡が取れません。ヴィパッサナー瞑想に参加するのは今回で2回目。前回は去年の秋頃でした。そのときにしたためた約14000字という超長文の感想があります。こんなにも長くなってしまったのは、その体験の濃密さもさることながら、これまでの人生で考えてきたことの総括という側面もあるためです。今回はそれをnote用に編集しました。今日から5日間、5回に分けて投稿していきます。