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恋愛伴侶規範(amatonormativity)とは

 こんばんは。夜のそらです。
 今回の記事では、Aロマンティックのコミュニティにとって非常に重要な、「恋愛伴侶規範」という言葉について紹介したいと思います。

1.amatonormativity(アマトノーマティヴィティ) ????

 いきなりですが、見慣れない言葉ですよね。この言葉は、北米の哲学者であるエリザベス・ブレークさんが発明した造語です。「amato」というのは、ラテン語で「愛されている人」という意味があるそうです。
 この言葉は、ブレークさんが(勝手に)発明した造語なので、英語圏の人にとっても異質な言葉ですし、もちろん日本語の訳語も正確には決まっていません。

 そんななか、驚くべきことに(!)最近ブレークさんのMinimizing Marriagre(『結婚を最小化する』)が翻訳されました(※日本語タイトルは『最小の結婚』)。わたしは、とてもわくわくして真っ先にamatonormativityの訳語を確認したのですが、翻訳された方たちは、今回は「性愛規範(性)」という訳語を選択したようです。

 この本を翻訳したのは、家族社会学の大学教授(や博士課程の研究者)の方たちなので、素人のわたしが批判すべきではないのですが、でも、amatonormativityという言葉をAロマ(+Aセク)コミュニティの内側から見てきた立場から言うと、この訳語は「微妙だな」と思います。それと、いちいち指摘するべきでないかもしれないですが、amatonormativity という概念を説明する重要な箇所について、誤訳にしか見えない箇所がいくつかあり、翻訳の出版に飛びあがって喜んだ身としてはすこし残念です。

 すみません、最初から少しネガティブなことを書いてしまいましたが、わたしがそういう風に思っている理由も含めて、これから「恋愛伴侶規範」という言葉の意味と、その言葉の可能性について、わたしなりに解説していきたいと思います。

2.ざっくりした説明

 すごく簡単に説明すれば、「恋愛伴侶規範(amatonormativity)」は、「一人の特別な人に恋愛をして、その人と結婚して、ずっとその人だけを大切にすることが、人間の最高の幸せ」という考え方、あるいは、そういった考えに基づく圧力のことを指します。そしてブレークさんは、これをすごく悪いものだと考えていて、この言葉がAロマコミュニティによって歓迎されたのは、まさにそれが、Aロマ(やAセク)の人たちを苦しめている社会の「悪さ」をはっきりと見えるようにしてくれたからでした。

 このように書くと、「でも、世界でたった一人の特別な人と結婚して、そのひとを大切にするのがどうして悪の?それってすごく幸せじゃない?」と思う方がいるかも知れませんね。

 そういう考え方をするひとは、別にいてもいいと思います。

 問題なのは、そういう考え方が、社会全体のなかですごく支配的で、そういう考え方に沿った人生を歩まない人は「かわいそう」で、「不幸で」、「二流の」人生を歩んでいる、あるいは「負け組」だと、勝手に扱われてしまうことです。
 つまり、これは単なる「ひとつの考え方」ではありません。それは、ひとの考えを支配し、否が応でも全てのひとがそれに従わなければならないことになっている「規範(norm)」として、現実に機能しています。だからこそ、ブレークさんはこれを、―――異性愛こそが人間の「ふつう」であり、ひとはみな異性愛者であることが正しいのだ、という「異性愛規範(heteronormativity)」にならって―――「恋愛伴侶規範(amato-normativity)」と呼ぶのです。

3.正確な定義①:ブレークさんの2018年の論文から

 次に、ブレークさん本人による「恋愛伴侶規範」の説明を正確に確認しておきましょう。そして、なんといっても、ここで頼りにすべきはブレークさん自身のブログでしょう。以下のページで、ブレークさんが「Amatonormativity」の説明をしていますので、主にここを参考にします。

 このページの冒頭では、ブレークさんが2018年に書いた論文(Do Subversive Weddings Challenge Amotonormativity? Polyamorous Wedding and Romantic Love Ideals)を読むように言われています。その論文では、「恋愛伴侶規範」は次のように説明されています。(論文は上のリンクから簡単に読めるので興味がある方はどうぞ)

恋愛伴侶規範:「二人だけの、恋愛的かつ性愛的な愛の関係性という同じタイプの関係性を、誰もが求めているし、誰もがそうした関係のタイプのなかでこそ花開いた人生を送ることができる」という期待。およびそのような規範的な期待のこと。(論文の「Abstract」より)

 ここでは、「人間は誰もが特定の誰かと「二人っきり」の関係を求めているし、そういう「伴侶」を見つけることで「花開く=幸せになる」のだ、という考え(期待(expectation))」として、amatonormativity が説明されています。
 さらに、その「二人の関係」は、「恋愛的で性愛的な愛の関係(romantic, sexual love relationship )」でもなければならないと、されています。さきほどの「二人っきり」の関係を形作る「2人」は、互いに恋愛感情を持っているべきだし、たがいに「性愛の感情」つまりセックスをしたいと思う感情を持っているべきだ、ということです。

 そんなハードルの高い関係なんて、世の中にあるかしら??と思うかもしれません。いいえ、ありますね。「結婚」です。

 わたしたちの現代社会には、「結婚しろ」という非常に強い圧力が満ち満ちています。結婚してこそ人は一人前、結婚してこそ幸せになれる、etc,,,

 その結婚は、ところで、いつも「単婚」です。2人っきりということです。しかも、その「結婚」は、願わくば「永遠に」続くべきだとされています。わたしも結婚式に出たことがありますが、「永遠の愛」を誓っているようでした。(永遠って何だろう)

 さらに、現代では「恋愛結婚」が何よりも称賛されています。確かに、好きでもない相手と結婚させられるのは人権侵害だと思いますが、長いあいだ一緒に暮らす人を選ぶという「結婚」の真ん中に「恋愛(romantic love)」が据えられているのは、よく考えれば謎なのですが――だって、恋愛感情は長続きしないと、世間ではよく言われているので――、性格や趣味、生活パターンが似ている人と結婚するよりも、やっぱり「恋愛的に好き」な相手と結婚すべきだと、現代ではなっています。

 最後に、「結婚」したパートナー(伴侶)とは、セックスをするものだとされています。なんといっても、現代社会では「セックスレス」が離婚の理由として認められているのです。世界でたったひとりの、恋愛的に好きなその相手と、当然セックスもしたくなるに違いない、セックスこそが最高の愛情表現だ、という(吐き気のする)考え方が、世の中では支配的なのです。

 まとめておきましょう。私たちの社会には、「恋愛伴侶規範」が満ち溢れています。それは、二人っきりで長続きするし恋愛感情もあるし性愛の感情もある、そういった関係を誰かと結ぶべきだ、そんな関係があってこそ幸せになるのだ……つまり………結婚すべきだ! という圧力のことです。

4.訳語の問題:『結婚を最小化する』から

 以上のように、「恋愛伴侶規範(amatonormativity)」という概念は、基本的には、現在の結婚(制度)の悪さとか、不合理さとかを見えるようにするために作り出された概念です。
 だからこそ、この言葉が最初にはっきりと使われるようになったブレークさんの著作のタイトルは、『結婚を最小化する(Minimizing Marriagge)』(2012年出版)なのです。
 そういうわけで、次には『結婚を最小化する』の本から、「恋愛伴侶規範」についての説明を確認しておきたいと思います。

 この本で最初に「恋愛伴侶規範」という言葉の説明が出てくるのは、おそらく「序文(Introduction)」の5ページです。

「恋愛伴侶規範(amatonormativity)――結婚という関係や、恋愛的な愛の関係に対して、特別な価値をもつものとして焦点を当てること――」
... "amatonormativitーthe focus on marital and amorous love relationship as special sites of value-..."

ここにあるように、2012年の段階でも、「恋愛伴侶規範」は、やはり結婚や恋愛に基づく関係を特別視する考えや圧力として説明されています。
 ここで、ひとつ注意してほしいことがあります。それは、『結婚を最小化する』の全体を通して、ブレークさんは「amorous love/romantic love(=恋愛の愛)」 という言葉に関連付けながら、世の中で「望ましい」とされる関係を説明しているということです。「どうして恋愛(amorous love)に基づく関係が、友情(friendship)よりも価値あるものだとされているのだろう」、といったように。
 さらに、ブレークさんは関係性(relationship)にいつも注目しているため、「amorous relationship」という言葉も使われたりします。
 このときの「amorous」は、わたしは「恋愛の」という意味だと思います。辞書的には「好色の」とか「色恋沙汰におぼれやすい」といったような意味も出てきたりしますが、基本的には「恋愛感情をともなう」という意味で、この言葉は使われているはずです。そして、冒頭でも紹介した日本語の翻訳でも、「amorous relationship」は「恋愛関係」と訳されています(翻訳の159頁など)。そして、すぐにお気づきになると思いますが、この「amorous」という言葉は、「amatonormativity」にも深く関係があります。詳しいことは分かりませんが、「アモーレ(amore)」という言葉がイタリア語で「愛」を指すように、「amo-」という部分に、「愛」という意味があるのでしょう。そして、『結婚を最小化する』のなかでは、繰り返しになりますが、「amorous love/relationship」という言葉によって、恋愛に関わることが語られています。
 にもかかわらず、日本語の翻訳では、先ほども紹介したようにamatonormativityが「性愛規範性」と訳されています。わたしは、どうしてここで「性愛」が出てきたのか、分かりません。この概念は、わたしたちの関係性にかかわっていて、「amorous love」は間違いなく「恋愛の愛」を指し、「amorous relationship」は「恋愛関係」のことを指しているのに、どうして「性愛」という「sexual」系列の訳語を選んだのでしょうか。
(ちなみにわたしが上で引用した「序」の5ページにある「marital and amorous love relationship」の部分が、翻訳では「性愛的な愛」とだけ訳されていて、「marital」も「relationship」も訳し落とされているうえに、ここでは「amorous」も「性愛」と訳されていて、誤訳がひどいと思います。)

 そういうわけで、わたしは「amatonormativity」と「性愛規範性」と訳すことには反対です。2012年のこの本では特に、これは性愛よりも恋愛にかかわる概念だからです。ただし、「恋愛規範性」とだけ訳してしまうと、ブレークさんがここに込めたかった、「二人だけの-排他的で―長続きする-その人だけを大切にする関係」という部分が伝わらなくなるので、ちょっと説明口調になってしまい変ですが、わたしは「恋愛伴侶規範」と訳すことにしました。恋愛感情にもとづいて、ひとりの「伴侶(パートナー)」だけをずっと大切にしなければならない、それこそが素晴らしいのだ、という考え方が、「恋愛伴侶規範」です。私たちの社会での「結婚最高!主義」は、この「恋愛伴侶規範」によって支えられ、またそれを生み出しているのです。

5.正確な定義②:『結婚を最小化する』から

 最後に、再びブレークさんのブログに戻って、「恋愛伴侶規範」の定義を確認しておきたいと思います。そのブログでも、もっとも分かりやすい「恋愛伴侶規範」の説明は、『結婚を最小化する』からの引用というかたちで為されています。なので、わたしもそこを引用します。

「結婚や、伴侶になるような恋愛の愛(marriage and companionate romantic love)には特別な価値がある」という考え方は、他のケアの関係性の価値を見落とすことに繋がっている。わたしは、結婚や恋愛的な愛の関係(marital and amorous love relationship)に対して、特別な価値を持つものとしてこのように不均衡に焦点を当てること、そして「恋愛的な愛(romantic love)こそが普遍的な目標になるのだ」という想定のことを、「恋愛伴侶規範(amatonormativity)」と呼ぶ。こうした想定は、「〔誰か一人に〕注視する、排他的で恋愛的な関係性こそが人間にとっては正常(normal)なのだ」とか、「そうした関係性こそが〔みんなに〕共有された目標なのだ」とか、「そうした関係性は規範的だ」とか、「そうした関係こそが、他の関係性のタイプよりも優先して目指されるべきなのだ」とか、そういった想定によって成り立っている。「価値ある関係性は、結婚や恋愛的なものでなければならない」というこうした想定は、友情や、その他のケアをする関係性の価値を貶める。このことは、最近であればアーバン・トライブやクァーキーアローン、ポリアモリー、またAセクシュアルの人々が主張してきた通りである。恋愛伴侶規範は、恋愛的な愛や結婚の為に、その他の関係性を犠牲にすることを推し進める。そして恋愛伴侶規範は、友情や、一人で過ごすこと(solitudinousness)を文化的に見えないところに追いやっていくのである。」(Minimizing Marriage, p.88-89.)

 ちなみにここは、本書でおそらく唯一「asexual(Aセクシュアル)」という言葉が出てくる箇所なのですが、この記事をお読みの方には、だいたい以上の説明の中見は、理解できると思います。
 誰か一人に恋愛をして、その人と結婚をして、そうして結婚相手一人を大切にする。それが素晴らしい考え方なのだ、という考えが、恋愛伴侶規範です。
 そしてそれは、単に「恋愛=結婚」が素晴らしい!という仕方で、恋愛=結婚に価値を置くだけでなく、それ以外の者との間にヒエラルキーを作ります。つまり、結婚こそが最上であり、それは友情よりも優れているとか、単婚だけに価値があるのであり、ポリーな関係は間違っているとか、そういう感じです。
 こういう話は、肌感覚としても分かると思います。ずっと大切に思っていた友人が、誰か(異性と)結婚したとたんに、何となく疎遠になってしまう。複数人と同時に「付き合っている」ことをオープンにしている人に対して、「本当に相手を大切に思ってるの?」と疑問に感じてしまう。恋愛感情のない相手と、生活の合理性のために入籍している人に対して「契約結婚(=ホンモノではない結婚)」という言葉を使う(「逃げ恥」)。こういった私たちの考えや、感覚の背後には、「恋愛伴侶規範」があります。

6.「恋愛伴侶規範」という言葉の可能性

 最後に、簡単にですが「恋愛伴侶規範」という言葉が発明されたことのメリットについて、つまりその言葉の可能性について書きます。
 冒頭でも書いたように、この「恋愛伴侶規範」という概念は、Aロマンティックのコミュニティによって歓迎され、今でも大切にされています。それは、世の中の「恋愛至上主義」によって様々な仕方で苦しめられてきたAロマ当事者たちの経験をよく説明してくれるからです。そうして、恋愛ばかりに重きを置いて、あらゆる「親しい関係」を「恋愛」という金太郎飴で解釈することを迫る、世の中の「悪さ」を、はっきりと見えるようにしてくれたからです。
 ブレークさんは、『結婚を最小化する』のなかでは、Aロマンティックという存在には言及していません。そしておそらく、Aセクシュアルという言葉は1回だけ出てきますが、AセクシュアルをAロマンティックから区別するということも、していないと思います。
 そういうわけで、「恋愛伴侶規範」という言葉の可能性は、まだまだ未開拓ということになるでしょう。Aロマコミュニティが、この言葉を使って積み重ねてきた知見については、また今後時間があればご紹介します。そしてもちろん、「恋愛(romantic love)」と「性愛(sexual love)」を区別していないマジョリティ社会がある以上、「恋愛伴侶規範」というという概念は、Aセクシュアルコミュニティにとっても、役立つ武器になるはずです。

 なんだか尻切れトンボになっていまいましたが、以上で今回の記事は終わりです。日本語圏には、まだまだ「恋愛伴侶規範」という言葉はしっかり輸入されていません(し、わたしからすれば少し残念な仕方で輸入されてしまいました)が、この言葉によって見えてくることは、たくさんあると思っています。ですので、それについて紹介出来て、わたしは満足です。

 ちなみに、『結婚を最小化する』の内容についても、中身を紹介する記事を書きたいと思っています。

 最後にひとこと。

 くたばれ恋愛至上主義。くたばれ恋愛伴侶規範。