忘却・回想・記録:3月に寄せて

3月になると「忘れない」という言葉がよく聞こえてくるようになるのだけど、いやいや、忘れないなんて嘘だ、今この瞬間も忘れていたじゃないか、といつかの3月から思うようになったわけです。
忘れない、ではなく、思い出すのだ、と。

記憶を呼び起こすには何らかのトリガーがあって、それが実は(なんとも逆説的だが)「忘れない」「忘れない」と叫ぶ声だったりします。
人々の思い思いの回想が、忘却の彼方に行ってしまいそうになった私の記憶を救いだすのです。

岩手に来て、この土地の人々のさまざまな記憶に触れて、ひとつ思い出すことができました。
私、あのときのことを手帳に記していたはずだ、と。
きっと"記録"こそが"記憶"を繋ぎ止めてくれるものだと信じて、モレスキンの手帳を引っ張りだし、メモを起こしてみることにしました。

◇ ◇ ◇

私は2011年の3月11日、茨城大学の水戸キャンパスにいました。大学生でした。千葉の実家から通って、サークルは合唱団に入っていました。
その日は合唱団の練習をしていました。春休みなので、平日だけど午前午後のぶっ通しの練習でした。
地震があって、電車が止まって、家に帰れなくなりました。

2011年3月11日(金)
14:46
地震発生@サークル棟共用練習室
室内の中央に寄り頭を隠すよう団員に指示
学友会がサークル棟から避難するようトラメガで指示(この時点で停電を確認)
15:00
グラウンドでサークルの連絡事項を通達(この時点で断水を確認)
その後一部の人は帰宅、その他の者は待機し対応を協議。
(イバダイガーが登場)
余震が頻繁にある
16:00
一時帰宅し、17:00堀原運動公園集合を確認
17:00
堀原運動公園集合
宅分け、複数人単位で班を形成しそれぞれ一ヶ所に固まるようにする(注:地震により玄関ドアが閉まらなくなった家があり、治安の悪化も懸念されることから、団員をいくつかの家に分けて何人かで過ごすようにした。実家生は交通遮断で帰れなくなっていた)
(ガスは出ることを確認)
18:00
大学近くのマックスバリューの商品がなくなる
21:00
明朝9時の堀原運動公園集合を確認
24:00
就寝
2011年3月12日(土)
7:30
起床
9:00
堀原運動公園集合
"自宅に戻って生活物資回収班"(各2人組)と"各避難所状況調査隊"を編成。11:30に再集合
~11:30
茨大に対策本部あり。トイレ穴造成中
11:30
堀原運動公園再集合
集めた物資(食料、ロウソク、電池)を配分
生活班を再編成(注:部屋のキャパシティや人間関係を考慮したものと思う)
(電気一部復旧との情報)
14:00
トイレ水隊編成(注:トイレ用の水を小学校のプールから回収)
17:00
水復活?
19:30
袴塚、電気復旧
(この頃、「ヤシマ作戦」という言葉がネットに広がる)
21:30
就寝
2011年3月13日(日)
7:00
起床。朝ごはんはパン
9:00
堀原運動公園集合
TMライナーが水戸→つくばのピストン輸送を始めたとの報告あり。
団員宅の片付けに人員が必要なところに人を送る
12:00
各宅へ再集合し昼食
16:00
堀原運動公園集合
食料配給。発熱者の報告あり、班編成を調整。
23:00
就寝

(注は今回メモを起こした際に加えた)

メモはここで終わっていて、確か翌日の14日にはここに出てくるTMライナーと動いていたつくばエクスプレスを使って実家に帰ったのでした。

あらためてメモを読み返すとサークルがセーフティーネットとして機能し、危機に対応した貴重な経験でした。

メモを起こしながら、書いていないことで思い出したこともあったし(麻雀をやったのは13日の午後だったとか)、全く忘れていたこともありました(イバダイガーが登場したとか)。
忘れてしまったことを思い出すために、記録は大事にしておこう、と3月に想うのでした。

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