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スポーツと応援と愛

オリンピックやワールドカップの、国対抗のあの雰囲気に違和感を覚えたのは、小学生のときだった。


担任の先生と同級生と一緒に、学校のテレビでサッカーを観ていた。学校のテレビは電子レンジみたいにぼったりとしたフォルムで、映像はなんだか古ぼけて見えた。

国対抗の試合。日本チームと、相手国はどこだったか、何だか強そうなチームだった。

最初は好調だった日本チームは、だんだん乱れてきていて、それと反対に相手国はメキメキとパワーを増してきていた。

誰かがふざけた調子で騒ぎ出した。「失敗しろ!失敗しろ!」相手国が勢いを増す度、声は増えていった。「失敗しろ!」相手国がシュートを決めそうになったとき、先生も言った「失敗しろ!」


じっと黙っていたあの子は、小さな声で言った「相手の人たちも頑張っているのに。」次にはっきりした声で言った。「相手の人たちも一生懸命練習して、頑張っているんだから、こんなのは、何というか良くないと思う。」

「すげー」と茶化すような声。

続いて、「そうだね」「そうだよ」「こういうのは良くないね」ぼそぼそと声があがった。

先生は「そうだね」と苦々しい声で言った。

先生の声は冷たく響いた。静かになったなかで、先生は何も言わなかった。「すげー」と言った子は居心地が悪そうにむずむずしていた。あの子は静かにテレビを眺めていた。


サッカーを愛している人というのは、選手の一つ一つのプレーを愛すことのできる人を言うのだと思う。

日本を愛している人というのは、日本と同じくらい、他の国も尊重し、愛せる人を言うのだと思う。そして国に属していない・属すことのできない人々にも愛を向けられる人を言うのだと思う。


「失敗しろ!」と思ってしまう人は、サッカーも愛していないし、日本も愛していない。

顔に日の丸を描いて、日本国旗を背負って、日本チームが勝った時だけ誇らしげに手を叩く。そう、それは楽しい。私は知っている。顔にペイントするのも、おそろいのユニフォームを着るのも、みんなで肩を組むのも、楽しい。

国とかナショナリズムとかそういう面倒な話じゃなくて、ただのお祭りとして楽しい。そうね、それも知っている。

私はこの楽しさの悪を知っている。だから、あの子を尊敬している。あの子の愛を、尊敬している。


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