見出し画像

囚われ

2月16日(金) 20:32

私は幼い頃、誰かに監視されているような感覚が常に体にまとわりついていた。家の外に出た瞬間から自分の素とは違う人格に擬態して1秒たりとも油断してはならないという緊張感の中で生活をしていた。何をするにも誰にどう思われているかを気にして身動きが取れず、そうなると人間関係も上手く行かない。学校という環境に辟易していた。感情を表現することが苦手だった。表情一つひとつが気になってしまい、鏡の前で何度も何度も笑顔の練習をした。腫れ物扱いされない為に自分を取り繕うことに必死だった。そんな歪んだ生活の中でも、人間という生き物である以上いつかは飽きが来るもので、毎日狂ったように自意識に囚われているとその内自分自身にも飽きてくる。自分に飽きるとようやく他人に視界を広げる事ができる。そして、案外他人も自分のこと以外に興味はなく、周りを気にしていることなどほとんどないのかもしれないということにも気付く。認識の歪みに気付いた瞬間から自分の気持ちのみに精一杯だった窮屈な世界から抜け出すことが出来た。それと同時に張りつめていた緊張の膜が解けていき、他人を受け入れるという余裕が出来た。敢えて周囲を拒絶することで孤独を薄めていた自分を受け入れることで素の自分で他人と関わることが出来るようになった。どう見られたって良い。どうせ周りはそこまで気にしないし、どう見られるか気になってしまう人がいる場合はなるべく関わらないようにすれば自動的に気にならなくなってくる。理解の及ばない人間に構っている暇があるほど人間の一生は長くない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?