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おとなの膝っ小僧は恥ずかしい【連続投稿#10日目】

今日も夜更けにこんばんは。よしだです。

今日は同僚と最近の膝話(30代入ってから、謎の膝のアザが増えたよね)で盛り上がりました。


ひざっこぞう
いいリズム感です。
私の小僧は恥ずかしがりやで中々人前に顔を出さないけど、割とお転婆ですぐ青たん作ります。
小僧だし、お転婆だとちょっと違うかな?

【 お転婆(おてんば)とは男勝りの活発な女の子をさす。お転婆娘(おてんばむすめ)と言った表記もある。 】Wikipediaより引用

割と意味合ってた。うちのお転婆ひざっこぞう。
なんか字面が物騒だよね。
ばあさま転んだら大事故の臭いがするよう

【追記:男女いずれにもいう転婆は親不孝で従順でないこと。また、そのような人】Wikipediaより引用

なるほど、ばあさまの言うことを聞かずに転がしちゃう系の人にも使うってことね。

そんなことで、ばあさまの事について書いてみる。

【よしだとばあさま】
うちは3世代家族で、父・母・祖父母と同居していた。
家族経営で農業を生業にしていたので、
みんな家族兼、従業員でもある。

こども達だって要請があれば畑で人参を掘ったり里芋を植えたりする。
それがあたりまえ。

女姉妹の末っ子である私は、よくばあさまに今後のよしだ家について言われていた。

『お前が婿をとってよしだ家を継げ』

当時は、またいつもの始まったわ〜と流していた。
休みなし、肉体労働の職場なんぞ、誰が継ぐものかと。
今改めて聞くと、とんでもない言葉を放たれていたもんだな。
割と頻繁に聞こえていた。

家を継ぐこと。
脈々と繋いでいくのが大事と言うことは分かる。
当人達は先祖代々の仕事を受け継がなければ、と必死なんだろう。
ただし、それは本人の意思であるならば、の大前提がある。


小さい頃は適当に無視していても、
人生の節目節目にその言葉が浮かんでくる。
大学を決めるとき
職を考えるとき、
結婚を考える相手と出会ったとき。

知らず知らず、その言葉に影響されていた。
呪いのようだな。

よしだ家を継ぐものはいないと決まった時、
私は仕事場でボロボロ泣きながらピペット操作をしていた。
何が悲しいのか、悔しいのか分からない。
不意に部屋を訪れた同僚に不審がられた。


業務中不審涙事件のあと、とてもスッキリした気持ちになったことを覚えている。
泣き腫らした後だからっていうのもあるけど、
ルールから解放されたような
清々しいきもち。


無意識に自分ルールを作っていたんだろうな。
呪縛から解かれるのに30年もかかってしまった。


まだまだ水面下の呪縛が潜んでいるんだろう。
膝にできたら青アザが時間をかけて薄く見えなくなるように、
ゆっくりと時間をかけてほぐして生きたい



お転婆に生きても良いじゃない。


よしだ。


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