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いつかのハイボールが、自己開示の大切さを教えてくれた

ーもう、何もしたくないー


今から数年前、僕は広告会社で営業をしていた。担当していたクライアントの業務に文字通り24時間追われ、深夜3時に有楽町の道沿いで座り込む日々。

風が冷たくなり始めた10月頃、はじめに胃腸がおかしくなり、トイレから電話対応することが続いた。

家で寝るときはスマホをタオルにくるんで押入れにしまってから床につく。バイブレーションが怖いからだ。

病院からオフィスに戻って上司に相談すると、スムーズに3週間の休暇が与えられた。休みが明けて最初に言われたのは、翌日からの異動。

元々は自分から願い出た営業のポジションだった。社内からの期待も自分のプライドも最高潮で、ゆえに情けなくてたまらなかった。

周囲からの好奇な目と空虚な励ましの言葉。


ーもう、ここにいたくないー


あの日僕はそう呟きながら、ノートパソコンと空っぽの書類入れを抱えて別のフロアに向かった。


未知との遭遇

新しい配属は、当時は取り扱いの少ないインターネット広告に関する部署。どんな仕事をしているのか、恥ずかしながらよく知らなかった。

新しい上司との面談を終えて席に座ると、「来たな〜」という気丈な声が聞こえる。堅い社風にあらがうように紺のポロシャツの襟を立てているこの人こそ、僕の教育係になる先輩だ。

「よろしくな〜」と隣の席にポーターのリュックを投げ置く姿は、「インターネット広告」という言葉が様になっている。それでいて頭の上が少しさみしいものだから、年齢がまったく読めない。

こんな人が会社にいたのかと、僕はびっくりした。


その日は彼からインターネット広告のざっくりとした仕組みや業務内容を教わった。カジュアルな見た目とは裏腹に、よぶんな話がなくスムーズに説明が進む。

「やってるうちに覚えるから」と言うが、初めて見るカタカナや数字の計算に震えたのを覚えている。

席に戻って「インターネット広告 用語集」という分厚い本を読んでいると、あっという間に終業時間になった。まだ身体も仕事モードに慣れておらず、早く帰りたくて「お先に失礼します」と言いかけた、そのときだった。


「なあ、飲みに行かない?」


正直なところ、まったく行きたくなかった。

実はその日、別の同僚たちとランチに行ったのだが、それがしんどかった。『どんな症状だったの?』『休みの間どっか行った?』『いいなあ俺も休みてえなあ』などと、”興味本位”や”謎の羨望”を浴びせられたのだ。

僕だって好きで休んだわけじゃないし、つらい日々だったのに、『いいなあ』とは何事だろう。病状なんてプライバシーの極みなのだから、誰にも言いたくない。

だからこの先輩にも、誰にも触れてほしくないところを荒らされるんだろうなと、ひどく憂鬱になった。

しかし目の前の彼は、見透かしたような口ぶりでこう言った。


「大丈夫、わかってるから」


突然の離婚宣言

会社から歩いて10分ぐらいのチェーン居酒屋に二人で腰をおろす。一息つく間もなく「ビールでいいか?」と聞かれ、ハイと頷く。他愛もない話をしていると、黄色く濁ったグラスが目の前にやってきた。

「とりあえず、乾杯!」

僕はビールを口につけながら、昼の一件のように根掘り葉掘り聞かれるのかなと、淀んだ気持ちになった。目の前の先輩は、たくましい喉をゴキュゴキュと動かしながら、うまそうにそれを流し込んでいく。

あっという間に半分ほど飲み終えると、身構える僕に向かってこう言った。


「俺、実は離婚してんだよ」


あっけにとられる僕をよそに、前の奥さんとの馴れ初めや結婚式での出来事、挙句の果てに離婚の真相まで先輩はベラベラ喋り倒していった。

念のため言っておくと、彼が離婚していたことなど知らなかったし、何なら婚姻歴があるとも思わなかった。昨日まで接点がなかったからだ。

はじめて乾杯してから30分足らずで、先輩の恋愛遍歴を僕はひととおり学んでいく。インターネット広告のことは、まだ何も覚えていないのに。

矢継ぎ早に飛んでくる彼のエピソードを肴に、二人で空けたグラスが次々と並んでいった。


お酒はいつの間にかハイボールに変わり、話題も先輩の合コンの失敗談に移っている。

「酒を飲むときは仕事の話をしない」というのが彼のモットーらしく、ここに来てから難しいインターネット広告の用語は一度も出てこない。厳密に言えば女性と関係を持つことを”コンバージョン”と呼んでいたが。

彼のごきげんな話し声と僕のゲラゲラ笑う声、さらにハイボールのジャラジャラという音が重なって、活気が生まれている。


ーこんな気持ちになったのは、いつぶりだろうー


まずは自分から

店に入って2時間ほど経ったころ、先輩が「この一杯で会計しようか」と持ちかけた。思えば一刻も早く帰りたかったはずなのに、この場が名残惜しくなっている。

そういえば、まだ僕の体調の話をしていない。

先輩に気を遣わせてしまったと、申し訳ない気持ちになったのだが、彼はすぐにこう続けた。


「こうやって俺の話をたくさんしてたら、いつかお前も、お前のこと教えてくれるかもな、って」


身体の奥底から、ぐわっと熱いものがこみ上げてくる。

体調を崩したことで、社内に居心地の悪さを覚えていたし、腫れ物扱いされるのが嫌だった。

根掘り葉掘り聞いてくる人たちはみんな興味本位で、本当に心配してくれる人なんていないと思っていた。

でも、この先輩は違う。

きっと彼は彼なりに、僕について知りたいこともあったはずだ。けれど野次馬根性で僕の口を開かせるのではなく、はじめに彼自身のパーソナリティーを開示してみせた。

するとどうだろう、2時間程度いっしょに酒を飲んだだけなのに、すっかり心を開いている僕がいる。なんなら、もっと話したいという気持ちさえ湧いているのだ。


僕は営業マンという自分の志望を満足に実現できなくて、おまけに身体まで悪くしてしまったから、少なからず挫折をしていた。もう会社も辞めようと考えていた。

でも、また「やってみたい」と思い直せた。この先輩と一緒に仕事をして、喜びを分かち合いたい。そして二人で笑いながら酒を飲み交わしたい。


「まずは自分から、ってこと」

先輩はそう語り終えると、「これからよろしくな」とグラスを差し出した。僕も慌てて手に取って「よろしくお願いします!」と彼に向けてみせた。

どちらからともなくチャリンと重ね合わせ、氷の溶けきったハイボールをぐいっと飲み干した。


思い出と教訓

それから僕は、先輩のもとでインターネット広告のいろはを教わり、刺激的な仕事に恵まれた。

はじめて自分の担当した広告が出稿された日。取引先に呼び出されて夜まで怒られた日。何もなかった日。仕事終わりにたくさん酒を飲んだものだ。

休日も一緒に遊ぶことが増え、女の人がたくさんいる飲み会にも連れていってもらった。お互いいつも成果はなかったけど、終わった後に開かれる反省会での酒も悪くなかった。

あれは元気になった僕がBBQを開いたときのこと。遅れて来た先輩が「いつもお世話になっております!」と深々お辞儀をしながらビールの箱を差し出したときは、会場が沸いた。ほとんど自分で飲み干したのも最高だった。

仕事とプライベート両方について、僕の東京でのエピソードに先輩はしばしば登場してくる。

エモーショナルな思い出だけじゃなくて、「相手のことを知りたいときは、率先して自己開示する」という学びとともに、僕の人生を支えている。


いつかの乾杯は次の乾杯のためにある

あれから数年、僕は次の夢を叶えるために、会社を辞めて岐阜の田舎に帰った。

先輩は新しく出会った女性と結婚して、去年生まれた息子さんと3人で暮らしている。毎日のように飲み歩いていた先輩だったけど、今はきっと家族との時間を大切にしているだろう。

最後に二人で会ってから、社会はすっかり変わってしまった。

未知のウイルスが日常を奪い、以前のようにワイワイ飲み交わすことが難しくなった。

幸いにも僕の地元では感染が拡大していない。でも自分が都会へ遊びに行ったせいで何か起こったらと思うと、うかつに動くことができないでいる。東京と岐阜のあいだには、心理的な壁が立ちはだかってしまった。

次に先輩と乾杯できるのは、いつになるんだろう。


そういえば、地元で新しく歳下の友人ができた。人当たりは良いのだけど、お互い距離感をはかるのが苦手なので、どうもギクシャクしてしまう。

このnoteを書きながら、いろいろ落ち着いたら二人で飲もうよと誘うことに決めた。そして僕がいかにモテてこなかったか、どうしようもない失敗談を披露しようと思う。

離婚歴はないので、先輩のように面白く話す自信はないけれど、この言葉さえ間違えなければそれでいい。

「まずは自分から、ってこと」

#また乾杯しよう

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