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生まれ変わりの猫#1

2020年1月、猫を拾った。名前をぎにーちゃんとした

2020年10月ぎにーちゃんは異物誤飲で腸閉塞になって死んでしまった。
その治療を自分自身でやった。何故なら、病院に行けって反応しなかったのと、金曜はどこもお休みだったから。

私の力及ばす、腕の中でぎにちゃんは亡くなった。

「私が病院が嫌いすぎて、反応を歪めていたのかもしれない。」

「もしかして病院に行っていたら、彼女は救われていたのかもしれない。」


ぎにちゃんの呼吸が止まってからも、しばらく、インデプスで反応が取れた。
本人が望む埋葬方法について、取得した。
死の直後、泣きたい状況でも
冷静にやらないと正しい反応なんか取れないから、涙を超えた集中が求められた。
”日本とエジプトに白と黒の毛をそれぞれ撒いてほしい”

だった。

”黒色はナイル川に、白色は日本の自然のある場所に”

黒い毛をナイル川に撒いた日、やけに空が神々しかった

埋葬が終わっても、罪悪感に押しつぶされそうになる日が続いた。
クラウドファンディングが佳境だったから、無茶苦茶な精神状況だったけど、毎日無理やりパソコンの前に向かった。

夜になって布団に入っても
ぎにちゃんが死ぬ瞬間の映像が、フラッシュバックして寝れなかった。
ゼーゼーと息が荒くなって、死にたくないって、最後まで生きようともがいていた。

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これはインデプスを遠ざけていた私への報いなのかもしれない。

だって、インデプスを習得するってことは、新たな責任を負うって事で、
新たな責任ってのは、命を背負うってこと

治療家の資格って何だろう・・・?
国家資格を保有しているとかでもなく、治療中に命を背負う覚悟があるという事なのかもしれない。
命を背負う、そんなこと、いち人間に出来るのか?
生半可ではない
いや、そもそも、無理な事かもしれない

だから、治療家の資格ってのは
終わりのない、命の責任の旅をいつまでも続けて
日々、成長する事を自分に課している人かもしれない。

私は、延々とその覚悟から逃げていた。

ぎにちゃんは、自らの死をもって、自分の甘さを教えてくれた。

ーーーーー

埋葬が終わっても、旦那と一緒に筋肉反射テストをとって、死を見つめる日々が続いた。


筋肉反射テストをとっていて、様々な反応がある。
その反応から感じる微細な情報を、筋肉反射テストをやった事のない人に、どうやって伝えたらいいか分からない。
死後のぎにちゃんの反応を言葉にすると

”ぎにちゃんは、本当に純粋なエネルギーになっていた”

生前、背骨が曲がっていて、いつも不調でイライラしていたノイズみたいなものは無くなっていて

”ただただ、感謝の気持ちが伝わってきた”

ぎにちゃんが感謝してくれているのは分かった。

そう思ってくれて嬉しい、救われる気がする。

でもさ、まだ生きている私たちにとって
そんな感謝はまだ早いんだ、罪悪感でいっぱいだよ。
欲が深いのかもしれないけど、
それが生きるって事なんだよね。

”つぎの命も、うちに来てくれる”

”100%生まれ変わって家に来てくれる”

という反応をした。

数年後かも知れないし、数ヶ月後かも、分からないけど、
帰って来てくれるって反応した。

次のぎにちゃんが、来てくれても、同じ事をするかも知れない。

容態が悪化した命の反応を取るとき、
その責任の重さから、逃げたいと思う

逃げたいと思ったら、反応なんか取れない

自分が命を背負う覚悟を持つ事ができるか

本来は、軽いマッスルテストも、重いマッスルテストも無いはず

手に触れるとき、常に命を背負う覚悟をもって、

反応を取得するから正しい反応が出るんだ。

次のねこちゃんは、次は私が命を背負う覚悟をもって迎える

新しい目標ができた。

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