ゆるい幸せなんて、だらっと続かない。それでも僕たちは、贅沢をしなければならない。
2020年1月14日、午前7時。
ぬるく澱んだ空気を入れ替えようと窓を開けると、トゲのある寒さが鼻をおそい、大きくくしゃみをした。
目の前の青空をぼーっと覆うように薄い雲がただよっていて、朝からアンニュイな気持ちにひきずられる。
「なんだか2010年みたいな空だ」というセリフが頭に浮かび、すぐに何かを思い出したようにiPhoneから音楽を流す。
ソラニン。
2010年、浅野いにおの人気作「ソラニン」の映画化にあわせ、主題歌としてASIAN KUNG-FU GENERATIONがつくった曲。
作中に登場した歌詞をそのまま使い、郷愁と疾走感が共存するメロディがリスナーの胸を打った。
最近のフェスやライブではあまり演奏しないらしいけど、バンドをメジャーにしたって意味では「アジカン史」に残る一曲だろう。
当時、学生や駆け出し社会人をやっていた人たちは一度ぐらい聴いたことがあるんじゃないだろうか?
親友が似たような感情を上手くツイートしてたので拝借した。イントロのギター0.4秒も、サビ直前の駆け上がるようなドラムも、ラストのゴッチの絶唱も、曲をつくるあらゆる要素が「2010年代前半」を感じさせる。
もちろん当時の僕が、エグザイル系じゃなくてアジカン系な生活をしていた影響は大きいと思う。この映画と音楽に2010年代前半の思考とか行動を染め上げられた人たちとは、一瞬で仲良くなる自信がある。
部屋に響きわたるソラニンがサビを迎えた。
たとえばゆるい幸せが だらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出してもう さよならなんだ
ふと思う。
「ゆるい幸せがだらっと続くような日々」って、簡単に手に入らなくなった。
「ゆるい幸せ」なんて、おとぎ話
ここからは原作と映画の話。
物語の前半では、大学を卒業しても音楽をゆるく続ける種田が、本気でミュージシャンを目指すのか夢だと割り切るのか葛藤する日々が描かれている。
ざっとストーリーをまとめてみた。
種田はバイトをしながら恋人・芽衣子の家に居候し、バンド仲間と交友を続けながらつつましくも幸せな毎日を送っていた。
しかし夢を諦められず、芽衣子の説得もあってもう一度仲間たちと音楽を志す。
決死の覚悟でつくった「ソラニン」のデモテープ。しかしレコード会社に正当に評価されることはなく、大きな挫折を味わうのだった。
ところで浅野いにおの原作コミックが連載されたのは、2005年から2006年にかけてだったのはご存知だろうか?
僕は単行本になってしばらくしてから読んだので連載中のことは知らない。
あくまでも一般論として、その頃はバブル崩壊から長らく続いた平成不況が終わった約3年後。アテネオリンピックを契機に薄いテレビとかのデジタル家電が普及し、当たり前にケータイを持つようになった頃。
GDPも安定的に成長し、人々は「失われた10年」を取り戻すために凝り固まった身体をほぐして新時代を動かそうとしていた。
たしかに種田は大卒フリーターだし、芽衣子もなんだか暗そうな会社に勤めていた。だけど就職2年目で退職しても、しばらく同棲生活できるだけの貯蓄もできていた。そのぐらい日本全体の景気は上向きだったはず。たぶん。
だから「ゆるい幸せ」を「だらっと続けられた時代」だった。
リーマンショックも、東日本大震災も、それからすぐにやってくる。
世界恐慌、就職氷河期、派遣切り。
まだ高校生だったから実感がないのが正直なとこだけど、当時を知る上司たちは「会社が倒産しかけた」「カラーコピーが禁止された」「交通費が出ないから歩いて客先に行った」と言った。
もしリーマンショックが起こった後だったら、芽衣子はあっさり会社を辞めていただろうか?種田はデザイン事務所でコピペばかりするバイトを続けられただろうか?
大地震、津波、原発事故。
ソラニンが上映されたのは2010年4月。はたして1年後に、日本の景色や空気が全く違うものになることを誰が予想できただろう?
だんだん記憶が薄れはじめたけど、明日は僕の街が壊れるかもしれないと慄いた夜を生涯忘れることはない。
そして2011年以降も、異常気象とか「無敵の人」による大量殺人とか、唐突に命を落とすニュースが続いている。
ブラック企業、ハラスメント、うつ病。
日常生活で明るい話題もあまり見なくなり、人々は何かを忘れるように4つ打ちロックやEDMで踊り狂った。
「ゆるい幸せがだらっと続く物語」もすっかり見なくなった。会社辞めても同棲できたりライブハウスを借りれるなんて非現実的だし、苦しむ人達を救うこともできない。
若者が大人になる葛藤をリアルに描いたはずのソラニンは、今やおとぎ話になってしまったのだ。
それでも「贅沢」をしなければならない
これだけ偉そうに書いたくせに、なんと僕は劇場でソラニンを観ていない…。どうして行かなかったのか覚えてないけど、最初にDVDで観た日のことはハッキリ覚えてる。
2010年9月、大学の夏休みが終盤に入った頃。当時の彼女と空前絶後の大喧嘩をして音信不通になっていた。
デートも無くなってすることがなく、せめて誰かと遊びたいなと名古屋を目指した。高校の親友たちを訪ねて朝まで酒を飲むことにしたのだ。
くだらない話に花が咲き、大方飲み尽くした雨降りの深夜。「これ借りてきたから一緒に観よう」と、ソラニンのDVDを手渡された。
すでにレンタルショップに並んでいたことは知っていたけど、1回目は彼女と観たかった僕はめちゃくちゃ渋ったのを覚えてる。しかし残念なことに男が三人ベッドに並んで腰かけてソラニンを観る羽目になった。
ラストのライブシーンで、種田と芽衣子が付き合いはじめたときの回想が流れる。「絶対離しちゃ駄目だよ」と二人が手をつよく握ったところで「ウグッ…」と声を上げた。嗚咽するほど泣いてしまったのだ。
僕は隣の男たちに泣き顔を見られないように布団にくるまった。ベランダの窓から外を見ると、雨がやんで朝日が差していた光景を忘れられない。
それからの僕は、種田と芽衣子の関係に憧れるようになった。日々のささやかな出来事に喜び、ときに喧嘩しながらも夢に喰らいつく二人に自分たちを重ねようとした。
大きく挫折したときには、せめて手をつなげれば充分だと、肌で感じたかった。
それすら途絶えて、消えてしまったけど。
あれから9年半。このnoteを書きながら久しぶりにソラニンを観ている。
「種田は好きな音楽で誰かに評価されるのが怖いんだよ、評価されてはじめて価値が出るんじゃん」
当時は暑苦しくて好きじゃなかった芽衣子のセリフが、30歳を目前にした今、ようやく目を熱くさせた。
本気でバンドを再開した種田の、文字通り燃え尽きるまでギターをかき鳴らす姿に、過去の自分が重なった。
たとえ命が危うい時代でも、僕たちは誰かを愛し、夢に固執する「贅沢」を続けなければならない。
おとぎ話を現実に変えようとしない限り、いつまでも「悲劇の主人公」のままなんだ。
「あの頃の僕にはもう戻れないよ」と寂しそうに歌うのは、もうやめにしないか?
「あの時こうしていれば」に、さよならなんだ
大学時代の後輩に、高良健吾が眼鏡をかけたような、まさに映画の種田にウリ二つな男がいた。
映画好きな彼はソラニンを何度も観ていて、明大前の小さな部屋で一緒に酒を飲みながら「あの時こうしていれば」と昔の話をしたものだ。
そんな彼も、去年めでたく結婚した。
岐阜から東京へ結婚式に駆けつけ、二次会でようやく言葉を交わしたとき、なぜか僕はソラニンの話をしてしまった。
すると彼は「最近あんま好きじゃないんですよね。なんかもう、ムカつくんすよね」と言い出して、それがおかしくて笑ってしまった。
僕もいつか結婚したら、いつまでもぬるいところに留まろうとする種田や芽衣子にイライラするんだろう。
きっと、ゆるい幸せどころじゃない、固く結ばれた幸せに夢中なのだから。
※ヘッダー画像は下記より拝借しました。https://tower.jp/article/series/2010/04/05/4714
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