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桜前線に感じること。

 桜の開花を楽しみにする人は多い。淡い水色の空に映える淡い花。新しい季節の訪れを告げる花。
 誰もがそうだろうか。
 今年の私は桜前線の北上が楽しみだ。お花見は、アルコールと賑やかな場が苦手な自分には縁がないが、進々堂の桜あんぱんを毎年楽しみにしている。桜餅の塩気の効いた葉と桜の香りのする米、小豆を濃い緑茶と共に味わう時間に安らぎを覚える。政府が国策で植えた杉のせいでQOLがどん底になろうとも、夏場は早朝5時に洗濯物を干しただけで熱中症で倒れようとも、桜餅と桜あんぱんを口にするときはこれが廉価で手に届く土地に住む喜びを感じる。京都のホテル代を調べてみよう。世界中から、これほど航空券代と燃油サーチャージ代が高騰した今年でもなお、何十万円あるいは人によっては数百万さえかけて見に来る景色を、私はただサンダルで外に出るだけで眺められる。たった200円払うだけでその香りを葉を味わえる。
 しかし昨年のこの時期は一切、桜を使った食品を口にしなかった。3月上旬に修士号取得確定後、会社の内定を辞退して、4月からは療養を優先に研究生活は低空飛行に入ると宣言したものの、その行き着く先が全く予知できなかったからだ。いつか正当化できるだろうか?療養を優先にと宣言したものの、20代が徹底した空白期間など過ごせるはずもないことを知っていた。桜が咲いたら、なにを軸にどんな成果を残せるだろうか。次の春はどこにいるのだろうか。修論に追い込まれていた時期よりはるかに不安だった。
 さらに5年前。2018年の春は、桜の開花予報など聞きたくもなかった。2018年は私が学部を卒業した年である。すぐに大学院に進学したかったのに、経済的理由でそれが叶わなかった。就活はした。諸事情により通常の人より何倍も困難を極めた卒論、ゼミの掛け持ち、アルバイト、複数大学の講義の履修で就活にまともに時間を割くことができず、就職活動の結果は芳しくなかった。同級生の多くはそれぞれの人生設計に基づいて、少なくとも今後5年間のすみかを決めるつもりで就職した。150人ほどいた同級生のうち、大学院に進学したのは3人。他はみな企業に就職。あるいは留年。卒業式には晴れやかな顔があった。大学の談話室のような部屋では、春からの話題でもちきりだった。どこに住むの?どんな仕事をするの?研修はどこ?離れていても連絡を取ろうよ。「桜が咲いたら」をみな期待が実現する時期の表現として使った。
 私は桜が咲いたら、今と同じ土地で、それまでのアルバイトと似たような条件の仕事をすることになっていた。手取りも福利厚生も同級生よりはるかに見劣りする。なにより、そこは大学ではなかった。学籍のない場所だった。私は浪人をしていない。最も管理体制が厳しかった幼稚園から数えるならば、3歳から約20年間過ごした学校という組織を離れることになる。それだけではない、私は大学という場が、一人で孤独に深めた知識が時としてコミュニケーション手段になり想定外の大きな扉が開く世界が、大好きだった。春からの仕事にやりがいを感じていなかったわけではない。しかしいつまでも知識を浴びて未知の事象や表現に対する共通の関心を持つ人々と会話していたかった。
 桜前線の北上のニュースは、大学から離れる時期のカウントダウンそのものだった。聞きたくもなかった。ずっと冬でいい。あるいは、早く次の冬になればいい。次の冬になれば多少は大学院の学費も貯まっているだろう。世間のどの商業施設も新生活と新入学への期待に満ちたディスプレイばかり。春が楽しみ?どうして?私の新生活にあるのは喪失感だけなのに。
 コロナウイルス流行のはるか前だったため卒業式は通常開催された。
 私は卒業式に行く気はなかった。卒業式というのは大学を離れる儀式だ。それは私にとっては一種の葬式だ。そのような場にどうして参加しなければならないのか?友人たちが何度も話題にしていた振袖の予約もしなかった。和装が似合わない自覚があっただけではなく、そもそもそんな華やかな場−の体を繕った葬式に気がなかったのだから。
 卒業式の2日前。第二外国語のドイツ語で一緒だった他専攻の友達から連絡が来た。全体の卒業式は一箇所でも、その後の細かい挨拶は専攻ごとで異なる。「終わったらどこで写真撮る?」私と写真を撮ることを前提にした連絡だった。卒業式には行かないつもり。大学を去ることを確認させられる儀式なんてとてもじゃないけど出たくない。友達は私の反応にある程度の理解を示した上で返信がきた。

 そりゃあなたにとってはそうでしょう、大学を去る儀式なのはそのとおり。それで、あなたは今後も何度も大学の卒業式に出るでしょう。入学式だって何度も出るでしょう。今すぐじゃなくてもきっといつか院に行く。受かるでしょう。出れるでしょう。でも私は。私たちは。大学院なんてお金があったって行けない。行こうと思ったところで行ける場所じゃない。私たちにとっては、最後の卒業式。小学校から続いてきた学校生活の終わり。私にとっては最初で最後の大学の卒業式。大学生活で楽しい時間を過ごしたあなたと写真を撮りたい。私にとっては最後の大学の卒業式。偉い人の挨拶を聞かなくてもいいから、途中参加でもいいから来てよ。終わったらあの棟の1階で待っててよ。

 ずいぶんと反省させられた。そう、大多数の同級生にとってはこれは最後の卒業式。大学を離れる儀式なのは私と同じでも、彼女たちにとっては離れ、おそらく永遠に戻ることはない世界へのお別れの儀式。学生として享受してきた庇護を離れる、門出の儀式。学生生活へのお別れ。
 私は学部生の頃、人間関係よりも勉強を優先した。当時から自分は最低な人付き合いをしていると感じていた。お茶も食事も宴会も。私大文系にありながらコンパには一度も参加せず、私が人生で初めてアルコールを口にしたのは4回生の夏である。同級生が時間割を一緒に決めていたのを横目に自分の好奇心に導かれるように決めていた。必修や語学以外で友達と一緒になることはなかった。勝手に選んで一人で受講した科目で友達ができたことは何度もあったが、空きコマに学食で集まって駄弁ったり、友達と空きコマを合わせようと時間割を相談したりなんて4年間で一度もやらなかった。高頻度で他の大学に行っていた、それも、先方との約束で、具体的な理由は明かさずに。それでも、大学生活を振り返ったときに私をいなければならないと思ってくれた友達がいたらしい。それならば、行かなければ。
 振袖には間に合わなかったが、上質に見えるワンピースを探した。2日前に。そして当日。日本語と日本文化に習熟しすぎて一度も外国人と感じたことがない留学生の同級生は、現代風にアレンジした自分の民族衣装を着ていた。韓国の現代風のチマチョゴリ、中国の現代風の唐服はものすごくおしゃれだった。彼女たち、振袖の日本人同級生たち、ワンピースの私でお互いを引き立てあっていいねと笑いながら写真を撮った。
 私の専攻の集会は長引いた。例の連絡をくれた友達はずっと1階で待っていた。来てくれてよかった!!一緒に過ごせてよかった!!同じ専攻の友達とも何枚も写真を撮りあった。去る儀式なんて行くものかと思っていたのが恥ずかしくなった。来させてくれてありがとう。この日だけは桜が美しく見えた。
 卒業式の翌日から、桜の開花予報は再び私に撮ってはおぞましいストップウォッチになった。学籍を離れるまで、10日。9日。8日。ついに明日。
 いよいよ2日後に学籍が切れるとなったとき、先述のとは別の友達が強制的に私をお茶に引っ張り出した。お茶が終わってからまっすぐ帰宅しようとしたら引き止められた。「散歩しよう!」「どこに行っても桜が咲いてるのに?」「散歩よ。」「学籍の喪失を告げる花なんて見たくない。」「桜はあったらいいわ程度の話、お花見じゃない、働き始めたらもう平日にのんびり話すなんてできないんだから。」
 長いこと散歩した。2時間ほど歩いた。私たちは二人とも第一志望の国立大学に落ちて仕方なくここに来た。入学式の前日まで大学の所在地すら把握してなかった。この大学に来てよかったと思ってる?お互いに聞いた。
 私は最初はずっとコンプレックスだった。自分のせいだとはわかっていてもこんなところに来たのが屈辱とさえ思った。しかし3回生以降少しずつ、屈辱の意識は消えた。そして卒業式の出席をめぐるやりとりを経て、今日その散歩に連れ出してくれたあなたに会えて、ここに来てよかったと思ってる。と伝えた。

 2年後、私が大学院入試に合格した際、学部の友人がお祝いをくれた。その中の一つの箱が既視感のある配色だった。不思議に眺めていると、友人は嬉しそうに聞いてきた。
 それ、なんの色かわかる?
 なんだろう、きれいな箱だけど。
 大学の卒業式の日にあなたが着てたワンピースの色!!
 そうだ、言われてみれば!なんで!?
 ほら、大学を去る儀式なんて出ないってずっと言ってたでしょう。その大学に、やっと戻れるのでしょう。ようこそ大学にお帰りなさいって意味で、その箱を選んだ。いま大学にいない私が言うのは変な感じがするけど、おかえりなさい。
 その年、2020年の3月は新型コロナウイルスが猛威を振い始めていた。院生生活が夢見たものと全く異質になる予感がした。その予感は的中した。
 それでもこの年に見た桜は美しかった。満開になるのが楽しみだった。

 今年度の私はとても穏やかに桜前線のニュースを見ている。来月から属する場所は恐れをもたらさない。しかし来年はわからない。知識とそれを求める過程で経験する感情に取り憑かれ、国際的な資格を持って海外で働くもしくは生活することを夢みた代償は、世間の大多数の人よりはるかに試験の多い人生である。桜の開花を楽しみに思えない日々がある。それは、桜の開花を恐れる春とそうでない春が交互にやってくるということでもある。どんな場合でも常に来春からの居場所を望み通りに決める実力のある人も世間にはいるだろう。しかし私はそのような器用さも突出した実力もない。恐れる春、期待する春。
 毎年穏やかに桜を眺められるようになる時期はいつだろう。それを望む一方で、その日がやってくることが不安でもある。もし毎年穏やかに桜前線を眺められるから一生この生活を続けていいと言われても、現状のまま寿命を迎えたいとは思えない。まだ先に行きたい。まだ変えなければならない、場所と身分を。毎年同じ場所で同じ桜の開花を楽しみに思えるようになった時、一つの終わりを意味する。
 それまで、淡い色の雲はそのイメージに反して無慈悲なストップウォッチである。

自身でもバイトはしておりますが、外国語文献の取り寄せなどに費用がかかり生活は楽ではありません。もしよろしければご支援いただければありがたく存じます。