読んではいけない手紙:Aセクシュアル「と/の」フェミニズムに向けて

 こんばんは。夜のそらです。今日は、いまわたしが自分なりに勉強していること、そしてこれから、Aセクシュアルとして考えていきたいことについて書こうと思います。それは、1960-70年代のNYにおけるラディカルフェミニズムの運動のことです。

1.流れ着いた手紙

 2018年は、Aセクシュアルコミュニティに一つの大きな衝撃が走った年でした。50年近く前の、とあるシンポジウムの一コマを写した写真に、straight(異性愛)やlesbian(レズビアン)、bisexual(バイセクシュアル)と並んで、asexual(Aセクシュアル)という文字が並んで写っていたからです。この写真を巡る物語については、昨年に詳しく記事にしたので、お読みください。

 この写真は、「先輩」としてのAセクシュアルの存在を教えてくれると同時に、ひとつの大きな財産を、私たちに託すことになりました。写真の発見とともにその存在が知られ、一部の熱心な人たちがとうとう見つけ出した、Asexual Manifesto(Aセクシュアル・マニフェスト)という文書です。ちなみにこちらに全訳してあります。

 このAセクシュアル・マニフェストは、Asexualを性的指向として位置付け、またアイデンティティとしていた、50年近くも前の「先輩」たちの力強い思想を私たちに伝えています。私たちの人間関係が、セックスの相手になるかどうかという点からすみずみまで規定されていること。他者との性交渉に尋常ではないほどの価値が置かれていること。そしてそれは、その相手との全人格的な交流を妨げていること。私たちの社会では、セックスによってこそ私たちの最大の欲求は満たされるという「神話」が信じられていること。そして、性の欲求は何よりも尊重されなければならないというその「神話」が、女性を性的に客体化し、「幸せなセックス」という“対価”を与えつつ女性たちを家庭に縛り付ける、家父長制を支える土台ともなっていること。――Aセクシュアル・マニフェストには、いまなお有効な、透き通った洞察が書き留められています。セックスに価値を置くことがあまりに自明で、そのことの異様さが見えなくなっている人には見えないだろう、これらの洞察は、現代を生きるAセクシュアルのわたしがずっと考えてきた違和感を言葉にしてくれたような喜びを、わたしに与えました。Aセクシュアル・マニフェストは、まるで、わたしのために書かれた手紙のように、わたしのもとに届きました。「未来を生きるAセクシュアルたちへ」。このマニフェストの表紙には、そのように宛名書きされているように思えました。

2.つながらない歴史

 しかし、落ち着いて考えなければなりません。1972年の「Aセクシュアル・マニフェスト」が、現代のAセクシュアルであるわたし(たち)のために書かれているはずなんて、ないのです。
 現代のAセクシュアル(Asexuality)の概念は、当事者たちのWebコミュニティであるAVENの創設に、起源をもちます。それは2001年の出来事で、現在「Aセクシュアル」を自分のアイデンティティにしているひとの「Aセクシュアル(asexual)」というラベルは、基本的にすべて、この2001年の出来事にさかのぼります。もう少し分かりやすくいうと、1972年にasexualを一つの性的指向として位置付けたNYのラディカルフェミニストたちは、私たちの「先輩」でもなんでもなく、赤の他人なのです。

 マイノリティが、何かのラベルをアイデンティティにするとき、そのラベルを引き受けるという行為は、単に名札を胸に留めることとは違った意味をもちます。それは、そのラベルのもとに集い、それをアイデンティティとしてきた、コミュニティの歴史に自分を参加させることでもあるからです。ラベルを選ぶということは、そのラベルが一体何を指すのかについて、コミュニティの中で蓄積されてきた考え方を受け入れることです。そしてまた、そのラベルを引き受けるということがどのようなことなのかについての、これもまた歴史的に積み重ねられてきた考え方に、賛同するということです。それは、単に名札を下げるのとは違うことなのです。
 Aセクシュアルを例にとるなら、このラベルは、「他者に対して性的魅力を感じない」という性的指向を指しています。この「定義」は、昨日今日うみだされたものではありません。それは、Asexualityについてのコミュニティの議論がある程度まで落ち着いて以来、長く支持されてきた「定義」であり、誰か個人の考え方とは、違います。つまり、他者に性的魅力を感じない人が「自分はAセクシュアルだ」という風に考えるとき、その人は、そのラベルをそのように用いてきた、コミュニティの歴史を背負っているのです。
同じように、Aセクシュアルを「アイデンティティ」として確立するまでの闘いは、「病理化」との闘いでもありました。誰かに性的魅力を感じない。誰かとセックスしたいと思わない。それって生殖器や神経系の機能不全なんじゃない?簡単に言うと病気なんじゃない?そんな偏見と、闘う必要がありました。もちろんその偏見は、お医者さんだけでなく、当事者もまた抱くことがありうるものでした。そんなわけで、Aセクシュアルを「アイデンティティ」とする現在のAセク当事者たちは、そうした闘いの歴史と、その歴史の延長線上に、立っていることになります。
 アイデンティティを指し示す「ラベル」は、単なる「ラベル」ではありません。そこには、そのラベルに与えられてきた意味の歴史があり、そのラベルを選び取ることがどのようなことなのかについての、闘いの歴史が刻み込まれています。歴史から切り離して、アイデンティティを考えることはできないのです。

 そうだとすれば、1972年の「Aセクシュアル・マニフェスト」を著したNYのフェミニストたちの、その「asexual」という言葉と、AVENにルーツをもつ現代のわたしたちの「asexual(Aセクシュアル)」という言葉は、全く関係のないものと、言わざるを得ません。実際、1972年のこの文書が、2001年のAVEN創設のさいに参照されたという歴史的事実は、全くありません。1972年に輝き出たasexualという性的指向は、一瞬のまばゆい輝きを放ったのち、50年近くも発見されることすらなく、歴史の闇に消えたのです。

 Aセクシュアル・マニフェストは、わたしに向けて書かれたものではありません。Aセクシュアル・マニフェストに、わたしがどれだけ思いを重ねようとしても、それはできないことです。そこには、深い歴史の断絶があります。50年という年月があるだけでなく、asexualという言葉が求められた、文脈の違いがあります。興隆するラディカル・フェミニズムのど真ん中で求められたasexualと、主流化していくLGBT運動の路地裏でこっそりとエネルギーを蓄えた、誕生そのものがWebコミュニティである現代のasexualとは、あまりにも背景が違います。歴史は、つながっていません。それは、簡単につなげてはいけない歴史なのです。

3.マニフェストとしての「Aセクシュアル・マニフェスト」

 それでは、あの1972年のAsexual Manifestoは、どんな歴史に繋がっているのでしょうか。それを考えるためには、「Manifesto」というものの性格を、すこし考えてみるのがよいと思います。
 片仮名で「マニフェスト」と聞くと、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。一時期は「政権公約」という意味で使われ、国政選挙などに際して「自分たちが政権を取ったらこういうことを実現します」という約束を指すものとして、「マニフェスト」という言葉が使われていましたが、最近はこのカタカナ語のイメージは、あまり良くないようです。

 Asexual Manifestoに含まれる「Manifesto」という言葉は、いまでは「宣言」という風に訳されることが多いようです。Asexual Manifestoに先立つこと3年、レッドストッキングスという運動体がRedstockings Manifestoという文書を発行していますが、こちらは「レッドストッキングス宣言」という風に日本では呼ばれています。

 一方で、文書の名前そのものにはManifestoという単語が入っていないけれども、歴史上はManifestoとして整理される、そのような文書も存在しています。たとえば1970年にRadicalesbiansというレズビアン・フェミニストの団体が発行したWoman-identified Womanという文書や、ACT UP運動に由来するQueer Nationというグループが1990年に発効したQueers Read Thisという文書は、一般にManifestoとして理解されています。
 これらの文書をわたしが読んでみた感想になりますが、英語でManifestoというジャンルに分類されるものの共通点として、次のようなものがあると思います。それは(1)ある政治的な目的を持つグループ・団体が、(2)現状の世界に対する自分たちの認識を示しつつ、(3)その現状を変えるためのポリティクス(実践・政治)のあり方を明示し、(4)同じ理念を共有するものたちに賛同を呼びかける、という特徴です。わたしの拙い理解ですが、上に挙げた4つのManifestoには、そうした共通点があると思います。

 Asexual Manifestoがそのような文書だとすれば、その(1)~(4)には何が入るでしょうか。(1)文書の発行主体は、あまりはっきりしていません。もともとはシンポジウムの分科会という、その場限りの集まりから生み出された文書であり、Asexual Manifestoのほとんどは、Lisa OrlandoさんとBarbara Getsさんの2人で書いたとされています。しかし伝え聞くところによれば、発行されたペーパーとしてのAsexual Manifestoは、それなりに印刷されて読まれたとのことです。いずれにせよ、Asexual Manifestoの発行主体は、NYにいたラディカル・フェミニストたち、ということになります。(2)の現状認識は、さきほど簡単に紹介した通りです。まず第一に、セックスが人間関係を隅々まで、異様に規定しているという現状があり、それは女性差別と明確に関連している、という認識です。(3)の目的は、言うまでもなく女性の解放であり、家父長制の破壊です。マニフェストは次の一文で締めくくられています。「私たちにとって、Aセクシュアルであることは、家父長制を支え、また永らえさせているような、セックスや関係性をめぐる根拠のない考え方に挑戦し、また究極的にはそれを破壊することへの一つのコミットメントなのである。」
 最後に、(4)呼びかけ先について。Asexual Manifestoは、誰に向かって呼び掛けているのでしょうか。それは、当時のラディカル・フェミニストたちです。NYのみならず、アメリカ各地で花開いたラディカル・フェミニズムの運動は、レズビアンフェミニストによって突きつけられた問いもきっかけの一部としつつ、すごい速さで集合と離散を繰り返していました。多くの問いが、運動をたびたび分断するほどに、真剣に議論されていたのです。―――女性解放運動は左翼の男たちと協力すべきなのか。大文字の政治は、それ自体が男のものなのではないか。男と結婚している女はフェミニストになれないのか。フェミニストはみなレズビアンになるべきなのか。Asexual Manifestoにも、そうした時代の問いが流れ込んでいます。セックスや家族関係をめぐって、性的指向をめぐって、繰り広げられてきたラディカル・フェミニストたちの問いが流れ込んでいます。Asexualの女性として、このマニフェストは書かれています。ラディカル・フェミニストである女性たちに、呼び掛けているのです。Asexualとして生きよう。Asexual-Feminismが、いま必要なのだ、と。
 Asexual Manifestoが位置づく「歴史」の流れは、もうご理解いただけたと思います。この文書は、主にNYにおける、ラディカル・フェミニズムの運動から生み出された文書です。このManifestoは、確かに「手紙」としての性格をもっています。ともに歩もう、と呼び掛けています。その手紙の宛先は、ラディカル・フェミニストである当時の女性たちです。

4.読んではいけない手紙

 Asexual Manifestoが、50年近くの時を経て、現代のAceコミュニティに流れ着きました。その手紙はしかし、私たちに、少なくともわたし(夜のそら)に宛てられたものではありません。わたしは、Aセク(+Aロマ)のAジェンダーとして、フェミニズムに救われたと勝手に感じていますが、女性として生きてはいませんし、ラディカル・フェミニストとして自分を名乗ることは、いつまでもできないと感じます。AセクシュアルやAジェンダーとして、わたしが考えたことや書いたことが、フェミニズムと響き合ってほしいといつも思っていますが、自分をその運動の主体として認識することは、おそらくない気がします。トランスミソジニーのようなものには、よくターゲットにされてきましたし、それは殆どわたしの日常の一部ですが、ともあれ、フェミニズムという運動の基盤になる「女性としての経験」が、わたしにはないからです。
 それでも、わたしはAsexual Manifestoから受け取った感動を手放したくありません。Asexual Manifestoを読んで、一文ずつ日本語に訳しながら、Asexualityがもつポテンシャルがどれだけ大きいものだろうと、夢を膨らませたこと。私たちを苦しめてきた異性愛主義の社会、セックスを信奉する社会の不合理さ、悪さが、かつてないほどに明晰に言葉にされていることに身体全体が興奮したことが、忘れられません。
 わたしは感じたのです。わたしの大嫌いなもの、わたしが滅びてほしいと心から願うもの、その「敵」の正体を誰よりもはっきりと捉えていたのは、ラディカル・フェミニストたちなのではないか、と。Aセクシュアルとして、ささやかな「Aの政治」を進めていくうえで、あとに付いていくべき「師」が、ここにいるのではないか、と。

 わたしは、50年前に放たれた手紙を、ひらいてしまいました。その手紙の宛先には、確かに「来るべきAsexualたちへ」と書かれていましたが、その手紙はわたしに向けて書かれたものではありませんでした。本当は、すぐに手紙を閉じた方がよかったのかも知れません。でも、わたしはその手紙を盗み見ることをやめることができません。それどころかわたしは、この手紙の本来の宛先であった、当時のラディカルフェミニストたちの文章に、次々と手を伸ばし始めています。RedstockingsやRadicalesbiansのことを調べたり、そのManifestoを読んだりする時間が、いま生きていて一番充実した時間です。

 わたしのような、フェミニズムの運動も歴史も思想も知らない、フェミニストにもなれない人間が、それらの手紙を読むことは、悪いことだと思います。それは分かっています。でも、わたしはその「言葉の泥棒」をやめることができません。歴史はつながっていません。歴史を簡単につなげてはいけません。それらの手紙は、わたしに向けて書かれたものではありません。でもわたしは、読んではいけない手紙を読むことをやめることができません。異性愛を無理強いし、make loveの美名のもとに女性たちの抑圧を公私にわたって生み出し続けてきた家父長制の悪さ。それが信じられないくらいに明晰に言葉にされ、厳しく批判されるとき、わたしはその「よき読者」であると、自分を錯覚してしまいます。

 わたしは、言葉がほしいのです。自分の経験をうまく説明する言葉なら、わたしは手に入れました。Aセクシュアルコミュニティが、それを与えてくれました。しかし、わたし(たち)を苦しめる社会の「悪さ」を言い当てるための言葉が、まだまだ欠けています。だから、短いあいだでいいので、泥棒を見逃してほしいです。つながらない歴史がつながっているかのような錯覚を、許してほしいのです。読んではいけない手紙を、のぞかせてほしいのです。

5.Aセクシュアルと/のフェミニズム

 わたしが心から尊敬している(ご迷惑だった本当にすみません)クィア理論の教授の先生に、東大の清水晶子先生がいます。その清水先生が今日、こんなツイートをしていました。

 清水先生が念頭に置いているのは、CerankowskiさんやMilksさんが研究しているような、現代のクィア系の研究かもしれません。二人を編者とする2014年の論文集 Asexualities: Feminist and Queer Perspectivesは、おそらくAセクシュアルとフェミニズムを接続する現代の研究で、いちばん中身がしっかりしているものだと思います。
 でも、そうした現代の研究とは違った、Aセクシュアリティとフェミニズムの出会いが、Asexual Manifestoには間違いなくあります。「性欲がない/を重視しないことを否定しないフェミニスト的観点の可能性」が、きっと満ちているとわたしは思います。その可能性を、現実性に変えてみせることは、わたしのような無学な人間にはまだまだできないのですが。
 とはいえそれだけでなく、Asexual Manifestoを生み出した背景であるNYのラディカル・フェミニズムの運動には、そうした「性欲がない/を重視しないことを否定しないフェミニスト的観点」がたくさん眠っているのではないかな、と素人ながらに思っています。Asexual Manifestoが、とつぜん歴史に姿を現したはずがありません。当時のフェミニズムのなかで練り上げられた異性愛批判と、ときに政治的でもあったレズビアニズムが、Asexual Manifestoを書くことを可能にしたはずです。わたしは、その背景も、理解したいです。泥棒をしていることは承知で、つながらない歴史をつなげる大罪を犯していることも承知で、NYを舞台とした、60年代から70年代のラディカル・フェミニズムの思想を学びたいです。そうして、Aセクシュアル「と」フェミニズムのあいだの関係が、ありうるとしたらどのようなものになるか、考えたいと思っています。
 そうして最後には、Aセクシュアル「の」フェミニズムが現代によみがえるなら、それほど嬉しいことはありません。50年前のAsexual-Feminismが、そのままよみがえることはないでしょう。でも、清水先生がお書きになっているようなAsexual「の」Feminismが現実に船出することになるのなら、わたしはぜひ、その船が出航する桟橋の杭になりたいと思います。わたしはその船には乗船できませんが、その船が未来のAsexualsを救う新大陸を見つけて帰ってくることを、わたしは夢見ています。

 歴史はつながっていないけれど、未来のどこかにつながっている。そう信じながら言葉の泥棒をすることを、どうかしばらくのあいだ許してください。