西天満のうまい中華

 こういうご時世だから、大型連休はだいたい読書をして過ごした。読書のお供はコーヒーだったりお茶だったり。コーヒー豆は常時2種類は用意しているし、お茶も煎茶、紅茶、ルイボスティーなど、われながら幅広く押さえている。お酒をやめてから、金をかけるところが変わったのだ。
 この前、ハリオのティーマグ(茶こしと茶こし置きにもなるフタがセットになっているので一人でも楽においしくお茶を飲める)で台湾茶を何煎か楽しんでいたら、ふと、大阪にいたころのことを思い出した。

 前の会社で大阪の事務所にいたのはとっても短くて、約8か月(最後は異動ではなく退職)。8月の暑い時期に赴任した。住んでいたのは千林。せっかくなので、面白い商店街があるところに住みたいと思って選んだ。不動産屋は「東京でいえば亀有みたいなところ。行ったことないけど」と言っていた。転勤者の大半が御堂筋線沿線あたりに部屋を借りるところ、京阪沿線は私と、現地採用のパートさんだけだった。
 事務所は西天満にあって、天神橋筋商店街も近いし、ランチには全く困らなかった。今でも大阪に遊びに行くと、立ち寄る店がある。
 東京の事務所では、みんなバラバラに昼食をとることが多かったが、大阪は小さい事務所だったので、だいたい何人かでランチに出た。
 みんなのお気に入りの一つに、事務所が入るビルからすぐ近くのおしゃれな中華のお店があった。私がランチで利用したのは2、3回ほどで、着任からほどなく、夜営業に注力するといってランチ営業をやめてしまったのではなかったかと思う。

 時は経って1月。私がいた会社は、定例人事が2月で、うちの事務所では、長く赴任した人間が送別会の会場を決める権利を持っていた。一番長くいた次長はその権利を行使せず、同じ期間大阪にいた、私もよく一緒にお昼を食べに行った先輩にどこにするか声がかかった。
 「あそこの"夜"に行ってみたいんだよね」と先輩が常々言っていた、件のおしゃれ中華に白羽の矢が立つ。幹事が問い合わせると、5千円からの料理おまかせコース、飲み物代は別(飲み放題なし)という中小企業サラリーマンにはなかなか厳しい条件。だが、この年の親睦会幹事長(管理職)はたまりにたまっていた繰越金をいつまでも残していても仕方がないから使ってしまえ、という方針だった(だもんで、その年の社員旅行はお座敷遊びまでしてしまったのだ)。奮発しておしゃれ中華での送別会開催が決まった。

 小さいお店だったけど、貸し切りとまではいかなくて、カウンターの客は黒塗りの車がお迎えに来るような人だった。
 おまかせのコース料理は、定番冷菜のよだれ鶏あたりから始まって、少しずつゆっくり運ばれてきた。
 ぜんぶおいしかったのだが、印象的なのは酢豚で、一度柔らかく煮たような豚肉を、衣をつけて揚げて、そこに黒酢のあんがかかっている。パイナップルを入れるか入れぬかの論争などには与しない、ケチャップもいらんぞって感じの姿。酢豚をあまり好んで食べないが、これはとてもおいしい。これを超える酢豚にはその後出会っていない(最近知ったのが、黒酢で豚だけ、の酢豚は中国北方のスタイルらしい。それを先鋭化させたのがこの店の酢豚という感じ)。
 それから、エビチリ。これもエビチリと呼べるのか、よくわからないが、エビは一本で一人前。ただし大きなエビで、これが酢豚と同じように薄い衣をまとって、やはりケチャップとは無縁の麻辣風のソースがかかっている。非常にエビらしいエビで、おいしい。

 飲み放題ではない、という話はきちんとしたような気がするが、料理がおいしいのでみんなのお酒は進む。話を覚えていたパートさんは途中から中国茶にきりかえてくれ、2煎が目安と言われたが、さらになんどかお湯をさしてもらっていた。
 会計はなんとか、ほんとにギリギリ親睦会の残金に足りた。しかし、繰越金と言っても歴代の社員のお金である。少しずつ取り崩すならまだしも、この年で使い切ってよかったのだろうか。
 だけれど、これだけおいしい体験は平均的サラリーマンの私にはこの先ないだろうな、と思う。

 台湾茶を飲みながら、大阪のこの創作中華の店を思い出す。中国のお茶は、この店でのことと同じように、とにかく何煎も楽しめるのがよいのだ。毎回少しずつ味わいが変わってきて、日本茶にはない面白さがある。

 ところで、これを書くために、このお店のことをあらためて調べてみると、あれからさらに人気が出て、予約の取れない店になっているらしい。それでもこのご時世だから、4、5月はテイクアウトをしていたそうだ。コースだとなかなか手が届かないが、一品からのテイクアウトとは、ずいぶんとこちら側まで降りてきた感じがする。それでも予約で埋まってしまうそうだが、大阪の人がうらやましい。 

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