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ようこそ「ホテル:Aセクシュアル」へ

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ようこそ、「ホテル:Aセクシュアル」へ。ここは、Aセクシュアルの人たちが心を休めるコミュニティ・スペースです。

ここにいらっしゃったということは、あなたも「Aセクシュアル」に興味がおありということですね。

私ですか? 私はここの案内役です。長くこのホテルにいるものですから、私がフロントで新しい方をお迎えしています。

それにしても、どうしたんです? ずっと入り口のところに立ちっぱなしじゃないですか。どうぞ中に入ってください。

あ、なるほど。自分がAセクシュアルかどうか確信がないから、ホテルに入ってよいのかためらっている、そういうことですね。

みんな、最初はそうですよ。

ご説明しましょう。いま最も広く受け入れられている「Aセクシュアル」の定義は、「他の人に性的な魅力を感じない」というものです。

同性の人にも、異性の人にも、この人は性的に魅力的な人だな、という風に感じない、というのがAセクシュアルの定義です。ざっくり言うと、誰に対しても「この人とセックス(とか性的なこと)をしたいな」という欲求を感じない、ということです。

自分はこれに当てはまるかも知れない……と思うのなら、どうぞ気軽にこのホテルでお休みください。自信がない、というならなおのこと。同じAセクシュアルの人の様子を見てみて、共感できるかどうか、試してみてはいかがでしょう。

でも、このホテルに来るまでに、いろいろ遠回りをしてきたのではないですか?

自分はどうしてきちんと異性愛者になれないんだろう。

自分は成長が遅いのかな。もしかして同性愛者なのかな。

それとも、バイセクシュアルなのかもしれない…??

たくさんの疑問をくぐりぬけて、このホテルにたどり着いたのではないですか?

きっと、そうでしょう。足はもう、くたくたですね。

どうぞゆっくり休んでいってください。Aセクシュアルという言葉に少しでもビビッと来たのなら、あなたはもうこのコミュニティに招かれています。ゆっくり心身を休めていってください。

もちろん、すぐにここから出ていったって、構いません。一時の休息の場所。自分を探す旅に疲れたときの休憩所。どんな風にでも、このホテルは利用してください。

1日目

簡単に、ホテルの案内をさせていただきますね。

はじめに大切な注意事項ですが、当ホテル(Aセクシュアルのコミュニティ)では、「スペクトラム」の考え方をとても大切にしています。

さきほど、Aセクシュアルの定義を説明させていただきましたが、そうした「誰にも性的に惹かれない」というきっぱりした「ない」には当てはまらないと感じる、そんな人もこのホテルには泊まっています。

はっきり自分をAセクとは言えないけど、でも、「ふつうの」性愛者とは自分は違う気がする……。そんな、「Aセク!とは言い切れないけど、Aセク寄り」の人たちも、私たちのホテルには泊まっていらっしゃいます。

こうした方たちは、白と黒のあいだの「スペクトラム(グラデーション)」の中にいます。

異性愛者であれ同性愛者であれ、いわゆる典型的な「性愛者」のことを、私たちはAllo(ァロ)セクシュアルと呼んでいます。

そうしたAlloセクと、Aセクの間の、いわば0と1のあいだには、スペクトラム(グラデーション)が広がっている。私たちはそういう風に考えているのですね。

そのグラデーションの中には、例えば「性的魅力を感じるときはあるけど、あまりにもその強度が小さいので、人間関係にとって全く性的要素が重要でない」とか、「強い情動的な結びつきや、深い個人的信頼があってはじめて(ごく稀に)誰かに性的魅力を感じる」とか、そういった人がいます。(※後者の方の人は「デミセクシュアル」と呼ばれています。)

この、0から1にかけて広がるスペクトラム(連続体)の上にアイデンティティ(sexual identity)を置く人には、「グレィAセクシュアル」という名前がついています。白か黒か、性愛者(ァロセク)かAセクか、そんな風にきっぱり分けられない、そんな人たちは、グレィ(灰色)のエリアにいるのですね。

もちろん、グレィだからといって、Aよりも劣っているとか、そんなことは決してありませんよ。あなたがグレィAセクシュアルを自認するなら、それはあなたのアイデンティティです。誰もそれは否定できません。アイデンティティに優劣なんてないのですから。

何より、Aセクシュアルのコミュニティは、そうしたグレィの人たちと、一緒にコミュニティを作ってきました。当ホテルにも、グレィAセクシュアルの仲間がたくさんお休みされています。グレィAセクシュアルも、一つの立派な性的指向なのですよ。

グレィAセクシュアルや、デミセクシュアルも、「Aセクシュアル・アンブレラ」という傘に包まれた、同じAce(エース)コミュニティの仲間なのです。どうか、お互いの性的指向を尊重してください。

そしてあなたも、いきなり「Aセクシュアル」を名乗るのに抵抗があるのなら、自分はグレィAなのかも。と、そこから始めてみてはいかがでしょう。

さあ、大切なこともお伝えしましたし、ロビーでくつろいでいる他のAセクの方のお話しを聞いてみることをお勧めします。頭で考えるより、やっぱり当事者の経験を聞いてみるのが一番ですからね。あなたがここに来るまでに経験したのと同じような「あるある」を、語り合える人が見つかるかもしれません。

2日目

おはようございます。昨晩はいかがでしたか?当ホテルに泊まっておられるAセクの方々と、いろいろお話しできましたか??

え?仲良くなった人はいるけど、Aセク界隈の「タブー」が色々あるんじゃないか不安だ、と。なるほど。たとえばこのホテルには恋愛禁止ルールがあるはずだろう、と。なるほどなるほど。

えーと、何から説明すべきでしょうか。まず、ルールについてですが、コミュニティでは他の人を傷つけるようなことはNGです。

でも、そんなの分かっていますよね。

もっと大切なのは、恋愛のことですね。

簡単に言ってしまいますが、Aセクシュアルの人でも、恋愛をするひとはいます。誰かにキュンキュンするとか、誰かと「付き合う」とか、恋愛関係を続けるとか、結婚するとか。そういう「恋愛ごとromance」を経験する人は、このホテルにもたくさんいらっしゃいます。

どうしてこんなことになっているかと言うと、私たちのホテル(Aセクコミュニティ)では、性愛(sexuality/sex)と恋愛(romanticism/romance)を区別しているからです。

昨日ホテルにいらっしゃったときに、説明しましたよね。Aセクシュアルとは、誰にも性的魅力を感じない人の性的指向だ、と。

ところで、世の中の人たちって、恋愛関係に入っている相手と、よくセックスをしているみたいですね。でも、恋愛感情のない相手とも、セックスしてる人はいると思いませんか?? そうですよね。いえ、わたしは別に、それが「ふしだら」だとか、そんなことを言いたいわけでは全くありません。事実として、存在していますよね、ということです。

考えていただきたいのは、「この人と性的なことをしたい(=この人に性的魅力を感じる)」ということと、「その相手に恋愛感情を抱くこと」って、分離していてもいいし、世の中でも切り離されているときがあるじゃないか、ということです。

これは、反対方向からも説明できます。恋愛感情を抱いている相手だからといって、絶対にその人とセックスしたいと考える必要って、ないですよね。セックス抜きの恋愛関係だって、普通にありえますよね。

はい、もうこれで説明は終わりです。誰かに性的に惹かれること(sexual attraction)と、誰かに恋愛的に惹かれること(romantic attraction)って、別々でもいいんですよ。つまり、性的指向(sexual orientation)と恋愛的指向(romantic orientation)の2つは、区別できるっていうことです。

ここは「ホテル:Aセクシュアル」です。Aセクシュアルのスペクトラムに性的指向を置いている方たちが、集まっています。ですので、ご利用されている方の恋愛的指向は、まったく多種多様です。

ヘテロロマンティック・Aセクシュアルの人もいれば、パンロマンティック・Aセクシュアルや、ホモロマンティック・Aセクシュアルの人もいて、もちろんAロマンティック・Aセクシュアルの人もいます。もちろん、グレィAセクシュアルの人にも、恋愛の指向がそれぞれにあります。

面白いでしょう。あんまり聞いたことないですよね。性愛の指向と恋愛の指向を分けて考えるなんて。でも、Aセクシュアルのコミュニティにとって、この区別はとっても大切な区別なんです。(早くこのホテルの外にも広まって欲しいですね。)

そういうわけですから、このホテルには恋愛禁止ルールなんてありません。Aセク同士のカップルもいますし、Aセクではない相手と、このホテルの外でパートナーシップを結んでいる方もいらっしゃいます。もちろん、自分にとっては恋愛なんて関係ないよ、と思っている方も沢山います。

ただ………、1つだけ気を付けてください。Aセクシュアルの人のなかには、恋愛経験しない「Aロマンティック・Aセクシュアル」だけが「本物のAセクシュアル」だ、なんて考えている方が時々いるのです。

これは全くの誤解ですし、「真の○○論争」みたいな争いをしたって、誰も幸せにならないのは明らかですよね。ですから、大雑把な定義に自分が当てはまると思うのなら、気兼ねせずにAセクシュアルを名乗ってください。何も、ためらう必要なんてありません。あなたの経験を一番よく理解しているのは、あなたですから。

もし、あなたが望んでこのホテルに滞在していることについて、文句をつけてくるような「ゲートキーパー」が居るのなら、私たちがその人をホテルから出入り禁止にします。ゲートキーパーは、百害あって一利なしです。私たちの多様な経験とアイデンティティを大切にすることは、Aセクシュアル・コミュニティの鉄則なのですから。

3日目

おはようございます。おや、今日はいったいどうしたんです?そんな怪訝な顔をして。

ずっと気になっていたけど、このホテルのロビーでコンドームを売ってるのはおかしいじゃないかって?? なるほどそういうことですか。

ここでコンドームを売っているのに、大した理由はないですよ。セックスする方もいるからです。

そんなにびっくりしないでくださいよ。

確かに、Aセクシュアルの人は「誰からも性的な魅力を感じない」人のことですから、セックスをしない人は多いです。

でも、1日目にご説明した通り、このホテルにはグレィAセクシュアルの方も滞在しています。そうした方の中には、稀にですが特定の方に性的魅力を感じることもあり、望んでセックスをしている方がいます。

それだけではなく、全くのAセクシュアルの人でも、誰かとセックスすることはあるんですよ。

そうですね。。。。例えば、あなたが運動不足を解消するために近所の河原でランニングしているとします。だいたい2キロくらい、走っているとしましょう。

そのあなたの横を、たまたま陸上の長距離選手も走っているとしましょう。その選手たちは、練習で河原を走っていて、その日、たまたま全く同じペースで、あなたと2キロだけ並走したのですね。

あなたのやっていることと、陸上選手がやっていることって、その2キロだけに注目してみれば、全く同じですよね。

でも、並走している選手から「あなたも来月のマラソンのオリンピック予選に向けて練習しているんですね!」と言われたら、急いで否定しますよね。あなたは42キロも走らないし、陸上選手でもなくて、オリンピックに出るつもりもないのですから!

セックスも、これとよく似ています。

ずっと同じ相手と同じ家に住み続けていて、お互いに恋愛関係になっている相手と、セックスしている人がいます。たまたまその日バーで知り合った人と、セックスしている人もいます。

そこだけを切り取れば、この人たちがやっていることは同じです。セックスしています。ただし、文脈や動機が、違っていますね。それはまるで、マラソン競技の練習と、運動不足の解消と、全く違う文脈や動機だけれど、その2キロのあいだは全く同じことをしている、あなたのランニングと同じです。

Aセクの人のなかには、そうした、同じ行為だけど、違う文脈や動機で、セックスをする人がいます。

例えば、自分はAセクシュアルだから、別に相手に性的魅力は感じていないけれど、大切に思う相手が性愛者(アロセク)で、セックスを望んでいて、自分もそこまでセックスに抵抗がないから、とりあえずセックスをしている、という人がいます。

他にも、性的な快楽を求めて誰かとセックスをしているAセクの人も、稀にいます。すごく分かりやすく言うと、「この人とセックスをしたい」とは全く思わないけれど、自慰行為の延長線上で、他の人の身体を借りて快楽を得ている、という人です。 (相手を自慰行為の道具にするなんて、そんなの酷い、と思うかもしれませんね。でもそれは少しセックスに夢を見過ぎではないでしょうか。)

そんなわけで、Aセクの人のなかには、誰かとセックスしたことがある人がいて、誰かとそれなりの頻度でセックスをしている人もいます。もちろん、誰ともセックスしたことがない人や、誰ともセックスしたくない人も、沢山います。(割合としては最後の人が一番多いとは思います)

ただし……………、これも悲しいことですが、Aセクの人たち、特に女性のAセクの人のなかには、望まないセックスを事実上強要されている方も、多くいらっしゃいます。恋愛関係を結んでいる相手、多くの場合は男性のパートナーさんですが、そのパートナーの性行為への誘いを断れずに、セックスに応じざるを得ないという方が、結構いらっしゃいます。

Aセクだからといって、必ずしもセックスをしないわけではない。このことはぜひ覚えてください。

ただし、それと同じくらい大切なのは、Aセクの人の中には、したくないセックスに応じざるを得ない人が沢山いる、ということです。

こうした悲劇的な事態は、女性差別と関係しています。

すべての女性が性的な主体になることができる。それは、女性差別と闘う上で大切なことかも知れません。

でも、それと同時に、すべての「したくない人」をベッドから解放する、そのことが必要な文脈も、まだまだ存在しています。それはきっと、Aセクシュアル以外の女性たちにとっても、よいことだと思うのです。

4日目

おはようございます。どうしたんです、今日はずいぶん晴れやかな表情をしていますね。

このホテルに3日滞在してみて、Aセクコミュニティの重大な秘密に気づいてしまった、と。

ふんふん……‥‥・・・、まぁなんと!

まさにその通りです。おっしゃる通りですよ!

そうです。私たちAセクコミュニティの重大な秘密……、「Aセクの人はAセクである。Aセクの人は、Aセクである。ただそれだけ。」

まさにおっしゃる通りです!この秘密に3日で気づくなんて、すごいですね。きっと多くのAセクの方たちとよくコミュニケーションしたのでしょう。

私たちAセクシュアルは、とにかく誤解を受けやすいのです。

Aセクシュアルには恋愛感情がない、とか。Aセクシュアルの人はみんな性嫌悪がある、とか。Aセクシュアルの人は心が冷たいとか、Aセクシュアルの人はみんな性のトラウマを抱えているとか。

こんなのは、全部ただの偏見です。

Aセクシュアルの人には、恋愛する人もいれば、しない人もいて、恋愛が平気な人も、恋愛に嫌悪感がある人もいます。性嫌悪がある人もいれば、性嫌悪のない人もいます。セックスをしない人も、する人もいます。心優しい人もいれば、ちょっと冷酷な人もいます。性にトラウマのある人も、ない人もいます。女性も、男性も、そうでない性の人もいます。広い意味でのトランス(≒非シス)ジェンダーの割合は平均よりかなり高いですが、シスジェンダーの人もいます。結婚している人もいれば、結婚しない/したことがない人もいますし、子どもを育てている方もいます。肌の色だって、学歴だって、障害/健常の違いだって、ばらばらです。

そう、Aセクシュアルの人たちは様々なのです。誰一人、同じ人はないし、誰ひとり「AセクらしいAセク」なんていないのです。それが、コミュニティの真実です。

ここに集っているのは、Aセクシュアル(+グレィAセクシュアルなどのAセクシュアル・スペクトラム)にアイデンティティを置く人たちです。共通点は、ただそれだけ。だから、それ以外については、共通点を捜そうとしても無理な話なのです。

そうですよね。この真実に気づくと、すっと肩の力が抜けますよね。

自分はAセクなんて名乗っていいのかな、という悩み。AセクだったらAセクらしくしないといけないんじゃないか、という不安。

分かります。みんなが通る道です。

でも、安心してください。あなたがAセクシュアルだからといって、何か「こうしないといけない」なんてことはありません。Aセクは、俗世を離れた純潔主義と誤解されたりもしますが、このホテルにいれば、そんなのが丸っきり嘘だってことくらい、すぐ分かりますよね。笑

あなたの晴れやかな表情を見られて、とても嬉しいです。どうぞ、自信をもってAセクシュアルを名乗ってください。

そして改めて。 ようこそAセクシュアル・コミュニティへ。


……最終日

あら、お久しぶりです。

こうしてフロントであなたとお話をするのは、数カ月ぶりですね。なにか、ご用でしょうか?

……………………………………。

……………………………………。

そうですか、このホテルを出ることにした、と。

いえいえ、待ってください!謝るなんてとんでもありません。

謝る必要なんてこれっぽっちもありません。

あなたは数カ月前、このホテルにやってきた。そうして、Aセクシュアルのアイデンティティを手にした。そして今日、そのアイデンティティを手放して、ここを出ていく。それだけのことです。

最初にあなたにお会いした日に、言いましたよね。「すぐにここから出ていっても構わない」って。一時の休息の場所、自分を探す旅に疲れたときの休憩所としても使ってください、って。

その役目が果たせたと思うと、私たちはそれだけで十分幸せです。

あなたは、自分の性的指向に悩んで、ここにやってきた。そうして、Aセクシュアルのコミュニティの仲間になった。

そのあいだ、あなたは確かにAセクシュアルでした。そして、あなたは今日ここを出ていく。それだけのことです。

あなたが間違っていたことなんて、一度もありません。前にも言いましたよね。あなたのことを一番よく知っているのは、あなただって。

だから、あなたがここに滞在することを選んで、あなたがAセクシュアルを自認していたのなら、それが正しいことの全てです。

ここ「ホテル:Aセクシュアル」は、Aセクシュアルを自認する人、そしてAセクシュアルかもしれないと思う人、全ての人を歓迎しています。

このホテルは、入るのも自由、出ていくのも自由です。誰かをコミュニティから追い出す「ゲートキーパー」も、誰かを無理やりコミュニティに引き留める「ゲートキーパー」も、いません。

どうぞ、胸を張って旅立ってください。あなたとここで過ごせて、私たちは幸せでした。どうか、よい寄留先が、明日のあなたに見つかりますように。

そうしてまたいつか、ここでお会いすることがあるのなら、そのときはまたよろしくお願いします。

「ホテル:Aセクシュアル」は、いつでもあなたを歓迎いたします。そのときが来たら、また言わせてください。

ようこそ、Aセクシュアル・コミュニティへ。