寒の戻り、春、夏日

 今年は雪解けが早かった(というより解けるほどの雪がなかった)割には、所謂寒の戻りが長く続いた気がする。先週まで外に出るときはダウンとマフラー、ニット帽、そして手袋を装備していた。が、ここにきて急に暖かくなった。というか、今日突然気温が上がった。いきなりの夏日。それも盛岡の最高気温は29.8℃なので、ほぼ真夏日といってよい。
 さすがに家の中にいるのはもったいない気もしたので、お昼を食べた後散歩に出かけた(体を動かさないと寝つきが悪い)。春から初夏のぽかぽか陽気を、お酒を飲んでいたころ(今はやめた)は「昼からビールを飲みたい気温」などと例えていたが、それよりも少し高い感じ。「外でアイスを食べたい気温」だった。
 氷菓子を公園のベンチに座って食べたらさすがにこのご時世だととがめられそうな気もしたから、途中のコンビニでクーリッシュを買って、吸いながら運動公園を歩いていた。そうしたら職場の人(子連れ)に遭遇してしまったのでちょっと恥ずかしくなって、あからさまな照れ笑いをしてしまった。アイス食べながら歩いているおっさんをお子さんに見られてしまった。公園の桜も散り始めた。桜の季節が終わる。

 さて、ついに5月になってしまったが、事態が改善している感じがしない。その割には岩手では相変わらず感染者が確認されない。飲食店などは開けているところもあれば閉めているところもある(といっても、私の住んでいる盛岡の端っこの話。街に出ていないので大通りとかがどうなっているのかよくわからない)。外食をしている人も結構いるが、レストランの駐車場を見るといつもより少ない感じはする。テイクアウトを新たに始めたり、これまで以上にアピールしたりしているところも多い。チェーン店にはテイクアウト宣伝用の”のぼり”が到着し始めたようだ。小売店では例のビニールのカーテンが定番化している。

 近所に北東北ローカルのスーパーがあって、土日はだいたい卵が98円になるので、スマホでチラシをチェックして買い物の采配を立てていたのが、4月の第二週、卵がチラシから消えた。たまに金曜日の時もあったけど、そういうわけでもない。行ってみると、客の集中を避けるために特売をやめたのだそうだ。代わりに毎日128円になった。そして2週間くらい前からは日替わり特売(〇日のお買い得品みたいなもの)もやめて、「〇日間のおすすめ品」となった。まあ、これはこれで買い物しやすいのだが、岩手でも何かの変化を感じ取れる事象ではある。

 私の職場でも在宅勤務が始まった。3月の下旬から4月の第三週まで、毎週のように泊まりの出張をしていた。しかも私の仕事は天気に左右される仕事で、前日に予定が変更になることもしばしば。まさに晴耕雨読。気を張った日々が続いていたから、少し解放されていた気持ちもする。だけど私の仕事は常にチャンスが年1回、といったふうの業務なので、こうやって普通に仕事ができなくなってしまうと、今年はもうモノにならないな、とあきらめムードだ。
 在宅勤務といっても、データの持ち出しについては以前から厳しく制限されていたし、業務に関連するデータを家で見られるようにする仮想デスクトップのライセンス数が職員数に対して全然足りておらず、結局家でできることはたかが知れている(そもそも勤め先が整備していた在宅勤務の制度は子どもの世話とか、そういうことのためなのだ)。挙句の果てに文献探索や自己啓発でもよい、みたいなふわふわした運用がなされている。

 父が、同じく一人暮らしをしている弟も交えて、ビデオ通話をしようと言ってきて、先日実際にやった。聞けば、昔の仲間とオンライン飲み会をしたらしい。楽しかったのだろう。今年で65歳。老若男女関係なく、新しいパラダイムが押し寄せる。
 この前、日常が遠くなったと書いたが、この前までの”日常”はもう戻ってこないのではないか、と思っている。やってきた新たな日常の中で、新しいやり方を見つけ、適応していることが求められているのだろう。
 今は”晴耕雨読”の極みと受け止めて、新しい日常をつかみにいかなければならぬのだ。

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