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情報過多の罪

情報化時代と言われて久しい今日この頃だが、情報には質と量という2つの軸がある。

質の議論は色々あると思うが、量は多いに越した事はないという人がほとんどではないか?「シャワーの様に浴びる」とか、「量が質を作る」とか言われる。

しかし、僕はこれには少し反対だ。たくさんの情報がありすぎると、判断出来なくなるのだ。情報がオーバーフローする。

そもそも、情報は何のためにあるのか?僕は、何かしらの判断をするために収集している。ここに面白い比喩がある。

コップ一杯の水と、ヤカンに一杯の水、火にかけて早く反応するのはどちらか?

答えは自明だ。もちろん、コップ一杯の水の方が早く沸騰する。情報も同じだ。無駄に多くなると、沸騰という反応が起こるのが遅れる。つまり、行動が遅れるのだ。

情報を入手する場合、その量が適正なのか?意識していこうと思う。無駄にダラダラと情報収集をすることは、プラスにならないどころかマイナスだ。行動に移れなくなるのは本末転倒である。

スマートニュースのようなキュレーションサイトを見に行くと、本当に様々な情報や画像があって、色々な情報が強制的に頭に流れ込み、オーバーフロー状態を感じる。そしてそのキュレーションサイトから、さらに、あちこちのキュレーションサイトへジャンプして、もう何も考えられなくなってしまう。何かを煽るような膨大な情報や人々の意見で、頭がパンク状態に陥る。こうした現代の情報のオーバーフローに対抗する一番の手段は「アウトプット」だと思っている。

ブログ、日記などなんでもいいので、とにかく思っていること、感じたことをアウトプットするのだ。人と話すのもいいかもしれないが、話すという行為は、頭の中が整理できていないと困難なアウトプットなので難易度が上がる。それよりも、書くことがオススメだ。インプットしたことは、頭の潜在意識の中にこびり付いているので、それを剥がしていくようなイメージだ。

そして、アウトプットした情報は忘れる。忘れてもいいのだ。一度アウトプットした情報は、また何かのキッカケで思い出すことができる。



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