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嫌なこどもだったわたし/幼稚園時代


※連続記事の途中ですがまたまた急に書きたくなったテーマなので載せます。


悪意・不如意との出会い

自分って嫌なこどもだったなぁとつくづく思うことがある。
その嫌なこどもの性格のまま、大人になってしまった。

私は、下にきょうだいがおり、お姉ちゃんだったため、家族からは結構「いい子」であることを求められてきたと思う。こう書くと親に抑圧されてきたようだが、当時「いい子」でいることは私にとって全く窮屈でなかった。無理して「いい子」を演じていたという事実もない。家族は私にもきょうだいにも平等に優しく、のびのびと育ててくれたと思っている。

そんな、ほどよく「いい子」で育ってきた私は、幼稚園に入ってから初めて【悪意】【いじわる】【いう事を聞かない子】【嘘つき】などの事象に初めて出会った。
なぜ私が「やめて」と言っても私の嫌がることをするんだろう?
先生の指示を聞かない子は周りを困らせて何がしたいんだろう?

大人になってみればわかるが、世間なんてそんなことばかりだ。
それでも、当時の私にとっては理解不能だった。
同様に、おもちゃ屋でおもちゃを買ってほしくて床に寝転がって泣きわめく子のことも冷めた目で見ていた。

「お母さんがダメだって言ってるんだからあきらめればいいのに。みっともない。」

正義ということ


幼稚園で社会の荒波に初めて揉まれた私は、いつしかある事実に気づいた。
「このクラスでは、先生だけが大人だから、先生が一番偉くて正しいんだ。」

自分は今でも両親のことは大変常識人だと思っているので、当時から大人=偉い!正しい!と考える傾向があった。

そのため、先生のいないところで悪意を向けられたり、いじわるをされると、いわゆる【チクる】人間になってしまった。

しかも、「そのつもりがなくても、相手が傷ついたら謝る」という考えを深く信じており、その原理に則って生きていた。

先生に【チク】れば、嫌なアイツが先生に怒られて、私に謝ってくれる。やっぱり私は正しかったんだ。

正しい側に立っていたことを認められると、なんだか偉くなったような気分になった。

気が弱くて言い返せない自分を守る唯一の方法だったと思うが、こういう認識をしてしまってから、【正義は勝つ】のような考え方を持つようになってしまった。

正義は勝つ、ルールがすべて


それから、ルール違反をしているクラスメイトを見つけると、先生に言いつけるようになった。

いわゆる、【チクり魔】だ。
自分はちゃんと守っているルールを、他人が破っていることが本当に許せなかった。

先生の役に立てているような気がしたし、ズルをしている子が痛い目に遭うのがなんとなく自己肯定につながってしまっていた。

「ほら、やっぱり私が正しい。」

今や少し前の自分に目を向けてみても、
この時の自分のマインドが、残念ながら大人の私に根強く残ってしまっていると思う。






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