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葦田不見、目を灼かれる

太陽を見ていると、白色の球はだんだんとその残像と重なって緑色になる
それは丸く刳り抜かれた穴のようで俺は瞳孔のようだと思った
そこから想像力が開き始めた

   *

瞳孔は太陽のイマージュだ
太陽が己に似せて眼を作ったのだ
はじめは原生生物
暗がりの中で「眼」はまだ眼ではなかった
次第に生物は進化した
だんだんと眼が育ってきた
目は海から地上へと出てきた
そして今俺は太陽を見る
太陽が太陽に出会うのだ

   *

ヴィパッサナー瞑想10日間コース、その8日目の休憩中のことである。太陽が出ているのが嬉しすぎて何十秒かの間太陽を直視した。そのせいで10日経った今も視野の中心に太陽がおり、暗い。葦田不見なんて名前をしているが、目がいいのは昔から自慢だった。最後の健康診断でも両目とも1.2ほどはあったと思う。それが今や小さい文字を見るのにもかなり近づいたり拡大したりしないといけない。疲れるようになった。目はもちろん、頭もだ。本を読むのが好きだったが、随分と読む速度が遅くなってしまった。自業自得である。親にもらったこの身体をもっと大事にすべきだ。反省しているし、かなり落ち込んでいる。

調べたところ、日光網膜症というらしい。網膜の火傷。有効な治療法はないらしく、眼科にかかっても経過観察しながら回復を待つものとのこと。今のところは眼科にも行かず、薬局で買った目薬を注している。

ちなみに、行っていた瞑想センターの名前は「Dhammadicca」という。ダンマの太陽という意味だ。皮肉にも、太陽の名を冠するこのセンターで太陽に眼を灼かれるとは。

太陽はいつだって過剰だ。易々と太陽を受け取ろうとした俺が馬鹿だった。

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